ハチの家文学館

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新聞と私

2013年12月16日 12時40分57秒 | ハチパパのひとり言

我が家の新聞は朝日新聞。一時、他紙にしたこともあったが、構成、字体などが変わってしまうと、読みづらくて適わないとすぐにやめてしまった。記事の巧拙はともかく、同じ新聞を何十年も読んでいると、見たいページをすぐに開けるし、とにかく読みやすいので疲れない。

日常生活でスーパーやデパートへ買い物に行ったときも、行きつけていないと欲しい食料品や商品がどこにあるかもわからず、動き回って疲れてしまうことがある。良くも悪くも習慣とは恐ろしくもあり楽でもある。

さて、新聞のページ数は昔に比べるとかなり増えてきたが、今日の朝刊の場合、40ページ中25ページ分は広告で、全体の62.5%を占める。新聞社の経営も大変だろうから、広告収入を充て込むのも無理ないが、この割合は大きい。

政治経済に関心があるのは勿論だが、私としては社会・文化面に興味があり、スポーツ欄は流し読みする程度である。そうは言っても、今年のプロ野球日本シリーズや女子プロゴルフの賞金女王争いなどは、テレビ観戦は勿論新聞記事にも詳しく目を通している。新聞は朝刊のみであるが、早朝郵便受け箱を覗いて、朝食までにまずはゆっくりと、全ページに目を通すことにしている。

社会・文化の範疇として、読者の声欄にも関心が高く、今日の投稿記事で、19才の看護専門学校生の「望む最期迎えられる社会に」に共感した。看護の授業で「在宅みとり」を学んで、高齢者の多くが住み慣れた自宅での最期を希望している一方、病院や介護施設で最期を迎えている人が増加している現実を知ったと書いている。

仕事をしながらの介護は厳しく、仕事をやめれば二度と戻れない現実が、在宅介護をしたくてもできなくしているという。誰でもが感じていることではあるが、この看護学校生が言うように、社会全体の責任として制度や人々の意識改革を進め、みんなが希望通りの最期を迎えられる社会を願うことに同感である。

ところで、我が家は16年目になる柴犬ハチの在宅介護で、特にカミサンが大変だが、ハチの介護で将来起こり得るであろう在宅老老介護の練習を毎日しているような気がしてくる。多くは下の世話に尽きるが、犬と云えども夜泣きや排泄で、寝不足になることもしばしばであるが、ハチへの愛しさが心と体の疲れを癒してくれている。親子は一世、夫婦は二世、夫婦は現世から来世まで一緒といわれるように、お互い感謝と労わりの心を忘れず、下の世話でもなんでも老老介護なんのそのといきたいものである。25/12/15



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