ふれんず301号より 会員Hさんの投稿
高校に一日も行かなかった息子の30歳の今
息子は我が家の3番目の子どもで、小さい頃から感受性が強い割には社交的な子で、小学校入学前には「ともだち100人できるかな」などと歌って入学を楽しみにしていました。
▶ところが入学して1ケ月程たった頃、ある事件が起こりました。その事件自体はクラスの一人の男の子が家族関係の寂しさから起こした事で、息子は被害者という立場だったのですが、息子は相当傷つき、親の私も未だにトラウマが残っている程の出来事でした。それ自体は起こってしまったことだから徐々に傷を癒すしかないとしても、その後の担任の先生の対応があまりに理不尽で、頭を何度も殴られるようなショックを受けました。
主人とも話し合ったのですが「どう考えても先生の対応はおかしいけど、入学したばかりで担任の先生と信頼関係を築けなかったら子どもにとって良いことはないだろうから、今は黙って見守るしかないね」ということで気持ちを納めていました。しかし、我が子はもちろんのこと、こんな対応をされる担任の先生のもとで、小学一年生のこのクラスの子ども達は大丈夫なのだろうか?健やかに育つのだろうか?と、かなりの不安を感じました。
案の定、日を追うごとに息子は「今日は○○君が○○君に殴られてケガをした」とか「今までいい子だった○○君がしょっちゅう蹴るようになった」など、暗い顔をして言うようになりました。この担任の先生は全てにおいて罰を与えるという対応なので、給食中にしゃべっても罰ということで、何人も壁を向いて黙って給食を食べていたのを他の学年のお母さんがたまたま見て「あのクラスおかしくない?」と言われていたと、後になって聞きました。
学校で飼育していた動物をクラスの子が殺したという話が出た時に、校長先生に相談に行きました。これは本当であっても噂話であっても大変なことだと思うのですが、校長先生は事実とも事実でないとも何も言われませんでした。「校長先生、このままだとこのクラスは大変なことになります」と言ったのですが「担任には指導はしてるんですけどねぇ」と他人事のような感じでした。
クラスは完全に学級崩壊の状態になりました。小学一年生なのに毎日暴力事件が起き、授業参観の時であっても、授業中にもかかわらず何人も教室をウロウロしたり、机の上に乗ったり、廊下に出たりする子もいました。先生は、まるで何も見えていないかのように何も言われません。いつもは罰を与えていると聞いていたのですが。
後で同じクラスのあるお母さんから聞いた話なのですが、下の子どもさんのために幼稚園に入園する準備をされていたそうです。その時に一年生の息子さんが「幼稚園はよかね、小学校は行かん方がよかよ。毎日殴られたり蹴られたりせんといかんけんね」と言われたそうです。息子さんはそれが小学校の普通の事だと思うしかなかったのでしょう。お母さんはその時、息子さんが何のことを言っているのか、訳が分からなかったそうです。
息子は段々と朝起きれなくなり登校班に遅れがちになりましたが、「行きたくない」とは言わなかったので、私は毎日普通に送り出していました。後で分かったのですが、この頃私は子どもを夜9時過ぎには寝かしつけていたのですが、息子は夜ずっと眠れなかったそうです。朝起きれないのは当然でした。
▶そして10月頃だったと思います。ある朝
「お母さーん、足が—・・・立てないよ——!」と泣きながら叫びました。瞬間に私の頭の中で「あぁ、ついにこの時が来たか!クラスの子達は大丈夫だろうかなんて私は心配してたけど、我が子が一番にここまできてしまったじゃないか」と、クラスの状況が息子に与える影響に鈍感だった自分を責めました。そして「身体がここまでになるなんて・・・もう学校なんか一生行かなくていい」と思いました。
立てない息子をすぐに抱きかかえて病院に連れて行くと「重度の自律神経失調症です。よほどのストレスがないと、ここまではなりません。お母さん何か心当たりはないですか?」と言われ、「あり過ぎる程あります」と答えました。
病院の先生が原因に納得してくれたとしても、ここまでこじらせてしまったらなかなか治らないということは分かりましたし、一生治らないかもと覚悟しました。少し勇気は要りましたが学校が原因で病気になったのなら学校から少し遠ざけてみようと思い、休ませて様子を見ることにしました。その時は学校に呆れてしまったという感情が強かったと思います。息子の病気を1ミリでも良くすることに専念しようと思いました。本人も学校に行くとは言いませんでした。
数日たって少し落ち着いた頃息子が「あんなクラスなのに、みんな行けてるのに僕だけ行けないなんて、僕は弱い子だね」と言いました。思わず「弱くなんかないよ、○○はね、心が深いんだよ、だから深く傷ついたんだよ」と言って抱きしめました。私は決して優しい母親ではありませんが、これからこの子はずっと学校に行けなくなるかもしれないし、その事でコンプレックスはできるだけ感じさせたくないと思いました。実際、本当に心が深かったり正義感が強い人ほど、傷つき不登校になりやすいと思っています。
ある時、堂野博之さんの『あかね色の空を見たよ』をテーブルの上に置いていたら「これは何の本?」と聞くので、「昔不登校だった人が書いた本なんだよ」と言ったら「そうなんだ、その人よっぽどいい人なんだね、不登校になるなんて」と言いました。心の中で「よっしゃ!」と嬉しかったです。(笑)
ある日、あまり人の来ないような所に車で連れて行って辺りを一緒に歩いていたのですが、その時に「お母さん、僕もう学校では走れなくなったけど、ここでは走れるよ!」と言ったのです。かけっこが大好きだった息子が学校では走れなくなるところまで来ていた事を、この時初めて知りました。
そして当時私は知らなかったのですが、この頃クラスで4人の子どもが学校に来れなくなっていたよう
です。みんなあまり横のつながりがなく、それぞれ我が子だけが学校に行けていないと思っていたみたいです。一人は「うちは一人っ子で甘やかしているから、学校が怖いなんて甘えているのだろうか」と思い、一人は「うちは父子家庭で行き届かないところがあるから、こんな風になったのだろうか」と思い、一人は「母親が働いているから良くないのかな」と思っていたようです。
▶2週間ほど休んだ後、本人が「学校に行ってみる」と言うので送り出しましたが、それでもお昼からしか行けません。家に帰ると文字どおり玄関で倒れ込みました。これは「不登校あるある」のようですが、不登校の子は学校では一生懸命自分を普通の子どもとして見て欲しくて必死に頑張ったりするようです。頑張りすぎて、次の日からパッタリ行けなくなります。そしてこれも「不登校あるある」なのですが、それを見て学校側は「なんだ元気じゃないか、親は心配しすぎだよ」となるようです。さらに次の日に休むと「昨日あんなに元気だったのに。やっぱり親が甘やかしているから」となるようです。
この時の担任からも、責めるような感じで「昨日はとても元気でしたよ」と言われました。こういう子に対しての理解は全くないと分かっていたとはいえ、失望の連続で、こういった無理解によって親の命まで削られるような思いでした。
学校に行けたとしても「さみだれ登校」という状態でしたが、こういった状況では他の子どもさんが数日で治る風邪でも、息子は2週間も3週間も治りませんでした。どうせ休ませるなら診断書を出して堂々と休ませてあげたいと思い、例え風邪であっても診断書のために病院には行っていました。お薬をもらって治るということはなかったのですが。
ある時、漢方のお薬のほうがまだ良いかもしれないと思い、少し遠い所でしたが行ってみました。いつものように沢山の検査をした後に、先生からのお話がありました。「慢性疲労症候群ですね。お母さん、大変だったでしょう?今若い人に多いんですよ。こんな子どもさんだったら表現できないから余計に辛かった
でしょうね。この病気の一番大変なところは、他人に分かってもらえないというところなんですよ」そう言われた時に「あぁこの先生は、この辛さを他人に理解してもらえないことを、理解しておられる」と嬉しくなって、泣きそうになりました。「薬が全く効かなくても、そこを分かってもらえただけで、今日来た甲斐があった」と思いました。
▶中学生になると本当に有難いことに、担任の先生やクラスメイトに恵まれ、奇跡的に2年間はほとんど休まず登校していました。(この頃は郡部から熊本市内に引っ越していました)ただ、それまでを見ていた私からすると、不登校の子どもが無理して学校に行っている状態のように見えて、ある日何かあると、プッツリと糸が切れたようになって、また長いこと行けなくなるのではないかと思っていました。
そんな折、3年生になり高校受験を考える時期に、息子から相談されました。「自分は○○高校に行きたい。(○○高校は4歳上の娘が行っている高校で、何事にも自主性を尊重し、朝練などもないらしい)もしそこに落ちても他には行きたくない。だから私立の併願もしないことにする。いいよね?」と。
もちろん学校の先生方も驚かれて、先生や親御さん達から心配の電話がありました。100%その高校に合格するだろう人でも、そんなことはしないでしょう。まして息子の合格率は五分五分くらいだったと思います。先生が心配されるのは無理ありません。失敗したら、その中学校から一人だけ進路先のない生徒が出てしまうわけですから。電話をかけてきて「あなた熊本の人じゃないの?熊本は高校名で生きていくんだよ」と言われたお母さんもいました。
でも私は内心、受かればそれはそれで有難いけれど、受からなかったら、この子は一生このままレールを走らされるのではなくて、少なくとも高校に行かない分3年間ゆっくり休めるのではないか、と思いました。
長い人生、それは特に息子にとっては大事な期間だと思ったのです。おそらく息子にとってのその高校の魅力は「放っておいてくれる」と「朝練がない」事なのだと思いました。そのくらい疲れていたのだと思いま
す。先生にも私が息子の考えに反対していないことだけは伝え、何とか納得してもらいました。
▶結果として息子はその高校に合格できませんでした。それなりにショックはあったと思いますが、すぐに高卒認定試験に向けて準備をし、その試験にはその年の夏に合格することができました。
これから3年間ダラーッと過ごすのは良くないと思い「何か運動をしたら?」と勧めました。空手をやってみたいということで探してきた道場の先生がとても良い先生で、お陰で生活にメリハリがつきました。
そして何か楽しみも大事ではないかと思い「やりたい趣味はない?」と聞きましたら「麻雀がやりたい」ということで、近所の健康麻雀教室に通うことになりました。これもまたとても良い先生で、年配の女性の先生に今も感謝しています。麻雀も強くなって私も教えてもらいました。
結局塾にも予備校にも行かず自宅学習で行きたい大学を目指していたら、3年ゆっくりした後2年浪人した感じになりました。自宅で5年過ごしたわけです。
後の方の数年は、手探りの受験勉強による焦りもあって決してゆっくりはできなかったでしょうし、親子喧嘩もよくしました。何の保証もなく何処にも属さないという立場を生きるのは結構大変で、自分が決めた事とは言え“自分は果たしてどうなるのだろうか”という不安は大きかったと思います。まして思春期は人生のサナギのような時期ですから、理屈で納得できることばかりではなく、この頃は一生分の親子喧嘩をしました。そんな時や受験に失敗した時は、お互いに苦しいわけですから、できるだけ美味しいものを一緒に食べに行って、まるで記憶を書き換えるように気分転換を図りました。
▶そして有難いことに、本人が行きたかった大学に合格できました。これは本人の人生で、かなり大きな自
信になったと思います。4年間ずっとアルバイトも続けながら、卒業できました。最後のアルバイトが塾の講師だったのですが「高校に行かなかった自分が高校受験生を教えている」と笑っていました。心の中で生
徒たちに「高校に行けなくても何とかなるよ」と言ってしまいそうになるけど、親御さんに怒られるだろうから言わない、ということでした。
塾のオーナーが元大手広告代理店におられた方で、息子が「自分は高校に行っていないので就活の時にかなり不利になるでしょうか?」と聞いたら、「いやいや、大企業のお偉いさんの子息は結構不登校が多いんだよ。だから大企業ほどそういうの気にしないと思っていいよ」ということでした。実際、就活をした時に大きな企業ほど、高校名を書く欄に“高卒認定”の項目がちゃんとあったそうです。今は更に良い方に変化しているかもしれません。
▶就活の時はネット等を最大限に駆使して、ホワイト企業に絞ってチャレンジしていたようです。何しろ高校受験のキーワードも「放っておいてくれる」と「朝練がない」でしたから、ホワイト企業というのは本人にとって一番大事だったのだと思います。ネットの情報がどれ程正確なのかは分かりませんが、縁があって入社した企業は本当にホワイトでした。
その会社では色んな経験をさせてもらい、会社自体には何の不満もなかったのですが、本人の心の中にはずっとくすぶっていた感情があったらしく、それは「ワクワクする仕事がしたい」でした。大学の卒論もエンターテインメント関連だったらしく、やはりその夢を追いかけたいということでした。何度も何度も言うのでその意志は理解できましたが、そのワクワクはするだろうけれど忙しく目まぐるしい世界で、息子の体調が維持できるのかだけが心配でした。今ホワイトの会社だからやっていけているのではないのかと。
私は知らなかったのですが、本人は会社で働きながら、何度も何度もゲーム会社に転職するべく試験を受けていたようです。そして何度も何度も落ちていたようです。
しかしやっとある会社に合格することができ、その日は「本当に信じられない夢のようだ!」と喜んでおりました。「恩返し」と言って3月31日まで前の会社でキッチリと働き、4月1日から新しい会社で働き始めました。
▶入社してみるとそこはやはりとても忙しく、特に息子の配属先は人気のあるゲームの部署らしく、新しく覚えることばかりで、私としてはいつでもタオルを投げられる心構えをしていたのですが、4年程経った今も元気に働いています。高校には行っておりませんので、中学と大学の同級生達が息子の名前(ゲームの最後に出てくるクレジット)を見るのを楽しみに、そのゲームを買ってくれているそうです。
最近面白いと思ったのは、息子は「重度の自律神経失調症」とか「慢性疲労症候群」などと診断される位いつも体調が悪かったのに、先日同じ部署の同僚たちが忙しさで何人も体調が悪くなる中、職場で上司から息子に「藤岡は体力があるからなぁ」と言われたことです。都内で一人で自活していますので毎日の様子は分からず、たまには休んでいるのかなと思っていたのですが、どんなに忙しくても病気や疲れで休んだことはないのだそうです。上司の言葉を聞いた時には思わず吹き出してしまいました。娘に言ったら「そんなのうちの子じゃないわ」と言っておりました。息子が他の人より体力があるなどと言われる日が来るとは、思ってもいませんでした。
▶フレンズに来られている親御さん方、みなさんは今はとても不安だと思います。私もそうでした。一生学校に行かなくていいと覚悟したはずなのに、「この子はどうやって生きていくのだろうか」と心配でたまりませんでした。「自分の何が悪かったのだろうか」と考えて、眠れないことも何度もありました。
不登校は原因も表現方法も、みんなそれぞれ違います。でも、今学校に行けないからとか、今普通のことができないからといって、将来仕事に就けないとか、普通に自立できないとか、そんなことはありません。それは断言できます。子どもはいつでも変わることができます。大船に乗ったつもりで、認めて支えてあげてください。その事を伝えたくてこの原稿を書かせていただきました。