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トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

ヒュームの問題(2)

2019年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 前回の続きとして、Andrew Pickering の『Constructing Quarks』(1986年)についての議論から始めます。その中心点は偶然性(contingency)の問題で、ピカリングの主張は“The evolution of physics, including the quark idea, is thoroughly contingent and could have been in other ways.”(物理学の展開は、クォークのアイディアを含めて、完全に偶然的なもので、別様の道筋で展開することもあり得た筈だ)というものです。この主張がなされてから30年以上が経過しましたが、クォークをめぐる実験観察と理論において、別様の道筋での展開は全く行われていないばかりか、クォークに始まる素粒子物理学の考え方の安定性(stability)を確認する出来事が続いています。2008年には、南部陽一郎、益川敏英、小林誠の三人がノーベル物理学賞を受賞しましたが、これもその確認の一部をなしています。
 1949年、湯川秀樹は14年前の1935年に英語で書いた最初の論文で提唱した「中間子論」によって、日本人最初のノーベル賞を受賞しました。当時の興奮を記憶している世代の人々の多くは、湯川さんが予言し、その後に発見された中間子は、いわゆる「素粒子」だと思っているでしょう。また、原子は電子と原子核から出来ていて、原子核は核子(陽子と中性子)の集まりであること、原子核内の核子の間の強い力を媒介しているのが中間子であり、そして、陽子と中性子も「素粒子」だと思っていることでしょう。しかし、今では、核子も中間子も“素”粒子ではなく、クォークと呼ばれる素粒子から出来ている複合粒子ということになっています。
 元素の周期表が、1869年、 メンデレーエフによって提案された時には、化学的に区別された元素の数は62で、元素に対応する原子の構造は解明されてなく、元素が示す周期的な性質を解き明かす理論はありませんでした。それから66年後、湯川さんが中間子の存在を提唱した1935年の時点では、周期表の元素の数は100個を超え、1925年に出現した量子力学のおかげで、メンデレーエフの周期表の成り立ちの理由が良く理解できるようになりました。原子は原子核とそれを取り囲む電子たちから成り立ち、原子核は陽子と中性子(1932年発見)から出来ていて、電子、陽子、中性子の3つが基礎的な粒子(素粒子)と考えられるようになりました。ところが、1937年、宇宙線の中に、電子の約200倍の質量を持つ新粒子が発見され(湯川の中間子ではなかった!)、その後、観測機器や粒子加速器の大幅な発展もあって、新しい粒子が続々と発見され、その数は膨れ上がるばかりで、物理学者の困惑は 亜原子動物園(subatomic zoo)という言葉まで生みだしました。メンデレーエフの周期表の場合に対応する新しい整理方法とその基礎を与える理論の出現が求められました。それに答えたのがゲルマンによって1964年に提唱された「クォークモデル」とそれを起点とした一連の実験と理論の成果の集大成としての「標準模型」と呼ばれる理論体系です。
 ピカリングの本の副題は「粒子物理学の社会学的歴史(A Sociological History of Particle Physics)」です。本書には、クォークのアイディアの周りに発展してきた20世紀後半の素粒子物理学の歴史が、400ページを超えるスペースを費やして、SSRのクーンの考え方に沿って、展開されています。ピカリング(1948年生)はロンドン大学で素粒子物理学の研究に従事して博士号を取得しているだけあって、本書の物理学的な記述の内容は正確で充実しているとして、専門の物理学者からも高い評価を受けました。しかし、本書の立場から当然のことですが、ピカリングは、クォークをめぐる物理学の展開についての物理学者の見解と自分の見解との大きな相違を各所で強調しながら論議を進めています。
  湯川さんの中間子論が重要な導火線となった大戦後の高エネルギー、素粒子物理学発展の歴史の物理学的内容を理解することは容易な事ではありません。一般向けの解説書の名著としては南部陽一郎著『クォーク』があり、その帯には「日本の物理学者が必ず読んでいる・・・名作」とありますが、素粒子物理学が専門でない老いた物理学者の私などは、ちゃんと理解するのに懸命な努力が必要です。同じ理由から、ピカリングの本も、その物理学的内容を詳しく読みこなすには大きな努力が必要です。しかし、そうした読みこなしが十分出来なくても、ピカリングの主張の弱点や的外れを指摘することは可能です。欠陥が生じた理由は、クーンの場合と同じように、本腰の物理学研究者として実際に汗をかいた経験は浅く、本格的なものではなかったことにあると私は思います。研究者としての生活の早い時期に、クーンのSSRの影響を強く受けて興味が科学知識の社会学に傾いて行き、クーンのパラダイムの中にはまり込んで、その虜になってしまったのでしょう。 
 物理学者の見解と自分の見解の主要な相違として、ピカリングはデュエム/クワインの決定不全性とハンソン流の実験観測の理論依存性をあげます。8ページには「It is always possible to invent an unlimited set of theories, each one capable of explaining a given set of facts」とか「First, scientists’ understanding of any experiment is dependent upon theories of how the apparatus performs, and if these theories change then so will the data produced」といった断定がなされています。まるでクーンその人の文章を読む感じです。これらの定言が研究の実際には当てはまらないことは、拙著『クーン解体新書』その他の場所で十分に論じてあります。しかし、ピカリングは上の断定的主張に基づいて、現在、物理学者のほとんどすべてが正しいと信じている「世界はクォークたちとレプトン(電子などの軽い粒子)たちから成り、をこれらの基本的粒子たちの性質と役割はゲージ理論と呼ばれる理論で記述される」という世界観を、クーンのSSRパラダイムに基づいて、詳しく歴史的に検討し、その結果、この世界観は偶然的(contingent)なものであり、これとは別様の世界観もあり得る筈だと主張しています。この主張について、イアン・ハッキングはその著『THE SOCIAL CONSTRUCTION OF WHAT?』(1999年原書出版、訳書『何が社会的に構成されるのか』、2006年出版)での68ページ以降で詳しく論じていますので参考にしてください。73ページでは、ピカリングのいう偶然性はクワイン流の決定不全性そのものではないとあります:「Contingency Does Not Mean Underdetermination」。しかし、私にとっては、これはあまり重要なポイントではありません。人間には、どんな場合にでも、「これはこうだ」と絶対的に言い切ることができません。『ヒュームの問題』も一番単純なレベルではこの状況に帰します。重要なポイントは、この状況を利用して、一定の学問的アジェンダをプロモートすることの可否です。
 ところで、SSRでのクーンの主張で一番重要なのは、通約不可能性(incommensurability)なるものが科学革命の前後の二つのパラダイムの間に存在するという主張です。ピカリングのこの本では、その議論が最終章の最終節(14.3)で行われています。 ピカリングによれば、クォークという革命的アイディアの出現によって、亜原子動物園(subatomic zoo)で増え続ける粒子たちの整理が進み始めると、それまでの素粒子物理学の学者集団がクォークモデルを重視しない集団と重視する集団に分離し、この二つのグループの考えの間には、クーンのいう通約不可能性が生じましたが、世界観を別にする新旧二つの集団の間には、クーンがSSRで説いた、相互のいがみ合いや脅迫関係は見当たりません:「But the transition from the old to the new physics within HEP (high energy physics) showed little evidence of acrimony or duress. The prevailing climate within HEP during 1970s was one of mutual congratulation rather the recrimination. This departure from the Kuhnian picture was, I would argue, a contingent matter.」
つまり、クーンの考えに従えば、科学革命を挟んで通約不可能性で敵対する筈の新旧二つの物理学者の集団は、高エネルギー物理学の場合、喧嘩するどころか、お互いに褒め合う間柄になっていて、クーンが言う様にはなっていないが、これはたまたまそうなっただけの事(a contingent matter)だとピカリングは言うのです。しかしこれは現実の誤認です。社会的集団としての物理学者たちが、偶然、クーンのご託宣に従わなかったのではなく、クーンの考えが間違っているからです。ピカリングほどの優秀な頭脳からこうした戯言が発せられたのはどう理由からか、しっかり検討する必要があります。
 クーン弁護のために持ち出されたこの偶然性(contingency)は些細なものですが、ピカリングが著書『Constructing Quarks』で提唱する本番の偶然性は、今回の記事の冒頭で述べたように、ラディカルなものです。繰り返せば、「物理学の展開は、クォークのアイディアを含めて、全く偶然的なもので、別様の道筋で展開することもあり得た筈だ」という主張です。今、物理学者が「これが自然法則であり、これが世界だ」と言っていることに耳を傾ける義理はないとピカリングは言います。上掲の本の締めくくりの部分には次のように書いてあります:
And, given their extensive training in sophisticated mathematical techniques, the preponderance of mathematics in particle physicists’ accounts of reality is no more hard to explain than the fondness of ethnic groups for their native language. On the view advocated in this chapter, there is no obligation upon anyone framing a view of the world to take account of what twentieth-century science has to say.(更にまた、彼らが、しち難しい数学を操る技の訓練をしっかりと受けたことを思えば、粒子物理学者たちの実在世界の記述が数学に溢れているのは、人種集団がそれぞれの言語を使うのを好むのと同じで、難なく説明がつく。この章で提唱した見解に立てば、世界観を構築しようとする人は、誰であれ、二十世紀科学がこうだと云う事を取り入れる義理はないのである。)
 誰にしても、人間は自分なりの世界観を作ります。それにクォークやレプトンを含ませなければならない理由はありません。二十世紀以前に、すでに、偉大な精神たちが深遠な世界観の数々を我々に与えています。仏教の「因果応報」の思想、万物「無」の思想などもその例です。
 私が問題にしたいのは、むしろ、上のピカリングの文章にある「トゲ」、無くもがなの棘の存在です。ピカリングの偶然性(contingency)の主張には、自然科学的知識が、世間では、確実堅固なものと受け取られていることへの、殆ど感情的とも言える反発、嫌悪がその底に敷かれています。リチャード・ローティの場合も同様です。こうした心情を“physics envy”と呼ぶ向きがありますが、私はこの言葉を好みません。確かに、これまで物理学が代表する自然科学という人間の知的営みは自然世界についての知識を獲得累積するのに驚異的な成果を上げてきました。我々のなすべきことは、なぜこの形の知的営みがこれだけの成功を収めてきたのか、その理由を明確にし、そして、この営みが人類にとって良いことなのか、悪いことなのかを真剣に考慮することでなければなりません。
 物理学者はピカリングの偶然性をどう考えているか? 彼らも、出来るものなら、「クォークの道」でない道を見つけたいと思っているのです。もし見つけたとなれば、ノーベル賞は確実ですし、現在はまだ遠慮して「標準‘模型’」と呼ばれる理論の不備な点を無くして、まさしく「標準‘理論’」の名にふさわしい新理論を構築する可能性が開けると期待されるからです。しかし、1964年、マレー・ゲルマンとジョージ・ツワイクが独立に提唱したクォークモデルは、それからの50余年間、その妥当性を固めるばかりです。「クォークの道」でない道を見いだすことが大変難しい理由は、今までに確認されている実験的事実、理論的結果(標準模型)を乱さないまま、違う基礎粒子モデルと違う理論を提供しなければならないことにあります。

藤永茂(2019年5月20日)

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