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食とアセンション

2017年07月10日 | 日常生活

まず、今の私たちの食事というものは、一つの習慣だということがあります。食事が、必然から、習慣、つまり慣性、惰性と言っては言い過ぎでしょうか、そういうものになってしまっているのではないかということなんです。例えば、トマトに砂糖をかけて食べる人には、私のような醤油で食べる人の習慣は、理解出来ないかも知れません。でも、習慣だから、そういうやり方を続けている、ということなんです。

いちど身についた習慣というものを、変える、改めるのは難しい場合もあります。毎月一回は、焼肉屋でお腹いっぱいホルモンを食べるのが楽しみだ、とかいうことになるとそれを、来月からいきなりパスタに変えると、禁断症状が出るかも知れません。まあ、これはちょっと冗談ですが、そのくらい続けたくなるものなんです。

焼肉の話が出ましたが、私は数年前から、肉類や魚類などを食べなくなりました。でもそれまでは、それなりに食べていました。何かの集まりで、持ち寄りの食事会ともなると、自家製のローストビーフを持参することも多かったくらいなんです。

でも、肉や魚を食べなくても、いま特に何もストレスを感じないのは、もう充分にそういうものを食べる体験をしてしまったという感じがあるから、ということなんです。

どうして、そういう、もう十分だとかいう感じがするのでしょうか。

例えば、いやというほど何かを食べさせられた体験があるとします。子供の時に、料理で余った茹で卵を食べたけれど、それだけでお腹がいっぱいになって、茹で卵を見るとその時のことが甦ってきて、もう二度と食べたくない、というような場合ですね。

私の場合は、そういう特定の記憶と結びついている訳ではありませんが、味を憶えているということでは、同じかも知れません。例えば、豚肉というものはこんな風な味だ、というのを思い出すわけです。そうしますと、もう改めて食べる気もしなくなるということなんです。別にその味でなくても、他のものでお腹が満たされればいいわけです。

そういうふうに、一旦、味を憶えてしまうと、イメージだけで追体験すれば、それはエネルギー的には、食べたのと同じことになるのではないでしょうか。ただ後は、胃袋を満たすという物理的な問題だけになる訳です。

味を憶えるには、やはり丁寧に、ものを食べる必要があると思います。豚肉なら豚肉で、まず茹でたり焼いたりしたものを、調味料なしで、ゆっくり味わいながら食べてみます。そうしますと、まあ、そのままの味、と言いますか、豚肉の味の記憶のベースが出来るわけです。あとは、いろんな料理の仕方、調味料の味などの問題になります。そういうふうに分けると、憶え易く思い出し易いと思います。

一旦、調味前の素材の味を憶えてしまうと、そのものの食材としての本質にも気づくかも知れません。つまり敢えてそのものを食べる必然性が、どこにあるのかということなんです。

 


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