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朝日記220617 その5 意識について

2022-06-17 21:40:57 | 絵画と哲学

朝日記220617 その5 意識について

 

トップに帰る; 朝日記220613  表紙 目次 抄訳「意識」Consciousness」

 

その5 意識について

 

~~本文~~~~

(まとめ 9.4  物語的解説理論 Narrative Interpretative Theories)

  1. 意識のある理論はそmの意識についての事実の通訳的な本性に力点を置いている。
  2. 意識的であるということと、そうでないということは常に決定的なではない、あるいは少なくも通訳的判断のよりおおきな文脈から独立ではない。仮想的現実の視点として、それself自身を扱う。 どの与えれた瞬間でも、たくさんの種の内容固定がその脳をつうじておきているという事実がある。
  3. その人の意識的状態の現実事態は、仮定物語りとなんらかの関係があるというものである。
  4. 例 Multiple Drafts Model (MDM)は意識について、もっとも顕著な哲学サンプルでありDaniel Dennett (1991) が進めた。

 

  1.  これは表象主義と高次元理論の双方のエレメントをつなげている
  2. 意識としての主観の排除。デカルト劇場やその他のものの所在を排除する。さらにクオリアの存在を否定し、かくして意識状態と非意識状態が共存しているとして意識状態を分別するいかなる試みを否定する。内部的観察者としての自身の観念も同様に排除するのである。

 

 

(まとめ 9.5  認知理論Cognitive Theories)

  1. 意識にかかわるたくさんの理論があり、それは、明確な認知的構造をともなうもの、もしくは、構造と行動の特定のパターンをともなっているものを対象としている。
  2. Global Workspaceグローバル作業場の理論; 認知的アプローチの主要な心理学的 理論である。

Bernard Baars (1988)によるglobal workforce理論は、processorsとoutputsのなかでの競合意味の意識の選別伝達構造と機能を記述する  。

3.認知cognitionのモデルを想定する;  ( input → process → output)のユニットからのoutputとしての。脳神経系内では複数ネットの情報フロー構造を想定する。

4容量限度から伝達bottleneck:.上位のユニットからのoutputを下位のユニットに伝達するときに伝達能力の容量限度から伝達の競合がおこる。ネットワークは主感覚野とおなじく前頭野および頭頂野であるが、ユニットに序列がある。 

  1. インパルス応答特性; Dehaeneは 意識感受がそのおおきなglobal networkの“ignition”着火モデルなど、インパルス応答特性によるシステム動特性など工学的アナロジーを連想させるものがある。認知意識のレベルは、外的な刺激から、色彩、形状、感じのような中間的情報レベルのものを意味しており、松の樹や、わたしの車のキーなど全体としての意識経験と思考のような高次のレベル判断とは区別しようとしている記述である。 

 

 

 

(まとめ 9.6 情報総合化理論Information Integration Theory) 

ToniniのITT( Tononi's Integrated Information Theory)の提案を紹介している。意識を情報としてとらえ、その情報価値して数学的測度φを提案した。

この概念はひとつのシステムをこえて上位システムを包含した構造的情報価値を数量化した提案である。

この意識についてのnotion考え方はPanpsycheismの形式を含んでいる。

本文の訳は以下である;

 

 たくさんの源からの情報の総合化は意識の重要な容姿であり、上述(section 6.4)したように。それはしばしばその主要なfunctions機能のひとつとして位置づけられるのである。    

しかしながら、神経科学者Giulio Tononi (2008)の提案さらに先をしめす。かれは総合化された情報によって意識を同定するに及び、さらに適正なる種の情報総合化は、意識のためには必要にして十分であり、しかもこれはそれが現実化しているsubstrate基体に関わらないのである。基体は神経系か生物系かである必要はない。

Tononi's Integrated Information Theory総合化情報理論 (IIT)によれば、意識はsystemsシステムの純粋情報-理論的固有性質である。

かれは数学的測度φを提案したのである、これは情報を与えられたシステムの部分として単に測るのではなく、その部分のそれのうえをこえてのシステムの組織にふくまれる情報をもねらったのである。

φはかくして、情報的な総合のシステム度量に対応するのである。

そのようなシステムはたくさんの重畳したcomplexes複合体を含むことが可能であり、そしてその複雑体はφ valueの最高値がIITでの意識となる。

IITによれば、意識は量的に変わり、それがφ valuesに対応する大きさの度量となる。

かくして、単純な光ダイオードの単純なシステムでさえ、ある度量での意識となる、そこでは、それがより大きな複合体のなかに含まれていない状態として見た場合とする。

この意味において、IITはTononiが明示的に支持するpanpsychismの形式を含むものである。

IITによれば、しかるべき意識の質はしかるべき総合化された複合体のなかでの情報的関係全体によって決定される。 

かくして、IITは現象的意識の量と質の双方とも説明することをねらう。他の神経科学者、Christof Kochが顕著であるが、IITのアプローチをもまた支持している(Koch 2012)。

 

 

 

(まとめ 9.7 神経系理論 Neural Theories)

1.意識の神経理論はたくさんの形式が出されているが、この筋での関心でもっとも多いのは“neural correlates of consciousness”意識の神経的相関またはNCCsとよばれるものである。

表象的(説明的)神経理論では適正なる相関がなぜ、また如何に存在するかを説明する必要がある、単なる相関以上のもの要求する;すくなくともNCCsは意識の基本基質でなければならないとし、神経活動と意識の記述論的な相関性および説明性の研究成果をあげて状況説明をしている。

2.現象的意識など記述的意識理論でいうメンタルな内容に対する神経理論が実験的成果から内容的に満足するものがでてきたことを例示している。大脳皮質の脳全球的あるいは局所的な活動領域と意識内容(たとえば視覚意識)との対応説明が例示されている。global neuronal workspace model (Dehaene 2000) 、心理学者Victor Lamme (2006)および哲学者Ned Block (2007)

  1. 二元論者が要求する説明水準への到達のロードマップは遠いようであるが、現象上の知識は急速におおきくなるであろうし、また医学治療分野などでの成果はさらに期待されてあまりあろう。(荒井)

 

 

(まとめ 9.8  量子理論Quantum theories)

 

  1. 他の物理的理論は神経系を越えているそして意識の本性的な軌跡をさらなる基礎水準、特に量子現象のミクロ物理水準に置いているのである。

このような理論によると意識の本性、基礎は古典的物理学の枠のなかでは適正に理解できないのであり、量子力学によって提供される物理学的現実性の絵を代替的に探すことになるのである。

  1. ふたたび広範囲の特定理論やモデルが提案されており、これらが、意識の多岐にわたる容姿の説明を多用な量子現象にアッピールを行っている。しかしながら、いくつかの調査によれば、目下与えられた提案では意味を与えてはいるが、部分的であり、意味が明確であるとは言えないようである。
  2. 例 脳状態はBose-Einstein condensatesの文字通りの例ではないが、脳が同様の必然性を表現している状態可能性を作っているとみるのである(Marshall and Zohar 1990)。

この物理現象はquantum phenomenon量子現象であり、そこでは原子の集合がsingle coherent entity単一の必然的体として行動し、かつ個別の原始間の区別は喪失とするものである。

  1. 例 意識のための基礎は量子力学の全体的本性のなかで探されてきたのである、entanglement現象もその候補であるが、この現象で、相互に作用していた粒子たちはかれらの本性を保持しつづけ、相互に分離したあとにおいてさえも相互の粒子に依存している。
  2. 量子力学を使って意識は物理的現実の絶対的基礎固有性質であることを指示する、非常に基礎的なレベルでそれが導入することを要求している。かれらはwave function波動関数のcollapse崩壊でのobserver観察者の役割りを強調してきた、すなわち、量子崩壊は測定がおこなわれるときに単一の確定状態へ、可能な重ねあわせ状態からかわるという量子現実としての崩壊なのである。そこには物理的現実性はまさに観測そのものの作用であり、それがconsciously意識的であるということに依存している。

 

 

 

(まとめ 9.9  非⁻物理的理論 Non-physical theories)

 

  1. 意識の物理主義的なオントロジーを拒否する者たちは、現実についての非物理主義的視点としてそれをモデリングする道筋を見出さねばならない。
  2. その道すじは 現実についての適正な非-物理的容姿の特定本質をarticulate具体的にあつかう筋である。この理論では、意識はこの現実の非物理的様相とequate等しいとするのであり、またこの理論はこの様相にむかってit(意識)を説明するためにアッピールするのである。
  3. substance dualists物質的二元論者もproperty dualists固有性質(物性)二元論者もかれらの理論をくわしく展開しなければならないのである。 
  4. さまざまなモデルが以下のものを含んで提案されてきた。David Chalmers (1996)はpanpsychism汎心論の受け入れやすい展望版を提供した。このpanpsychismは、現象的と物理的実現の情報空間の間での心理的-物理的不変性の説明するだけでなく、さらに情報的なものから導出されたそれ自身( “it from bit” theory)として、物理的なもののオントロジーを可能的に説明するための情報の意味概念のアッピールをするものである。その他、Gregg Rosenberg (2004)の提案にも触れている。
  5. この論説全体で、特にこの章9においても、解説著者の説明の大半は物理主義的視点での意識が中心である。この章の最終9に「非物理的理論」には、取り扱いの軽さを感じる想いがある。Leipnizの意識とモノとの一体性monado哲学のながれが、ここではChalmersに代表されるpanpsychismとして登場したことは、現代哲学上でも特記事項と理解されている。つまり、意識の問題は、物理主義的なながれだけでは、将来が描けないことをかれらが認めた結果の登場なのではある。一方、二元論的なながれはこれまでとおり健在であるが、客観主義(対象主義)追求に圧倒された感は否めない。つまり物理主義のそれであった。いまなお主観主義(主観つまり意識)との疎遠ないし断絶を残している感を持つものである。
  6. たとえば、集団の意識という視点で、Dispositionの概念が現今登場しているが、それらを主観(意識)としてとらえることと客観(物理的対象)としてとらえることの認識論上さらに制度論上での(いわく)知的総合パラダイム形成が求められているのではないか、そういう二元論的位置の強固さの感想を抱くものである。

 

(まとめ 10. 結論 Conclusion)

  1. 意識についての全貌の理解にはたくさんのタイプの理論が要求されるようである。

ひとは分岐したモデルを有効にまた矛盾なく受け入れるかもしれない、それらはそれ自身の道筋での説明をしようとするものといえる、物理主義的、神経的、認知的、機能的、表象的、そして高次元視点それぞれでの意識視点といえる。

われわれの願望として意識の容姿をすべて説明する単一の理論の到達には現実感を持ちえない現状であると結論する。

かくして、合成的および複数的アプローチが将来的進歩への最良の途を与えるということに留めるのである。

  1. 近代において、人間知識に関する科学的活動のなかでは、「こころ」および「意識」は、二元論的には主観に位置し、知識の対象はつまり客観であり、研究対象のそとに置かれてきた歴史がある。
  2. したがって、これをとりあげるときは、主観として、あず個別の意識項目notionを設定しそれに対する思考対象を選択するという道筋をとるのであった。客観主義とよんでおく。
  3. 一方、哲学や記述心理学では、主観としての 「こころ」および「意識」を形而上学的な思考対象として、これも超越的二元論として思考展開の歴史をもつ。主観主義とよんでおく。
  4. 主観と客観は人間活動としてはつまり意識としてはその内容そのものが、フィードバックとフィードフォワード的に連結して意識が動的に形成変化するのであるが、その連結は期待に反して弱く、多くの場合に非連結のままになっているといえよう。
  5. 一方、主観と客観の結合の単一性もしくは透明性は、思いかけない敵対意識をもつ他からに侵害をうける危険性を危惧もありえよう。集団におけるその連結性の曖昧さのもつ積極的意味にも焦点があてがわれる価値はありそうである。 しかしその敵対性の解消後には、結合性の意識は再び、さらに求められ続けられよう。(荒井)
  6. 脳科学の分野での意識と生理との機構と機能の成果は華々しい。これは客観主義での成果である。これに受けて立つ主観主義の位置づけが孤立しているとみる。つまり、「意識」さらに「こころ」が宙に浮いているあるいはLost his anchorということになるが、事実 この解説のなかでも、哲学をふくめ学術全体のなかでながらく(二十世紀初頭以来)「意識」が忘却されてきたという。それに世界が気がついたという。これは上記脳科学からうけている哲学への挑戦であり、総合知としてのあらたな座標軸を見出すものである。

 

Bibliography (トップページ 原文の目次から入ること)


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