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天皇制の真実、ー天之御中主之神メッセージ2

2018年06月24日 | 歴史関連
この天之御中主之神のメッセージは、1980年代に収録されたものですが、今読んでも、少しも古さを感じさせず、極めて適切な、我が国民に対するアドバイスだと思います。
ただ、収録時以後、急速に、我が国の政治、経済状況、メンタリティ、ともに劣化して来ました。今後の再起が望まれるところでしょう。

(ここから)

諸君は、今、新たな日本国憲法によって、天皇制度が、非常に改変された事を知っているであろう。

明治憲法下においては、天皇陛下は、これは、君主であり、支配者であり、そして、統治者でもあった。しかし、現憲法においては、天皇は単なる象徴に過ぎない。一国の象徴であり、一国の精神的な集まりの中心、そういう事になっていると思う。

この事に関して、私(わたくし)の考えを、述べてみたいと思う。

天皇制は、様々な変遷を経て来ている。まあ、百代も、二百代もの天皇が連綿と続いていると言われている。そして、神武天皇以来、様々な天皇があった、と言われている。その定かな歴史は、しかし、現在には、伝わってはおらぬ。主として、奈良時代に、そうした国史が編纂(へんさん)されたのであるが、その時には、充分な資料もなく、様々な間違いも多く、また、言い伝えによる、伝説の集大成という面が多かったと思う。

神武という天皇が、本当に居た訳ではない。しかし、その神武天皇にあたるのが、この天之御中主である。本来は私である。本来は、神武天皇といわれている、その人格に相当するのが、実は私である。私が、今から二千八百年近い昔、南九州において、朝廷を創った。それ以前にも、様々な、豪族としての、そうした王家の伝統はあったけれども、その当時に、巨大な一つの支配国家を創ったのが、私である。

ところが、時代が下るにつれて、天之御中主は、日本の神の中では、宇宙の根本神というふうに言われた。そして、実在した、そうした、天之御中主の姿が、神武天皇という様な形で言われているのである。そして、神武天皇という言葉で言われている内容には、天之御中主と日本武尊(やまとたけるのみこと)を合体させた様なものがある。私自身は、東征をした訳でもなんでもない。けれども、後の、日本武尊伝説と合体されて、そういう、神武天皇の話となっているようである。

ただ、今、ここで、明らかにする必要がある事は、初代の天皇が、誰であり、五代目が誰であり、十代目が誰である、そうした事ではない、ということだ。大切な事は、そうした、古代、今から三千年近い昔に王朝を創った者の歴史が、連綿と現代まで続いているという事である。その間、たくさんの変遷があった。けれども、その中に、一本の、一つの、歴史的な、歴史を貫く、霊的な糸というものがあったということ、これは事実である。

それは、私が、日本の国においては、結局のところ、天地創造の神と同じく、同じ使命を果たしたという事である。ユダヤの地にあっては、我は、恐らくは、アブラハムの様なものであったかも知れぬ。或いは、アブラハム以前の、万能の神と言われるヤーヴェや、或いは、アラーの神の様な存在であったかも知れぬ。まあ、諸外国の事は、詳しくは申せぬ。ただ、我が時代において、最初の精神的支柱が日本の国に打ち立てられた、という事は、これは、紛れもない事実である。

そして、我(われ)が、最初に打ち立てた支柱は、これは、宗教的中心であり、また、政治的中心でもある、という柱であった。神の心に近い者が国を治める、というのが、天皇家の原点であった、という事である。従って、天皇家の原点は、光の天使の歴史であり、また、実際、歴史上にも、数多くの光の天使が天皇家に生まれたことも事実である。これを、一つ一つ論証して行こうとは思わぬが、歴史に名を残した、多くの天皇の中には、我(われ)らの世界から送り込んで来た光の天使も、数多く居たということである。

それは、仏教において、宗祖が、様々な法を継いでいった様に、キリスト教において、教皇が法を継いでいった様に、また、イスラム教の中において、様々な支配者が続いていった様に、この日本という国において、宗教と政治の融合的見地から、そうした光の天使が、数多く降りて行って、そして、時代が下って来ると、また、新たな、偉大な人を送り出して行ったという、そうした歴史があったのである。

従って、ここ三千年における、日本の国の歴史の計画は、この、天皇家、これを中心に構築されて来たのである。これが、我らが実在界での、約束事でもあり、また、計画でもあった、という事だ。その間、地上では、様々な政争があり、政権も替わって来たけれども、天皇家は、連綿として続いて来た。それは、高天原(たかまがはら)より、この地上に降ろしたる、神の出張所としての役割があったからである。神の出城(でじろ)としての役割があったからである。

そうして、数千年続いた歴史である。これに対して、過去の日本人は、いずれも、畏敬の念を持って来たのである。それは、我が国を創った神々への畏敬の念と、同じものであったと思う。そうした、精神的なるものが国を治める、という事が、日本の政治の伝統でもあったのである。

さて、翻(ひるがえ)って考えてみるに、天皇は人間宣言をし、現行憲法では、天皇は国体の象徴である、という事になっている。そして象徴的行為以外の国事行為はすることが出来ぬ、という事になっている。

これは、私の立場から見れば、非常に嘆かわしいものであると思う。

ただ、我々が、今、実在界にあって思うことは、これから、必要とされる時代、これから必要とされる国の運営の方法、これから必要とされる政治の手法は、即ち、神理というものを、政治の中に持ち込んでゆかねばならん、という事だ。これだけを、私は、はっきりと言っておかねばならん。天皇制を葬り去るのも結構であるが、そうであるならば、天皇制に替わるものを打ち立てねばならん。我は、その様に思う。

今、民主主義とか、色々な名で呼ばれている様な、多数決の原理が通用しているが、これは、決して普遍的な真理ではない、という事を、知らねばならんと思う。

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