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法律とアセンション2

2017年12月31日 | 宇宙の法
現在、自動車を公道で走らせる場合、その車両は、いわゆる「車検」というものを受けなくてはならないことになっています。それは、「道路運送車両法」という法律が元になっています。その法律の第58条には「自動車は国土交通大臣の行う検査を受け(中略)なければ、これを運行の用に供してはならない」とあります。また、これに違反した場合は「六月以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する(第108条)」とあります。これは厳しいですねぇ。まさにドラコニアン法の面目躍如といったところではないでしょうか。

自動車(以下クルマ)を走らせる為には、それが安全な状態でなくてはならないことは誰でも分かります。ですから、クルマに乗る人は、誰でも自分が乗るクルマの状態に、ある程度気を付けているのではないでしょうか。例えばブレーキですとか、ライトですとか、ハンドルの切れ具合などは、具合が悪ければ、そのまま乗る人は居ないのではないでしょうか。

私は30年以上の間、自分で車検場にクルマを持ち込む、いわゆるユーザー車検というのをやって来ましたが、車検というのは車検場では、それほど専門的な難しいことをやるわけではありません。排気ガスの検査の基準は厳しくなったかも知れませんが、その他は、ブレーキやライトの向き、速度計、車軸の向きなど使用者が工夫すれば自分で出来る様な、昔と殆んど変わらない単純なものです。

私が乗って来た幾台もの中古車などは、何度も事故になりかねない、故障による非常に危険な経験をして来ましたが、それらは何れも車検とは無関係な箇所の故障によるものでした。その故障を見越した点検や検査をする場合は、もっと完全で非常に綿密なものでなくてはならないでしょう。

そこで思うわけです。殆んど無用の長物的な車検制度を、厳罰を課してまで、なぜ続けるのか、と。そのレベルならば、ユーザーを親切に指導して、自分で簡単に日常の点検をさせるだけで充分で、そのほうが得策ではないのか、と。

ところが、そういう柔軟な対応がなかなか出来ないのが、レプティリアンが持ち込んだ、この全体としての法律制度自体の持つ性格のようなんですね。まあ、車検の年毎に自動車税、重量税ですか、ああいう物を捲き上げる口実が必要なだけなのではないかと思うわけなんです。そうして、なんだかんだと拘束をして一般市民からネガティブなエネルギーを吸い上げるという訳です。

いま私の住んでいる所は、それほどクルマがなければ不便でしようがない様な場所ではありません。やれ税金だ強制的な検査だというその重さに耐えられず、クルマを手放すスローな暮らしに移行したところです。


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