こんな作文みつけました
小学生時代に不登校だった子どもの作文(現在高校生) 山下顧問を通じ本人の承諾を得て掲載2025/4//19
なんか、しょうもないことだと笑われそうだけど
自分は小学生の頃から学校が好きじゃなかった。
友達はいたし、好きな先生もいたし、全てが最悪ってわけでもなかったけど。
昼休みのケイドロに全員参加(強制)とか、
体育の授業でペアができなかったら見学とか、
苦しいなと思うことが多かった。
しんどくて、学校に行きたくないと泣いて、親を困らせた。
学校を休んだ次の日に、担任の先生に
「何で学校休んだの?」
と聞かれて、貴められていると感じて怖かった。
その時の先生がどんな気持ちでそれを聞いたのかは分からないけど、
その時の自分は、「学校を休むことってそんなに悪いことなんだ」と思った。
親も、自分の子供が学校に行きたがらなくなるなんて、思っていなかっただろうし、とても困惑したと思う。
最初の方は、学校を休むことに否定的だった。
親も、先生も、兄や姉も、みんな学校に行けと言った。行かないのはサボりだって。
行かないなら辞めろって。
(やめていいなら、喜んでやめるよ。でもそう言ってもやめさせてくれないんでしょう。学校は行かないといけない場所だから。と、当時は思っていた。)
私はそれを聞いて、学校に行けない自分を後ろめたく思ったし、みんなと同じことができない自分が大嫌いだった。
だけど学童保育の大人たちは、そんな私を否定することなく、「学校を休んだっていいじゃん」って笑ってくれた。
嬉しかった。
5年生の時の担任の先生は、とても優しい先生で、学校に行けない日があっても、怒ることなんてなかった。
むしろ笑顔で「きつい時は休んで良い」と言ってくれた。
その一言で、学校に行くハードルが下がった。
その先生が担任になってからは、休むことが少なくなった。
それでもやっぱり、学校が嫌いなことは変わらない。
勉強が大事なことは理解してる。
学校は勉強するための場所じゃない、
集団生活を送る上で、合わない人がいるのは当然だというのも、嫌というほど分かってる。
だけど、辛いんだ。苦しいんだ。
将来のために頑張る必要があると理解している、
だけど、辛いと思うことが確かにある。
辛いけど頑張ろうとする自分がいるから、
休みたいと泣いている自分をなかなか許してあげられない。
そして頑張って学校に行って、結局心も体も疲れてしまう。
高校生になっても、学校に行きたくない気持ちは毎日ある。
頑張りながら、生きている。
だけど私はこう思う。
頑張ることも大切だけど、
自分も励ましながら生きることも必要だけど、
辛くて、きつくて、しんどいときに頑張ってしまったら、もう歩けないほど疲れてしまう。
大切なときに行動する元気が無くなってしまう。
だから、私は、
本当にしんどいとき、足が思うように進まないときは、休むことにした。
逃げれるときに逃げないと、私は死んでしまうから。
今は休みながらゆっくり生きて、
大人になっても、休む自分を許せる心を作る。
その方が、多分、私は長く生きられる。
今日は少しお休み。
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