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霊界通信3の11、現代人に望む人間像、天照大御神のメッセージ

2021年02月14日 | 教育
ここでは、アマテラス様は、霊界から地上を見ている観点から、地上の人間に必要なことを、色々と語っておられます。まあ、心構えの様なことですね。で、今日の我々から見て、やはり、将来に向けて、こうした大所高所的な視点から見た、人間の在り方を見る、という視点が、実はあるのだ、という事を知ることには、やはり意義があると、私は思います。例えば、それしか生きる道はないのだ、とばかりに、自分の善意や良心を押し殺して、闇のアジェンダに黙々と従っている公務員の方達は、やはり自分は闇の手先なのだ、と知る必要があります。会社勤めが出来ずフリーターをやっていても、呑気でぜんぜん気にしていない人は、自分が、実は、自由の戦士であることを、知る必要があります。そういう気持ちで読めば、何かが見えて来るかも知れません。

(ここから)

神と言われる言葉にも、多義性があり、宇宙の根本神の心は、なかなか計り難いものがありますが、(日本という国の)三千年の歴史の中で、神とも称されて来た私の立場から言うならば、神の愛する人間像には、三つの姿がある、と言えるのではないかと思います。

第一の姿は、「秩序と調和を大切にする人間」です。

秩序を大事にする考えは、結局、調和を生んで行きます。秩序と調和という、この大いなる原理、これを大切にして、そして、社会全体の美しい姿を描き出していく事、これが大事です。秩序を破るという事は、それ自体が、一つの不調和であり、地獄図です。秩序を大切にしていく。そして、調和を大事にしていく。人々との間の和を大事にしていく。協調を大事にしていく。ここが重要ではないかと思います。

この意味で、現代に蔓延している、自我我欲を主張する生き方、我欲、我流の生き方に対して、私は、厳しい警告をしておきたい、と思います。それが、地獄を生んでいる原因である、という事に、気付かねばなりません。

秩序と調和という事を大切にして、自然の姿、あるべき姿に持って行く、という事、これが大事です。上役は部下を指導し、部下は上役に仕え、師は弟子を指導し、弟子は師に仕える。こうした、本来あるべき姿に立ち戻る事が、とてもとても大事である、と私は思います。

神の愛する人間像の、第二として、私は「愛の実践」という事を挙げておきたい、と思います。

愛の実践とは、即ち、多くの人々に美しい人生を生きて頂きたい、と思う心、願う心です。多くの人々に、真実の人生を生きてもらいたい、と願う心、それを助けようと願う心です。多くの人達が、本当に幸せになるために、何らかの努力を惜しまない、という心、それが愛の実践です。

あなたは、今日一日、どれだけ多くの人を喜ばしたでしょうか。多くの人々を幸せにする様な努力を、したでしょうか。私は、それが大切である、と申しているのです。

多くの人々を愛する、という事。これが、何にも増して重要な事です。自らに与えられた一日という時間を、無駄にすることなく、愛の実践に生きることです。自分として、どの様な生活をする事が、多くの人々への愛となるか、これを、深く深く考えて頂きたい、と、私は思います。

神の愛する人間像の、第三として、私は「無限に発展していく人間」という事を挙げたいと思います。

神は、やはり、最大の愛、そのもの、ですから、自らの下にある人々に、みな、繁栄して頂きたい、良くなって頂きたいと願っているのです。

さすれば、理想的な人間とは、常に、向上発展を目指して行く人間であり、自らの過ちを改めるに吝かでない人間です。自らが、たとえ間違ったとしても、すぐさま、それを改め、より素晴らしい人間として成長して行ける様に、常に、努力、精進を怠(おこた)らない人、それこそが、神の愛する姿であろうと思います。

また、神の神たる所以は、高級霊の高級霊たる所以は、やはり、自らも向上して行こうとする気持ちを持っている、という事が言えると思います。自らも、より高度な人生観を磨き、より大いなる認識力を得、より大いなる指導力を築かんとしている。それが、多くの(霊界における)人々の姿です。この理想的な人間像、これを、やはり追求していく事が、大事なのではないだろうか。私はその様に思います。

神の愛する人間とは、結局、神近くなって行くために大切な条件を守る、ということでありましょう。

もう一度、繰り返すとするならば、まず「秩序と調和」という事を大事にすること。秩序と調和なくしての、社会の平和、ユートピアという事はない、ということ。さらに、個人の義務として、責務として「愛の実践」がある、ということ。愛を述べ伝える、という必要がある、ということ。他の人々を良くしよう、という思いがあること。

そして、第三に「発展」という考え、「繁栄」という考え。自らも伸びて行き、自らも、天高くなって行こうとする気持ち。そして、また、大いなる役割を与えられたならば、その役割を実践し、実行し、巨大な巨大な光となって世の中を導いて行こうとする気持ち、これが大事です。

神の愛する人間像には、(本来、対象外となる様な)地獄霊も悪魔もありません。そうした者は、神の愛する人間像を知らない人達の生き方(をしているだけ)なのです。

どうか、この三つの観点、秩序と調和を目指し、愛を実践し、自らも発展して行こう、という、この三つの観点を忘れずに、大いなる人格を築いて生きて行って頂きたいと思います。

(ここからは、現在の日本の問題について、語られます)

現在(30数年前)の日本において、一番の問題と言えるのは、心の、中心の部分の不在、という事であろうと思います。

国が、どの様に乱れても、国の中心となる考え方、国の根本となる考え方が固まっている時には、国の乱れは、やがて収まって行きます。これに反して、根本思想、中心の思想が定まっていない時に、混乱が来、国難が来た時に、その国は分解して、やがて潰れて行くものです。

私は、現代の日本に、そして、現代の日本人に、特に問いかけて(求めて)おきたい事としては、根本的なるものを持て、心の中軸を持て、という事です。心の中軸を持たない人間は、やがて、様々な試練の中を、乗り越えて行くことが出来なくなって行くでありましょう。

これに反して、心の中軸を持っている人は、その中軸を頼りにして、どの様な困難の時にも、どの様な嵐の時にも乗り越えて行けるのではないか、と思います。この「克服の原理」という事が、何にも増して大切ではないでしょうか。

結局の所、自分自身の心、一人ひとりの心の中に、「確固たる不動心」が出来ているかどうか、という事であろうと思います。

では、その確固たる不動心は、一体、どの様にして出来るのでしょうか。

やはり、根本的には、人間の内には、そうした、核となるべきものはあるけれども、それに気付くという過程においては、様々な方々からの力、環境の力や人々の力が働いている、という事を無視することは出来ないのだ、と、私は思うのです。

この意味において、「環境づくり」ということが、とてもとても大切な事の様に思われるのです。まず、「人的環境」です。人々が、善良であって信仰心に溢れている人々であるならば、そうした中で育った子供達も、また、善良で信仰心溢れた子供達が育って行くでありましょう。信仰深い人々の間に生まれた子供は間違いなく信仰深いのです。心のきれいな人々の間に生まれた子供は、やがて、心がきれいになって育って行く事となります。

この様に、やはり、人的環境という事は、とてもとても大事であろうと思います。

この、人的な環境を、別な側面から捉え直すとするならば、教育環境と言ってもよいかも知れません。その人間が生まれ育つ過程において、どの様なものを学び取るか、学び得るか。また、その者が学び取る材料として、如何なるものを提供する事が出来るのか。これが問題となるのです。

こうして見ると、現代の日本を見た時に、(教育に用いられ、あるいは、教育的な役目を果たす書籍や資料に、)心の大切さ、人間の生き方の大切さ、また、信仰の大切さを説いたものが非常に少ない、という事。こうした事が言えるのではないでしょうか。

根本原因は、やはり、(蔓延している)唯物思想であろうと思います。そうして、無神論を名乗ることが、知識人の証明である、かの如き、社会風潮でもあろうと思います。

こうした風潮の中には、マスコミ、と言われる、新聞、テレビ、雑誌、こうした者どもの害悪が激しい、と言えると思います。こうした者達は、一体、自分達が、どれほど、社会に、世の中に、人々に、そして、現代から後代の人々に害悪を流しているか、という事を知らねばなりません。

つまらない風俗雑誌が、あちらにもこちらにも溢れて、そして、その中に流れているのは、この世だけが全てだ、という考え、快楽追及の考え、物こそ全てだ、という考え、これが中心であり、「神」とか「霊」とか言うと一笑に付してしまう、そうした(頽廃した社会的風潮を蔓延させている)現状があります。

報道という姿勢に関しても、やはり、一つの(根本的に正しい)観点が要る、(そうした)一つの視点が要る。それは、この地上は、神の心の反映が実現されるべき所である、という視点です。神理に基づいた視点です。神理から観て、現在の世の中の、どこがどう(方向性が間)違っているのか、どの部分を、どの様に伸ばして行けばよいのか。こうした面を見逃して、勝手な憶測や勝手な価値判断から、いろんな(混迷した)情報を氾濫させている彼らの存在は(地上で神理を実現して行く上で)非常に問題となります。

こうした風潮に対して、勇気を持って立ち上がる人が数多く出て来なければなりませんし、報道関係の人々の中からも心ある人達が出現する事が、大いに期待されるわけです。

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