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カテゴリー【”自殺”・虐待・ヒトの育ちを考える】の『“良い子”のパラドックス(逆説)』で、次のようなことを、芹沢俊介さんの講演内容として紹介した。
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イギリスの小児科医で精神分析家のウィニコットという人は、「子どもが一人になるためには、誰かがそばにいなければならない」と言っている。現代は、携帯電話など家族が個人化している時代だが、思春期までの課題は、『心の中に隣る人(となるひと)をつくる』こと。自分を受けとめてくれる人のそばで、子どもは初めて存在することができる。受けとめ手に対する信頼が、他者や環境に対する信頼となっていく。そうして、“隣る人”が形成されていく。
現代、『心の中に隣る人をつくる』という課題がおろそかにされている。
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そして、私にとっての、”隣る人”とは誰だろうと、考えた。
父親はスパルタだったし、母親は新興宗教に夢中でいつも不在だったし、一体誰だろう。
いろいろいろいろ思いをめぐらし、この人かなと思う人に思い当たった。
”札幌のおばちゃん”
そう呼んでいた、おばちゃん。
札幌に住んでいた小学生時代バスで3つくらいの所に住んでいて、よく遊びに行った。
旦那さんは、開業医で裕福だったから、行く度にいろいろとごちそうしてくれた。
私は長じてからは、(自分は、物欲につられて”札幌のおばちゃん”の所に行っていたのではないか。自分はなんと意地汚かったんだ。)と自ら思い、”札幌のおばちゃん”との関係を否定的に捉えていた。
だが、やはり違う。
私の”隣る人”、札幌のおばちゃん。
私に安心な居場所を提供してくれた人。