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トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

今度の「ソーカル事件」は何が狙いか?(1)

2018年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム
 ソーカルは物理学者でしたが、今度の「ソーカル事件」は三人の人文系の学者が主役です。事件の走りは2017年5月24日に英紙「Daily Mai」に報じられ、その翌日に日本語の記事も「ジェンダー学は全くの“デタラメ”だった!デマ論文で発覚、思想界を新刊させた「ソーカル事件」の再来か?」というセンセーショナルな見出しで現れました:

https://tocana.jp/2017/05/post_13325_entry.html

朝日新聞のWEBRONZAも7月18日付でこれを取り上げ、「ジェンダー研究にしかけられたイタズラ論文 ネット版の学術雑誌で起きた「第2のソーカル事件」は失敗だった」としています:

https://webronza.asahi.com/science/articles/2017070500008.html

この記事は、おそらく、Michael Shermer のSKEPTICに出た記事:

https://www.skeptic.com/reading_room/conceptual-penis-social-contruct-sokal-style-hoax-on-gender-studies/

を参考にしたと思われます。Michael Shermer という人については、この私のブログでも取り上げましたが、そのことはまた後で論じます。この新しい「ソーカル事件」については「flip out circuits」という日本語のウェブサイト(2018年10月6日付)に関係記事のリストが掲載されています:

http://flipoutcircuits.blogspot.com/2018/10/blog-post_95.html

 ところで、私は10月13日付のwsws(World Socialist Web Site)の記事:

http://www.wsws.org/en/articles/2018/10/13/pers-o13.html

から強い刺激を受けました。アラン・ソーカルの疑似論文が目指したのは、いわゆるポストモダニズムの学問的粗漏さを暴くことでしたが、今度の「第二のソーカル事件」の三人組の疑似論文は、むしろ、米国の大学の学問的、教育的な腐敗堕落に対する批判を、そして、それの元になっている、米国の政治的状況に対する重い批判を掻き立てることを目的としています。wswsはこの点に注目して、今回の疑似論文投稿事件を取り上げているのです。
 米国の近頃の大学事情については、この私のブログ「トーマス・クーン解体新書」でも、2017年9月18日付の『ポストモダニズム対サイエンス』で問題にしました。以下に再録しますので読んで下さい。
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ポストモダニズム対サイエンス

 米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」にSkepticというコラムがあり、Michael Shermer という人が書いています。最近の9月号(p85)の記事は
Postmodernism vs. Science』という見出しで、“The roots of the current campus madness”という副題がついています。1960年代後半、九大教養部の若い教師として経験した学園騒動は、私の人生にとって決定的な事件となりましたから、これは見逃せないという思いでこの記事を読みはじめ、内容に関連する事柄もチェックしました。
 マイケル・シャーマーによると、米国の大学でこれまで進歩的と見做されてきた教授を学生たちが差別思想の持ち主として激しく吊し上げる事件が頻発していて、その根源は“真理は存在せず、科学と経験的事実は白人父権政治体制による圧政の道具である(that there is no truth, that science and empirical facts are tools of oppression by the white patriarchy)”とポストモダン教授たちが学生たちに教えることにあるのだそうです。もしこれが米国の科学論の現状でしたら、「クーン問題」は全然過去の問題ではなく、いわゆる「サイエンス・ウォーズ」は全く無駄に戦われた論争であったと言うべきです。
 「キャンパスの狂気」は米国の数多くの大学で発生している様子ですが、この記事で言及されているのは、カリフォルニア大学(バークレー)、ミドルバリー・カレッジ(バーモント州)、エバグリーン州立カレッジ(ワシントン州)です。バークレーでは、マイロ・ヤノプルス (Milo Yianopoulos)、アン・コールター(Ann Coulter)といった派手に名を知られる論客を講演に呼ぶか呼ばないかで暴力沙汰まで発生し、ミドルバリー・カレッジでは、人種や男女の能力的差異に関する問題発言の多いチャールズ・マレー(Charles Murray)の講演会をめぐってマレーと彼を招待した女性教授に身体的暴力が加えられ、頭部を負傷した教授は緊急救命室に収容される事態に至りました。エバグリーン州立カレッジでの騒動については次の二つのニューヨークタイムズの記事で詳しく知ることが出来ます:

https://www.nytimes.com/2017/06/01/opinion/when-the-left-turns-on-its-own.html?mcubz=3

https://www.nytimes.com/2017/06/03/opinion/sunday/bruni-campus-inquisitions-evergreen-state.html?action=click&contentCollection=Opinion&module=RelatedCoverage®ion=Marginalia&pgtype=article

この2番目の記事の中には、2年前にイェール大学で起こった類似の事件についての記述もあります。
 正直なところ、現在の米国の大学で起こっているこの種の騒動についての私の想いは収斂しそうにありません。ただ一つはっきり言えることは、もし私が今米国のどこかの大学の教師であり、学生からこうした形と内容の“吊るし上げ”の対象になったとしても、後には虚しさが残るだけで、私が「エンプラ事件」から受け取った一種の開眼のようなものは得られないであろうということです。この事件をご存知ない方はウィキペディアの「佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争」をお読みください。私自身の経験については、拙著『「闇の奥」の奥』の「あとがきに代えて」に書きました。「エンプラ事件」は1968年初頭のことですが、同じ頃、米国でも、学生たちは不平等と戦争に反対して熾烈に戦っていました。それは現在の米国の「学園の狂気」とは異質のものだったと思います。
 米国の社会主義ウェブサイトwsws(World Socialist Web Site)は如何にもこのサイトらしい批判論説を展開しています:

https://www.wsws.org/en/articles/2017/06/05/ever-j05.html

https://www.wsws.org/en/articles/2015/11/17/prot-n17.html

https://www.wsws.org/en/articles/2015/12/09/yale-d09.html

中心的なポイントは、イェール大学を例にとれば、2015-2016の授業料は$46,500、13万人以上の購読者を持つ同窓会誌の会員の収入の平均は$338,000、学生の大部分は中流層上部かそれ以上の階級の子弟だということです。何らかの支援、機会、能力のおかげで在籍する黒人、有色人種の学生たちの関心は、米国の支配階級にうまく参入して成功することにあって、白人教授の人種偏見を罵倒する彼らの発言が表面的に如何なるものであれ、米国内の人種偏見に苦しむ多数の下層非白人同胞への真の思い入れから出たものではないと私は考えます。
 ハーバード大学とかイェール大学とか、米国のトップの大学がアメリカというシステムの上層を占める極めて高い能力の人材を多数生み出してきたのは事実ですが、そうした人々が、世界全体にとって有用であったか、それとも、害毒をもたらしたかは全く別の問題です。自由な学問の大殿堂といった子供騙しのイメージも排されなければなりません。チェルシー・マニングをめぐる最近のハーバード大学のゴタゴタは米国の有名大学の正体を見据える良い機会を与えています:

https://www.commondreams.org/news/2017/09/15/caving-cia-which-literally-assassinates-people-harvard-rescinds-manning-fellowship

 自然科学論、あるいは、トーマス・クーンという、このブログの主題に戻りましょう。エバグリーン州立カレッジ(ワシントン州)で学生たちから人種偏見の持ち主として攻撃された生物学教授のBret Weinsteinは「学生たちはポストモダン的思想を持つ教授たちの影響下にある」とはっきり述べています。このブログの冒頭で述べたように、これは米国における「自然科学論」が、依然として、情けない状況にあることを示しています。科学論といえば、このブログ記事のタイトル『ポストモダニズム対サイエンス』を拝借したMichael Shermerという人の科学論も少し気がかりな所のある浅薄さを持っているように、私には思えますが如何でしょう?:

https://michaelshermer.com/2017/04/science-makes-america-great/

藤永茂(2017年9月18日)
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 さて、私が改めて自分が書いたこの記事を読み返したきっかけは、今回の三人組の大掛かりな疑似論文投稿事件に対する学者たちの反応の一つを次のQuilletteというサイトで読んだことでした:

https://quillette.com/2018/10/01/the-grievance-studies-scandal-five-academics-respond/

それはオックスフォード大学で哲学を教えているNathan Cofnasという人の発言です。タイトルは「From Foolish Talk to Evil Madness(馬鹿げた語りから邪悪な狂気へ)」、その始めの部分をコピーして訳出します:
Twenty years ago, Alan Sokal called postmodernism “fashionable nonsense.” Today, postmodernism isn’t a fashion—it’s our culture. A large proportion of the students at elite universities are now inducted into this cult of hate, ignorance, and pseudo-philosophy. Postmodernism is the unquestioned dogma of the literary intellectual class and the art establishment. It has taken over most of the humanities and some of the social sciences, and is even making inroads in STEM fields.
「20年前、アラン・ソーカルはポストモダニズムを“お流行りのナンセンス”と呼んだ。今日では、ポストモダニズムは流行ではない——それは我々の文化だ。エリート大学の学生の大部分が今ではこの憎悪と無知と疑似哲学のカルトに導入される。ポストモダニズムは文系の知識階級と芸術のエスタブリッシュメントの誰もが認めるドグマである。それは人文科学の殆どと社会科学の一部を乗っ取ってしまったし、さらに、科学・技術・工学・数学の教育分野にも入り込もうとしている。」
 ソーカル事件を含めて、いわゆる「サイエンス・ウォー」が何も良い成果を収めなかったのでは、という思いが私には前からありました。それで上に再録した『ポストモダニズム対サイエンス』にも
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マイケル・シャーマーによると、米国の大学でこれまで進歩的と見做されてきた教授を学生たちが差別思想の持ち主として激しく吊し上げる事件が頻発していて、その根源は“真理は存在せず、科学と経験的事実は白人父権政治体制による圧政の道具である(that there is no truth, that science and empirical facts are tools of oppression by the white patriarchy)”とポストモダン教授たちが学生たちに教えることにあるのだそうです。もしこれが米国の科学論の現状でしたら、「クーン問題」は全然過去の問題ではなく、いわゆる「サイエンス・ウォーズ」は全く無駄に戦われた論争であったと言うべきです.
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と書きましたが、オックスフォード大学の哲学者にこうはっきり言い切られると、すっかり考え込んでしまいます。(続く)

藤永茂(2018年10月22日)

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