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函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

川田亜子さんの自殺に思う

2008-05-26 | ”自殺”・虐待・ヒトの育ちを考える
昨年TBSを退社しフリーのアナウンサーとして活躍していた”川田亜子さん”という方が、自殺された。
私は、この方をテレビでたぶん見ているのだろうけれど、「川田さん」としてわかるほどには認識していなかった。
けれど、ネットのニュースで自殺されたことを知り、川田さんについて検索してみた。世に女子アナファンは多いと聞いていたが、ネットの中には女子アナのことがあふれていた。川田さんは、ブログもやっていてそのブログも読ませてもらった。一生懸命に自分を奮い立たせている様子がすでに主を失ったブログの文中から痛々しいほど伝わってきた。そして、励ましのコメントも一日に100人もの人たちから来ていた。

なぜ、自殺されたかはわからないが、先日来読んでいる芹沢俊介さんの本に、『自殺は、他者と交換可能なシステム社会においては、最後に残された”自分であるための手段”である。』という解釈を見つけた。【『〈宮崎勤〉を探して』雲母書房】

何度も書いている通り、私は30年前の友人の自殺を背負って生きるものとして、自分自身自殺に苦しめられてきたし、自殺をなくしたいと願っている。
けれども、同時に自殺していく人たちのことを、理解したいとも願っている。
自分自身も「死んでしまいたい。」と思うつらさももっている。
こうした自分にとって、上記の芹沢さんの解釈は、今までの私の堂々巡りの思いをストップさせる強烈さをもっている。

特に、今回の川田さんの自殺は、まさに”交換可能な人気女子アナウンサー”から彼女がリタイアする一番身近な方法であったのかと思う。
5月の母の日には、母親に「なんで生きているのかわからない。」と語って、母親に泣かれ、「母の日に私は悪魔になりました。」とブログに記していたそうだ。

システム社会というものを、私はあまり身近には感じていない。
なぜなんだろうと考えると、私の身近にいる障がいをもった人たちのおかげのように思う。
彼らは、障がいゆえに経済活動にあまり参加していないが、障がいゆえにその人格は”交換可能”ではない。首のすわっていないAくんも、他の障がいをもった子とは違う存在だ。そのことに、彼らは気付かせてくれる。

人が”交換可能”な社会ってなんだろう。
そんな社会って、変だよ。

何をしているか、どんな性格か、どんだけ収入があるか、ではない自分をさがそう。自分にしかできないことがあるんだ。
それを、重い障がいのAくんが教えてくれる。
自殺したり、犯罪をおかしたりしなくても、リタイア、リセットは、できるはず。
自殺しようとしているあなた。
違う方法で、”交換可能”社会に反旗を翻そう。
そんな社会は、こっちが願い下げ。
「交換お断り!」と出て行こう。
そして違う社会で生活しよう。
あなたは、大切な人です。

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