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登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

息子は苦しかったと思います  ふれんず261号より

2022-01-30 20:55:03 | 会報「ふれんず」から

4 息子は苦しかったと思います

: 高2の息子です。高1の頃から朝起きなくなって、最初軽く考えていました。早く支度して、と言ってたけど、それでも起きない。学校には自分で電話して、とか言ってました。いろんなことに自信がない。今は何もないかなと思う。
一人っ子です。友達がいない状態です。つながりを持ってほしい。バイトしてほしい。まだその元気がないようですが。きっかけが何かないかな、と思います。
今年10月に通信制に転校しました。今年6月までは単位が足りない、どうするか、ということになっていましたが、私はギリギリまで「戻ってほしい」と言っていたら、息子を追い詰めてしまった。「なんで無理矢理そんなことばかり言うの。何も分かってくれない」と言っていました。
私が通信制に行くことを認めたら「やっとお母さんが諦めてくれた」と言いました。  人と接するのは怖いので、登校しなくていい通信制を選びました。それまで私は「1時間でも学校に行けるようになることが、あなたのためになる」と言っていました。息子は苦しかったと思います。

B : 中学の時はどうでしたか?

: 普通でした。テニス大会で優勝したりしてました。
高校に入って急に行かなくなりました。
 
B : 高校で何かあったんでしょうね。

: 親友だった子と何かあったようで、20人もいない少ないクラスなんですけど、ぎくしゃくして追い詰められて「もう学校に行かない、やめる」と早い段階で言いました。「僕は無理」と言ってて、学校の先生にも相談して、「学校ではどうですか」と尋ねたら「寝てばかり」と担任は言いました。

B : 心配事があって眠れなかったんじゃないのかな?

F母: 中学の時の友だちが呼びに来てくれてました。「来なくていいよ」と言ってたら、来なくなりました。ギリギリの精神状態の子を、父親が送って行ってました。高1の3月まで行っていました。今は、生きててくれたらいいかなって思っています。
中3の時は楽しく行っていました。友だちとも仲が良かった。高1の時、部活も一緒でベッタリだった子に拒絶されたことで、行けなくなりました。親友と思っていたのに何故こんな風になったのか。その子は、遠回りになるのに、学校を通り越して迎えに来てくれて、一緒に学校に行っていたんです。異常と思えるほど密着した仲でした。

B : 何かあったのでしょうか


: 親友から「お前は無視した」と言われたそうで、息子は「そんな事はない」と言ってたけど。

:  うちの子の場合、学校に居場所がなかったんだろうな、友だちが作れなかったのでは
と思ったりしました。

: 「なんで?」と聞くのは怖いですよね。聞いてみた方がいいんじゃないと、言ったりしました。それで外に出て電話してました。それが最後だった。
人数が多いと他に逃げ場があるのだけど、息子は「自分は無理。教室に入れない。その子の姿が見えただけで、蕁麻疹が出る」とか言って。
今はあの時と比べると、鼻歌を歌ったりして表情も良いです。

B : お父さんは理解を示されていますか?

: 父親は早くから通信制に移していいんじゃないかと言っていました。私と考えが違っていたんですよ。父親と母親の意見が違っていました。「お母さんは僕に無理ばかり言う」と言ってました。
父親は最初は気付かなかった。学校から連絡があるまで気付かなかった。あんまり父親と仲がいいわけではなく、何かあるとギリギリまで溜めといて私に言ってくるから。

B :  溜めっぱなしでないから、いいですね。

: お父さんが、通信制に行っていいと認めてくれてます。私が言ってたことが、息子は嫌だったといいます。

B : お父さんはスーッと通信制って考えられたんですね。

: 父親は、入った学校を卒業しなくてはと思ってなかった。精神的により、身体が大事だと。私は元の学校に戻るのが本人の為と思ってました。蕁麻疹が出たときかかった皮膚科の医者から「そこまでして学校を続けさせる必要ないですよ。他にもあるじゃないですか」と言われて、私も考えるようになりました。