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霊界通信3の2、日本の国の起源と神、天照大御神のメッセージ

2021年01月06日 | アセンション後の暮ら...
前回に続いて、天照大御神(アマテラス)と言われる方の、霊界からのものとされるメッセージを掲載させて頂きます。今後の私たちの暮らしの指針となるのでは、という事でのカテゴリーです。

(ここから)

日本の国(に)は、他の国の人々とは違った点が幾つかあります。

それは、第一には「秩序」というものを大切にする考え方です。

秩序―それは、社会が安定し、人々の住む村が、町が、国が、安定して行くための原理である、とも言えましょうか。そうした見事な均整のとれた人間関係、それが秩序です。

日本では、古来より、この秩序という事が、何にも増して大切でした。そうして、秩序を乱す者は、それだけでも罪があり悪である、と言われたものです。秩序を乱す者は、すなわち、美を破壊する者、でもあります。神から降りた教え、こうした事を守りながら生きて行くのが、人間達の生き方です。

日本人の特徴の第二は「協調」という事です。

共に協力し合い調和を目指して行く、という考え方です。秩序を守り、そして協調して行く。譲るべき所は譲って、お互いの良い所を認めて行こうとする。「長所のみに目を向ければ、そこに悪人はいない。人の長所と付き合っていれば困る事はない」そうした言葉があります。

美しき心情ーそれは、多くの人々の良き所、長じた所を見て行く心です。これが協調を生んで行きます。自分が他より偉い、と思う時に、そこに我が生まれ、争いが生まれて行きますが、他の人々の持つ長所、素晴らしい所を認めて行く、という気持ちがあった時に、お互いに尊敬し合うような社会が生まれて来ます。社会の秩序は、決して支配と服従といった形で運営されてよいものではありません。そこに必要なのは、お互いを尊敬するような社会のあり方です。

お互いを尊敬する―それは、一人ひとりの人間が、全て、神の意を体して地上に生きている、という事を認めることです。一人ひとりの人が、神の理想とする社会を地上に創るために存在している、という事を知ることです。これが協調という事の意味です。

協調というものは、決して安易な妥協という事を意味しているのではありません。そこにあるのは、神の子と神の子が、共に存在している、という事実、これを認めて、お互いに尊敬し合うという事です。それが大切なのです。お互いに尊敬し合い尊重し合う、相手の中の美しきものを見い出して行く、長所を見い出して行く。それは相手の中にある、神の特質でもあるからです。そうした気持ちを忘れてはなりません。

日本の特質の、第三として挙げられるものは、これは「男女の美しき愛」という事だと思います。

西欧においては、男女が、それぞれ独自の価値を主張し合い、お互いに平等である、とか、私と、どちらが偉い、とか、偉くない、とか、こうした事がよく言われておりますし、女性の地位や待遇の改善という事が、社会的な運動や問題になって行ったり、或いは、その運動や問題は、日本にも、また波及して来ている様に思います。

けれども、日本人の特質として、大事な事は、男女は、共に競い合う仲ではなかった、という事があるのです。男女は、共に相助け合う、という、そうした愛の中に生きていたのが真実の姿です。

今後、いかに、外国から、どの様な思想が入って来たとしても、男女が、共に敵対し、争い合うようになる様な思想は、断固として排除せねばなりません。

男女は、共に神の繁栄を創り出すために、約束して、地上に出ているのであり、共に相助け合うのがその使命です。決して、妻が夫と競い合う事が、正しい事でもなければ、夫が妻を奴隷的に扱う事が、正しい姿でもありません。男女は、お互いに相助け合って、より高いものを生み出して行く、より精神性あふれるものを生み出して行く、そうした使命を持っているのです。それが男女のあり方です。

こうした男女の在り方を忘れて、男の利益、女の利益、男の立場、女の立場というものを、殊更に守ろうとしたり、殊更に主張しようとしたりしてはなりません。共に相助け合って、如何に素晴らしい世界を創って行くか、素晴らしい社会を創って行くか、ユートピアの礎を創って行くか、これに努力をせねばなりません。そこに日本の特質の大切さがあるのです。


日本神道においても、神々と言われている方は、多くは、かつて地上にて肉体を持った方々です。そして、地上にて肉体を持った方が、地上を去ってあの世に還られて後、また次の時代に、地上に出た霊能者達に、様々な霊指導をして、自らの名を明らかにした、という事が、事実であったと思います。

わたくし、天照も、今では、太陽神の象徴である様に言われたり、或いは、根本神であるように言われたり、いろんな事を言われておりますが、やはり、私も、今から二千数百年の昔、三千年近い昔に、日本の九州という地方に生まれた、ひとりの女性であり、また、女性として生まれて、女性の統治者となり、霊能力を授かって人々の心を導いていた人間でもあった、という事です。そうした古代においては、統治者であり、かつ、神の声を聴ける、という事が、神人である事の証明でした。

私より数代前には、天之御中主之神と言われた方も、いらっしゃいました。その方が、実は、日本神道系では、現在、最高度の力を持って居られます。この方以外にも、勿論、古事記に登場する神々、高級神霊は数多く居られますが、日本神道において、最高の指導神、指導力を持ち、霊力を供給して居られるのは、この天之御中主之神という方です。

ただ、地上に在った時に、私の名前が、人々の口に数多く上ったが為に、現在では、私が、日本神道の主催神であるかの如く言われている事も、まま、あります。それはそれで良いでしょう。

日本神道の教えの中では、天之御中主之神の言う「発展」「光」という教えと、私の主張する「礼節」「調和」という教え、この二つの教えが中心になっており、(その教えに基いて)この国が出来ているのです。その意味で、私も、また、主宰神であると言えるかも知れません。

神(創造のエネルギー)は、巨大な光の供給源です。巨大な供給源として、霊的世界を、そして、この地上界を照らしているのです。神は、いつもいつも、人々を照らすことばかりを考えて来ました。人々の心を明るくし、人々を、如何にして良くして行くか、繁栄させて行くか、発展させて行くか、という事に、心を砕いて来たのです。

ところで、この神の光を受け入れない人達が、いつの時代にも居た事は事実です。それは、ちょうど、おいしいご馳走を出されても、それに手を付けない人が居るのと同じ様なものです。神は、いつも、人々に、明るい光を投げ与えて来た訳ですが、その光に対して、それを、そのまま受け入れようとしなかった人達が、いつの時代にも居た事は事実です。

しかし、考えてもみれば、光が光である理由は、ただ、光輝き、光を放射している事であって、それを受け入れさせる事、そこまで要求されているものではないのかも知れません。私達は、明るく光を投げ掛けて行きますが、その光でもって、暖かい熱を感じ、心を豊かにして行くのは、やはり一人ひとりの国民かも知れません。

本来、神は、とてつもなく偉大な方であり、その、人間に与えられる恵みは、燦々と人々に降り注いでいたにも拘わらず、その大いなる恵みを無視し、そうして、自らが(地上で)手に入れた物のみが価値がある、という考えが、世に蔓延し始めたわけです。この世で手に入れた、金銀財宝、地位、名誉、肩書き、こうしたものが、人々をして、唯一の価値であるかの様に、思い込ませ始めたのではないかと思います。

けれども、考えてみれば、私達の本当の命は、過去、現在、未来を貫いている命(魂)です。三世を貫いている命です。三世を貫く命には、実は、本来、全てのものが与えられているのです。魂は、魂であることで、無限のエネルギーを、太古より持っているのです。魂は、新たに生まれることもなく、死ぬこともなく、減ることもない。そうした不増不滅の世界に、生き通しの命を生きているのです。

本来、魂は、無所得のままに生きて行くのが筋だと言えましょう。(生きていくために)何も要らないのです。神の子が神の子であるためには、何も要らないのです。金銭を手に入れたからこそ神の子になれる訳でもなければ、素晴らしい服を手に入れたからこそ神の子になれる訳でもなく、良い肩書きが付いたから神の子になれる訳でもありません。神とは、やはり光であり、光とは、全てのものを、あまねく照らして行こうとする努力です。

従って、私達が(三次元世界の)地上に在って、神の子であると言われる理由は、自らの内から輝き出し、人々を照らして行こうとするものが、あるかどうか、という事にかかっているわけです。それがなければ、人々は、本当に地上に生きている理由はないのです。神の悦ばれる事は、ただ他の人々を愛し、他の人々を喜ばし、他の人々の魂を光らせる、という事です。そうした行為においてのみ、また人々は、神の一部となって生きている、という事が言えるのです。

神は、世を照らそうとしています。ならば、神の子である人間が地上で生きて行くための条件は、やはり、人々の心を照らそうとする事ではないでしょうか。私は、そう思います。

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