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函館深信 はこだてしんしん-Communication from Hakodate

北海道の自然、そして子どもの育ちと虐待について

風の谷のナウシカと、キツネリス”テト”に考える「信頼関係」の築き方

2008-06-08 | ”自殺”・虐待・ヒトの育ちを考える

TVで『風の谷のナウシカ』をやっていた。

冒頭、老師ユパとナウシカが再会する場面。
ユパが腰の袋から、腐海で見つけたキツネリスを取り出す。
ユパは、キツネリスは獰猛だから、触らない方がよいとナウシカに忠告するが、ナウシカは、「かわいい!おいで!」と、キツネリスをナウシカの体に上らせる。
耳をピンと立て、怒りを身体中にみなぎらせたキツネリスは、ナウシカの差し出した指に、かじりつく。
ナウシカは、痛みに顔をゆがめながらも、キツネリスに「大丈夫。だいじょうぶよ。」と、声をかける。
やがて、キツネリスの耳から緊張がとけ、身体からは怒りが消えると、噛んでしまったナウシカの指をペロペロとなめ始める。
ナウシカは、「ね!大丈夫だったでしょう。おまえはおびえていただけなんだよね。」と、キツネリスをなで、ユパにキツネリスを譲ってくれるように懇願する。

そんな内容だと思うが、私は、この場面がとっても好きだ。
現実には、動物にだけではなく子どもに対してでも、ナウシカのように、「相手がなぜそれをしたのか」を考えての対応をとる大人は少ないように思う。
とりあえず、その場の”いけない行為をやめさせる”ことに、大人は夢中になってしまうからだ。
御茶ノ水女子大の名誉教授であり、愛育養護学校元校長の津守真さんは、『子どもの行動は、心の表現である。』という。そしてその表現は、『受信する感性をもった人の前でこそなされる。』と言っておられる。

もし、ナウシカが指をかじられた時に、キツネリスを力で押さえつけたら、どうなっただろうかと思う。
そこには、徹底的な主従関係ができ、”しつけのよい”キツネリスは誕生したであろうが、自律的に行動し、ナウシカの心の支えとなるキツネリスの”テト”は生まれなかったのではないだろうか。


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