今日で今年の仕事も終わり、仕事納めの日である。1年もあっという間、今年の私のトップニュースは、狭心症の手術をしたことである。来年は70才、古稀と言われる年齢になるが、平均寿命が延びた現代では古来稀なる年令でもない。
この冬一番の寒さということで、いただきもののブルガリア製羊皮のハーフコートを着込んで出かけた。ずしりと重みを感じるが実に温かいコートで、建物の中では暑くて脱いでしまった。
いつも通り地下鉄関内駅を降りて、横浜スタジアム脇の日本庭園を、今年最後とばかり立ち寄ってみると、池の水がすごくきれいになっていた。いつもの亀の姿がみえなかったが、カルガモが数匹縦一列に並んで歩いていた。落葉樹の葉も落ちて、人気の少ない辺りはすっかり冬の様相をかもし始めていた。
大桟橋通りの信号を渡って、半年ぶりに牛丼で昼食。牛丼は41年前新橋烏森口にあった吉野家で食べたのが始まりで、その当時わけあって4ヶ月間、通勤途上毎朝のように同じ店で食べていた。私にとって牛丼は吉野家であり、家族バラバラの辛く悲しい日々のスタミナ源として、私の胃袋を満たしてくれた懐かしい食べ物である。
午後の仕事にはまだ時間があったので、いつものモリバコーヒーに入る。窓際に座って180円のアメリカンを啜りながら、道行く人や車の流れを眺めたり、ハチの家文学館のノートをリュックから出して、時々詩や俳句、エッセイなどを書き込んでいる。
午後の仕事も無事終わり、関内駅から根岸線に乗って横浜駅下車、そごう百貨店9階の神奈川の風景フォトコンテスト作品展を見にゆく。仕事仲間のIさんが特選、Nさんが入選して、是非にと誘われていた。お二人とも写真歴が長いわけではないが、何気ない情景をうまくまとめて、シャープな写真に仕上がっていた。
横浜駅東口から西口へと抜ける。まだ5時前というのに、相変わらず人人人の横浜駅である。ぶつからないように避けながら歩いて元勤務先の銀行支店のATMで記帳を行う。毎年6月と12月は年金が一番多い月で、ボーナスのない私にとって嬉しい月でもある。しかし、退職金の一部を年金化してもらっていたものは、来年9月で打ち切りになる。当面は家庭裁判所の仕事で少しばかりの報酬がもらえるものの、更なる緊縮策を考えておかないといけない。
銀行支店近くのビルに入って保険屋を訪ねる。火災保険に地震保険を付けるかどうかで悩む。いつ来るかわからない地震、このところ断続的に揺れることがあり不安は消えない。
横浜駅西口の旧東急ホテル前を通ったら、2年前に50年の歴史を閉じた横浜シアルも含めて更地になっていた。2019年を目途に33階建ての商業兼オフィスの高層駅ビルに生まれ変わるようだ。横浜に戻って25年、横浜駅界隈はみなとみらいとともに、まだまだ進化していくであろう。
ダイヤモンド地下街を通って相鉄駅に向かう。億万長者がよく出る宝くじ売り場で、終了あと3日となった年末ジャンボくじを10枚買おうと思ったら、地上へ続く階段の上まで長蛇の列にあっさり諦める。カミサンに電話して相鉄線に乗ることと、寄り道をすることを告げて弥生台駅への迎えを頼む。我が家は横浜市営地下鉄中田駅、JR東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインの戸塚駅、相鉄線弥生台駅のいずれもアクセスできる環境にあるので便利だ。
吉田類の酒場放浪記ではないが、ちょっと一杯の悪癖が抜けない私は、昔懐かしい相鉄沿線の居酒屋に2年ぶりくらいに立ち寄る。立ち飲みであるが満席状態で、ホッピーと日本酒を一杯ずつ注文、まぐろの刺身などをつまみながら店の女将さんとお手伝いの女性と会話する。女将さんは私のことを覚えていてくれたのが嬉しかった。
25年間通い続けた戸塚の小料理店梓が、全面建て替えで今年7月から休業しているが、新年1月に新築オープンする。10日ほど前に、梓の常連さんから声がかかって、ママと店の主人である息子も一緒の飲み会に誘われたが、生憎浜松に行く日で残念ながら出席できなかった。梓でママやお馴染みさんたちと、久方ぶりに会話するのが楽しみである。25/12/18
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます