トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

物理学者とパラダイム(1)

2011年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム
私の印象では、北米でも日本でも、物理学者や化学者でトーマス・クーンの『科学革命の構造』を読む人はあまり多くないようですが、ポスト・クーンの意味合いでパラダイムという言葉は結構使っているように思われます。
  ブラックホールの本格的研究者として著名なキップ・ソーン(Kip S. Thorne)という物理学者の書いた『Black Holes and Time Warp ─Einstein’s Outrageous Legacy』(ブラックホールと時空の歪─アインシュタインのとんでもない遺産)(林,塚原翻訳、白揚社)という本があります。原書は1994年の出版で少し古いのですが、今でもなかなか評判のようで、しかも624頁の大冊が1400円ほどで買えます。ここではクーン関係のことに話を限り、物理的な事柄には立ち入りません。翻訳者のお名前から判じて和訳書は立派なものに違いありませんが、持っていませんので原書からの拙訳でご勘弁下さい。
  クーンが初めて出てくるのは第401頁目ですが、前頁から読み始めます。
■ What is the real, genuine truth? Is spacetime really flat, as the above paragraphs suggest, or is it really curved? To a physicist like me this ia an uninteresting question because it has no physical consequences. (本当の、本物の真理とは何か?上の数パラグラフが示唆するように、時空は本当に平らなのか,それとも本当には曲がっているのか?これは私のような物理屋には興味のない設問だ、何故なら物理的にはどちらでもいい事だからだ。)(原書、400)■
さらに著者ソーンは、日曜日には時空が曲がっていると考え、月曜日には時空は平らだと考えて物理学者は仕事が出来ると言います。:
■ Since the two viewpoints agree on the results of all experiments, they are physically equivalent. Which viewpoint tells the “real truth” is irrelevant for experiments; it is a matter for philospphers to debate, not physicists. Moreover, physicists can and do use the two viewpoints interchangeably when trying to deduce the predictions of general relativity. (これら二つの見解はすべての実験結果について合致するから、物理学的には同等である。どちらのが“本当の真理”を告げているかは実験とは関係ない;それは哲学者が議論する事で、物理学者が議論する事ではない。その上、物理学者は、一般相対論の予言を引き出そうとする時に、この二つの見解を交替的に使うことが出来るし、事実そうしている。)(原書、400)■
  これに続いて、ソーンは、この二つの見地の切り替えの心理的プロセスはクーンのSSRで見事に描かれているとSSRを褒め上げますが、このソーンの本の全体から察すると、私には少しピント外れのように思われます。
■ The mental processes by which a theoretical physicist works are beautifully described by Thomas Kuhn’s concept of a paradigm. Kuhn, who received his Ph.D. in physics from Harvard in 1949 and then became an eminent historian and philosopher of science, introduced the concept of a paradigm in his 1962 book The structure of scientific Revolution ─ one of the most insightful books I have ever read. (理論物理学者が仕事をする時のこの心理的プロセスは、パラダイムというクーンの概念によって見事に記述されている。1949年に物理学でハーバード大学から博士号を受領し、その後著名な科学史家、科学哲学者になったクーンは、彼の1962年の本『科学革命の構造』でパラダイムの概念を提出した─この本は私がこれまで読んだ最も洞察に富んだ書物の一つである。)(原書、401)■
これは物理学者からクーンのSSRに与えられた讃辞として最高のものの一つでしょう。これに続くパラグラフにはソーンらしいとても歯切れのよい「パラダイム」の定義が述べられています。次回はその紹介から始めましょう。

藤永 茂     (2011年10月21日)