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アセンション・サバイバル?

2019年12月19日 | 実践、アセンション
以前のモンタギュー・キーンさんのメッセージに、地球に侵入して来たアヌンナキ達によって、楽園であった地上の暮らしが、サバイバルにされてしまった、とありました。
あるいは、先日ご紹介したマイク・クインシーさんのメッセージに、アヌンナキ時代には、人類は奴隷だったとありました。

サバイバルという言葉ですが、生き残り、というような意味ですね。生命を脅かすような、通常ではない厳しい状況の中で、その状況が変わるまでも、生き続けて行く、というようなことでしょうか。

で、地球上の生活の、何が、どんな事が、奴隷でありサバイバルなのでしょうか?

まず、奴隷ということですが、何も鎖や枷を手足に付けられて、外から鍵のかかるタコ部屋の様な所に押し込まれて、日々作業場との往復に使役される、という様な極端な形だけが、奴隷ではないと思うんです。

私達の日常生活には、べつに手足の鎖も枷もなく、私達は、殆んどが、自分だけの部屋や家を持ち、食べる物も着る物も住居も、自分の好みで選ぼうなら選べる、入手も出来るなど、一見、自由な人間の暮らしなわけです。

では、私達は全くの自由人かというと、誰しもが、一旦会社という組織に、就職という形で所属した事になれば、勤務時間から、休日、食事の時間、仕事の内容までも、多くの場合、会社側に決められ、上司や他の人の指図に從わなければならず、もしそれに從わなければ、後に言います、お金を得る手段を失いかねない、という状態に、常に置かれる事になるわけです。

その状況は、言わば、単に、奴隷の鎖や枷が、勤務時間や勤務場所などに置き換わっただけだ、という見方も、ある意味出来るのではないでしょうか。

そして、サバイバルですが、それは、よく映画などであるような、戦場などで、相手を殺して生き延びるか、それとも殺されるか、とか、何もない無人島で、どうやって生きて行くか、とか、などという様な、極端な場合だけではありませんね。

それは、むしろ、ありふれた日常生活の、働かないと食べて行けない、つまり生きて行けない、と思わせる社会の状況や仕組みそのものが、そうなのではないでしょうか。

あるいは、一つには、仕事に就いていても、身近にいる相手と業績などで競い合って、成績のいい方が、より良い待遇を得て職場に残り、成績が劣ると待遇が悪くなって、いわゆる窓際に追いやられるなど不利な待遇になり、結果として退職を余儀なくされて行く、そうした事があり、また、あり得ると思わせる状況が、いわゆるサバイバル感を私達にもたらしている場合も、あるのかも知れません。

そして、もう一つ、バックグラウンドとして、食料など、日常の生活上の必需品が、通常、お金を介在させてのみ得られる、という社会の仕組みが定着している為に、お金を手にする手立てを失うと、それが得られなくなり、結果として生活、すなわち生命の維持が出来なくなる、という事があると思います。

これらは、全く、鎖のない鎖、枷のない枷のようなもので、そうした、いわば見えない鎖を付けられているのと同じだという事なんです。

つまり、先程の例で、平たく言えば、奴隷状態だという事なんです。

先ほど触れた、マイク・クインシーさんのメッセージには、人類も段々意識が進化して、アヌンナキ時代の奴隷状態からは離脱した、とありましたが、私達日本人の社会の、現状、日常生活を見てみると、いやいや、なかなか、今だにアヌンナキ時代を続けている、と言いますか、「自分 DE アヌンナキ(つまり自分自身が、自分に奴隷状態を強いている)」状態に、逆戻りしている状況が蔓延(はびこ)っているようにも思えるのです。

しかも、皆さん、それが当たり前で仕方がないと思っている、というか、全くそれに気付く余裕もない、という状況みたいなんです。

いやぁ、これ、マズいんでねェかい?

いま、朝の通勤時間などに駅を通りますと、無表情に勤務先へと向かう、凄い大勢の(奴隷、じゃなかった)人々の集団に行き当たります。この方達も、本来ならば、家で、それぞれが、思い思いにゆったりと毎日を過ごして居てもいい方々なのではないでしょうか。

アセンションに関心のある方でも、いわゆる現実問題としては、この集団の中に、やむなく居られる方も、おありなのではないでしょうか。

では、どうすれば、この奴隷状態を脱することが出来るのでしょうか?

ちょっと、これからは、そうした事にも触れて、その状況を具体的に変えていく方策も、考えて行きたいと思います。

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