トーマス・クーン解体新書

トーマス・クーン『科学革命の構造』の徹底的批判

クーンは歴史的科学哲学者か?

2010年12月29日 | インポート
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SSR: Thomas Kuhn “The Structure of Scientific Revolutions”
RSS: Thomas Kuhn “The Road Since Structure”
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 上のタイトルには言葉の引っかけ遊びがありますが、悪意はありません。歴史的な科学哲学者、と読むか、歴史的科学哲学を唱えた哲学者、と読むか、ということです。クーンの場合、どちらの読み方をしても間違っていないと言ってもよいかもしれません。しかし、前々回で討議を始めたクーンの最後の公式講演、『The Trouble with the Historical Philosophy of Science』、を読むと、科学哲学の一古典としてこれからも読み継がれると思われるクーンのSSRで、クーンが声高に主張したことが事実上そっと取り下げられていて、しかも講演の結語が
da capo al fine (ダ・カーポ・アル・フィーネ)
つまり、「始めから終りまでもう一度やりなおし」であるのは、まことに意味深長と言わねばなりません。前々回のブログ(2010年12月1日)で、遺作の予定タイトルが、
(1)The Plurality of Worlds: An Evolutionary Theory of Scientific Discovery
(2)Scientific Development and Lexical Change
と二通りあることを指摘しましたが、(1)は、John Preston (Kuhn’s The Structure of Scientific Revolutions, 2008, p9)によると、三分の二書き上げられていたとなっており、(2)は、佐々木力(構造以来の道、2008年、p462)によると、「本質的に完成に近い形態で遺されたらしい」となっていて、その公刊の日が待たれます。ここに見られる“進化論”と“辞書変化”の言葉から、クーンのfinal words がSSRでの強調点から可成りずれたものであることが窺えます。そのあたりの感じを手探りするために、前々回に約束した、クーンの最終講演『The Trouble with the Historical Philosophy of Science』の終りに近い要約の一節の訳出を行ないます。
■ With these remarks I conclude the presentation of the subject announced in my title. I shall shortly add a very short coda for those who know my earlier work. But first let me summarize the point we’ve reached. The trouble with the historical philosophy of science has been, I’ve suggested, that by basing itself upon observations of the historical record it has undermined the pillars on which the authority of scientific knowledge was formally thought to rest without supplying anything to replace them. The most central of the pillars I have in mind were two: first, that facts are prior to and independent of the beliefs for which they are said to supply the evidence, and, second, that what emerges from the practice of science are truths, probable truths, or approximations to the truth about a mind- and culture-independent external world.
What’s gone on since the undermining occurred has been efforts either to shore up those pillars or else to erase all vestige of them by showing that even in its own domain science has no special authority whatsoever. I’ve tried to suggest another approach. The difficulties that have seemed to undermine the authority of science should not be seen simply as observed facts about its practice. Rather they are necessary characteristics of any development or evolutionary process. That change makes it possible to reconceive what it is that scientists produce and how it is that they produce it.
Sketching the needed reconceptualization, I’ve indicated three of its main aspects. First, that what scientists produce and evaluate is not belief tout court
but change of belief, a process which I’ve argued has intrinsic elements of circularity, but of a circularity that is not vicious. Second, that what evaluation aims to select is not beliefs that correspond to a so-called real external world, but simply the better or best of the bodies of belief actually present to the evaluators at the time their judgments are reached.・・・・■ (RSS, 118-119)
<翻訳> 以上に述べた所見をもって、私の講演タイトルで表明した主題のプレゼンテーションを終ることにします。このすぐ後に、私の初期の仕事をご存じの方々のために、ごく短いコーダ(終結部)を付け加えますが、まずは、我々が到達した主眼点を要約しましょう。歴史的科学哲学のトラブルは、私がすでに示唆したように、科学的知識の権威を支えていると思われていた支柱を、歴史的記録を観察することで、歴史的科学哲学が、それらに代わる支えを何も供給しないまま、土台から掘り崩してしまったという事にあります。そうした支柱のもっとも中心的なものとして、二本の柱を考えています。その第一は、事実というものは、それらが証拠を提供しているとされている信念に先だち、それとは独立して存在しているとすることであり、その第二は、科学の実践で現れてくるものは、人間の心にも文化にも依存しない外部世界についての真理、確かだと思われる真理、真理への近似だとすることであります。
 支柱の掘り崩しが起ってからというものは、それらの支柱を何とかつっかえ棒で支えようとするか、さもなければ、科学そのものの領域ですら、科学は何ら特別の権威も持っていないことを示して、科学の支柱の名残のすべてを消し去る努力がなされて来ました。私は、もう一つのアプローチを示唆しようと努めてきました。科学の権威を掘り崩すものと思われてきた諸困難は、単に科学の実践について観察された事実であると看做すべきではありません。むしろ、それらはものの発展の過程、あるいは進化の過程のいずれにも見られる必然的な特徴なのです。こう見方を変えれば、科学者が生み出すものは何か、そして、どのようにして彼らがそれを生み出すのかを理解し直すことが可能になります。
 この必要な再概念化をスケッチすることで、私はその三つの主要な様相を示唆してきました。その第一は、科学者が生み出し、評価するのは、信念そのものではなく、信念の変化だということであり、そのプロセスは、すでに私が論じたように、循環論の要素が本来的に含まれていますが、たちの悪い循環性ではありません。その第二は、その評価が選択を目指すのは、いわゆる実在外部世界に対応する信念ではなく、評価が下される時に評価者の前にある、単に、より良い、または最良の一群の信念なのだという事です。・・・・・。(翻訳終り)
 前々回(2010年12月1日)には、この文章の後に、
■ ここに書いてあることの重要点をごくごく荒っぽく拾えば、次のようになります。:
(a)これまで歴史的科学哲学は、自然科学の歴史的事実の観察に基づいて、今まで自然科学の権威を支えていると思われていた支柱を、それに代わる何らの支柱も与えないまま、掘り崩して台無しにしてしまった。それからというものは、古い柱を何とかつっかえ棒で支えようとする人々と、自然科学なんて何の特別の権威もないとする人々との争いが続いている。
(b)しかし、自然科学が権威を失うことになったのは、歴史的事実がそうさせたというよりも、歴史的事実によって判断を下すまでもなく、自然科学者がやっていることの本質を考え直せば(reconceive,辞書にはない言葉)、当たり前のこと、必然的なことになる。
(c)必要な考え直しの第一のポイントは、自然科学者が生み出し評価する対象として、これまでは、信念そのものを考えてきたが、そうではなく、信念の変化である・・・。
 いや、これだけでは、クーンさんここに来て何を言いたいのかよく分からないのは当然ですが、好奇心はそそられる筈です。「科学革命というのは科学者の信念の大きな変化のことであり、SSRは信念の革命的変化についての議論ではなかったのか?」とお考えの人が多いと思いますから。■
と書きましたが、今回は講演の本体に遡って、クーンが何を言おうとしたかをたどることにします。まず、ポイント(a)に就いて。クーンのSSRによって崩壊した自然科学の栄光と権威を何とか維持しようとするグループと、自然科学に特有な権威などもともと存在せず、すべては社会的に構築されたものだというグループとの、どちらにも与せずに、自らは別のアプローチを示唆することを試みてきた、とクーンは言いますが、やがて説明するように、彼は、ずっと以前からのSSR批判者、おもに A. MacIntyer とD. Shapere の考え方に次第に接近して行ったと看做す方が適切です。その「考え直し」の一番のポイントは、(c)に指摘したように「自然科学者が生み出し評価する対象として、これまでは、信念そのものを考えてきたが、そうではなく、信念の変化である」という変更にあります。講演の中核部に戻ってみましょう。
■ The characteristic concern of the historian is development over time, and the typical result of his or her activity is embodied in narrative. Whatever its subject, the narrative must always open by setting the stage, by describing, the state of affairs in place at the beginning of the series of events that constitutes the narrative proper. If that narrative deals with beliefs about nature, then it must open with a description of what people believed at the time when it began. That description must make it plausible that the beliefs were held by human actors, for which purpose it must include a specification of the conceptual vocabulary in which natural phenomena were described and in which beliefs about phenomena were stated. With the stage thus set, the narrative proper begins and it tells the story of change of belief over time and of the changing context within which those alterations occurred. By the end of the narrative those changes may be considerable, but they have occurred in small increments, each stage historically situated in a climate somewhat different from that of the one before. And at each of those stages except the first, the historian’s problem is to understand, not why people held the beliefs that they did, but why they elected to change them, why the incremental change took place. (RSS, 112) ■
この部分の翻訳は次回に行ないますが、お急ぎの方は佐々木訳『構造以来の道』(p142~3)をご覧下さい。いま注意を喚起しておきたいには、最後の部分[By the end of the narrative those change may be considerable, but ・・・・]の内容で、その部分を訳出します。:
■ 物語の終りに達すると、それらの変化は結構大きなものになるでしょうが、変化は小さな増分が積み重なって生じたもので、それぞれのステージは,歴史的に、一つ前のステージと少しばかり違った雰囲気の中に位置することになります。そして、最初のステージを除き、あとの各ステージでの歴史家の問題は、何故人々は彼らの信念を持つことになったか、ではなく、何故彼らが持っていた信念を変えようと思い立ったか、何故増分的変化が生じたか、を理解することにあります。■
砕いて言えば、自然科学の考え方の変化、信念の変化は、大きく一度に起る、革命的に起る、のではなく、incremental (増分的)に、段階的に、少しずつ起る、というのがクーンの「考え直し」なのです。これは、SSR(『科学革命の構造』)での彼のスタンスからの“反革命的”逆行ではありませんか! SSRの第1頁には、
■ If science is the constellation of facts, theories, and methods collected in current texts, then scientists are the men who, successfully or not, have striven to contribute one or another element to that particular constellation. Scientific development becomes the piecemeal process by which these items have been added, singly and in combination, to the ever growing stockpile that constitutes scientific technique and knowledge. And history of science becomes the discipline that chronicles both these successive increments and the obstacles that have inhibited their accumulation. (SSR, 1-2)■
と書いてあり、ここまで読んだところでは,上に訳出した文章と同じことを言っているようですが、SSRのクーンは、「そんなことは嘘っぱちだ」と声高に宣言しているのです。つまり、「自然科学の発展(scientific development)は次々に小さな増分的変化が積み上がったものではない」と強調したのです。上の引用文のすぐ後に続くSSRの第3頁には、
■ In recent years, however, a few historians of science have been finding it more and more difficult to fulfill the functions that the concept of development-by-accumulation assigns to them. As chroniclers of an incremental process, they discover that additional research makes it harder, not easier, to answer questions like: When was oxygen discovered? Who first conceived of energy conservation?■
とあって、小さな増分の積み上がりという科学発展のナラティブがはっきりと却下されています。生涯最終の講演でのクーンはSSRから遠く離れた場所に立っていました。
He had come a long way!

藤永 茂 (2010年12月29日)



クーンには誇張癖がある

2010年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム
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SSR: Thomas Kuhn “The Structure of Scientific Revolutions”
RSS: Thomas Kuhn “The Road Since Structure”
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 前回(12月1日)の終りに、クーンが「声高に従来の科学哲学を否定したSSRについて、(振り返ってみると、われわれの否定の調子は強すぎたと思います)と反省している」と書きました。何事についても、従来信じられていたことがまるっきり間違っていると言ってのける文章は、とかく世の人々の注意を引きます。SSRにはそうした傾向が見えます。その例をお目にかけるつもりで、SSRの第一章を読み返していたら、中山茂訳『科学革命の構造』の翻訳文の不正確さが気になり出したので、前回にお約束したRSSの一節の和訳をする前に、こちらの方の改訳を試みます。
■ I. Introduction: A Role for History
History, if viewed as a repository for more than anecdote or chronology, could produce a decisive transformation in the image of science by which we are now possessed. That image has previously been drawn, even by scientists themselves, mainly from the study of finished scientific achievements as these are recorded in the classics and, more recently, in the textbooks from which each new scientific generation learns to practice its trade. Inevitably, however, the aim of such books is persuasive and pedagogic; a concept of science drawn from them is no more likely to fit the enterprise that produced them than an image of a national culture drawn from a tourist brochure or a language text. This essay attempts to show that we have been misled by them in fundamental ways. Its aim is a sketch of quite different concept of science that can emerge from the historical record of the research activity itself.
(第1章  序論:歴史の役割
 歴史は、逸話や年表以上のものを収めてある宝庫として観てみると、今われわれに取り憑いている科学のイメージの決定的な変革を生み出しうるであろう。そのイメージは、これまで、科学者自身を含めて、おもに完成した科学的成果を調べることから引き出されてきた。それらの成果は古典的著作の中に、また、もっと近頃は、科学者のそれぞれの新世代が仕事のやり方を学ぶ教科書の中に記録されている。しかし、避けられないのは、そうした書物の目的が説得的で教育的になることである:したがって、それらから引き出された科学の観念が、それらの書物を生み出した科学という事業によく適合するものではないのは、観光パンフレットや語学テキストから引き出される一国の文化像と同じようなものである。この論考は、われわれがそれらの書物によって根本的に誤った方向に導かれていたことを示そうと試みる。その目指すところは、研究活動そのものの歴史的記録から立ち現れる、これまでとは全く違った科学の観念をスケッチすることである。)■
 次に中山茂訳を掲げます。:
■ 第一章 序論:歴史にとっての役割
  歴史には寓話や年代記以上のものが含まれていると観れば、歴史は現在われわれが持っている科学についての像に決定的な変革を生み出しうるであろう。これまでは科学者さえもその科学像を主に、古典の中や、昨今では次代の科学者が仕事のやり方を習うための教科書の中に記録されている、完成した科学的成果を学ぶことからつくっていた。しかしこのような書物の目的とするところは、押しつけ的であり、「先生」的であるのはやむおえない。その中に描かれた科学の観念は、ちょうど一国の文化像を観光用パンフレットや会話のテキストから描こうとするようなもので、このような書物を生み出す事業にマッチするものとはなり得ない。本書は、このような書物によってわれわれが根本的に誤った方向に導かれていることを示そうと試みる。この本のねらいとするところは、研究活動自体の歴史的記録から生じる、科学の全く違った観念をえがいてみせることである。■
 翻訳の問題については別に論じることにして、今は、クーンの誇張癖に注意しましょう。上の引用文(SSRの本文の出だしの文章)で、自然科学の古典や大学レベルの教科書が与える科学のコンセプトあるいはイメージが安価でまるっきり間違っているという語り口は、何としても誇張というほかはありません。 
 クーンが集中的にSSRの草稿を書いたのは1960年だったと思われます。中山訳(p-iv)には「この本の仕上げは、一九五八年から五九年にかけて行動科学高級研究センターに招かれた時になされた。」とありますが、原文は「The final stage in the development of this essay began with an invitation to spend the year 1958-59 at the center for Advanced Studies in the Behavioral Sciences.」とあり、「この論考の発展の最終段階」、つまり本の構想が最終的に固まったという意味でしょう。話を物理学に限ることにして、1960年といえば、相対性理論、量子論の発祥から既に半世紀、物理学の世界には、その学徒にとって必読の物理学の“新しい”古典、古典的教科書がひしめいていました。クーンの物理学の指導教官であったJohn Van Vleck の『Theory of Electric and Magnetic Susceptibility』(1932年)もその中の一冊でした。1953年に京都で開かれた「理論物理学国際会議」は日本での最初の物理に関する国際会議で,その時のことを回想して益田義賀(慣例に従って敬称略)は
■ Dirac, Van Vleck, Mott, Prigogine, Gorter, Feynman, Onsager などなどの出席者を見て、当時の若い研究者たちは、「向こうから教科書が歩いてくる」と興奮し、烈しい刺激を受けたものである。われわれが熟読した教科書の著者である優れた学者達に、直接逢ったり話をしたりする喜びは、敗戦から立ち上がりつつあったわれわれに測りしれない希望を与え、世界に向かって飛躍しようとする決意を新たにさせたのである。■(現代物理学の歴史II、2004年、朝倉書店、p861)
と書いています。私もその理論物理学国際会議に出席しましたから、当時の興奮を知っています。熟読した“古典的”教科書の数々からわれわれが引き出した物理学の観念が「観光パンフレットや語学テキストから引き出される一国の文化像と同じようなものである」というクーンの語り口は何としても誇張が過ぎます。湯川,朝永をはじめとする我が国の主席者も、本格的な研究の現実のプロセスがどのようなものであるかを既に自ら体験している物理学者たちであったのです。彼らの物理学像が根本的に間違ったものだと断定するのは明らかな行き過ぎであり、彼の断定が自然科学者でない一般の人々の誤解を誘ったのは当然であったと言えると思います。
 クーンがヴァン・ヴレックを指導教官に選んだのは、ヴァン・ヴレックに惚れ込んだわけではなく、手っ取り早く博士号を取得したかったからであったことは,1995年,ギリシャのアテネ大学で語っていますが、私の推測では、ヴァン・ヴレック著の上掲の“古典的”教科書も、おそらく、クーンはよく読まなかったと思われます。同じ物理学的主題を、古典物理、前期量子論、量子力学の3つのパラダイムを通して検討したこの優れものを大学院生のクーンが熟読していたら、後年のパラダイム論、通約不可能性、辞書変化論にも有益な影響を与えていたかも知れません。
 このブログの初回(2008年3月15日)に掲げた英文草稿『Undoing Thomas Kuhn』の第4章のタイトルは
Kuhn, the Physicist? (物理学者クーン?)
となっていて、クーンは急いで物理学の博士号は取得したものの、一人前の物理学者としての研究経験は持たなかったことが論じてあります。クーンを貶めるためではなく、SSRの中で物理学や物理学研究について書いてあることを、一般の読者が「なにしろ著者はれっきとした物理学者だから」と額面通り鵜呑みにしては好ましくないから論じたのです。
 前回に約束したRSS からの一節の翻訳がすっかり遅れていますが、次回にはそれを行ないます。

藤永 茂 (2010年12月23日)



歴史的科学哲学の難点(The Trouble)

2010年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム
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SSR: Thomas Kuhn “The Structure of Scientific Revolutions”
RSS: Thomas Kuhn “The Road Since Structure”
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 前回の終りに挙げておいた講演:
『The Trouble with the Historical Philosophy of Science (歴史的科学哲学の難点)』
はクーンの死の5年前の1991年11月ハーヴァード大学に招待されて行なった特別講演で、RSSの(105-120)に含まれています。この講演は科学論に関するクーンの最後の発言です。クーンが生涯の終りの15年間に、SSRに代わる著作、彼自身の言葉では、「SSRからの懸案である哲学的諸問題への復帰(a return to the philosophical problems left over from the Structure of Scientific Revolutions )」のプロジェクトとしての著作、を執筆していたことは、よく知られています。1990年、クーンは“The Road since Structure”と題する講演で、執筆中の著作のスケッチをしています。講演のタイトルは、彼の死後(2000年)に出版されたRSSと同じで、その内容はRSSの(90-104)に含まれています。John Preston 著の『Kuhn’s The Structure of Scientific Revolutions』(2008年)によると(p9)、クーンの遺著は、
『The Plurality of Worlds: An Evolutionary Theory of Scientific Discovery』
というタイトルで、RSSと同じ編者によって出版される予定とありますが、未だに、実現には至って居ません。
 ところで、野家啓一著『パラダイムとは何か』(2008年)の(p277)には、
■彼(クーン)はこの時期(1983年)から「通約不可能性」の問題を意味論や翻訳論の観点から考察する作業に向かっている。その研究方向をクーンは「歴史的科学哲学(historical philosophy of science)」と名づけ、その成果を『科学的発展と辞書的変化(Scientific Development and Lexical Change)』とだいする著作にまとめる予定であったが、残念なことにこの著作は彼自身の急逝によって未刊のままに終った。■
とあります。また、RSSの日本語版である佐々木力訳『構造以来の道、哲学論集 1970-1993』(2008年)には、
■最晩年の科学哲学に関するモノグラフ『科学変化と辞書変化』がどういう構想のもとに書かれることになっていたのかについては、わずかなヒントしか遺されていない。■(p458)
■『科学変化と辞書変化』は本質的に完成に近い形態で遺されたらしいが、シカゴから公刊される日が到来することを私は待望している。■(p462)
という言及がなされています。遺作の予定タイトルが、
(1)The Plurality of Worlds: An Evolutionary Theory of Scientific Discovery
(2)Scientific Development and Lexical Change
と二通りあるのが少し気になりますが、それよりもクーンの最後の公式講演の表題、
*    The Trouble with the Historical Philosophy of Science
の「トラブル」という言葉のほうに興味を惹かれます。クーンはこの厄介な響きの言葉で何を意味しようとしたのか? 彼自身による簡潔な答はこの講演の終りに近い所に与えられています。肝心な部分は是非原文で読んで頂きたいのですが、うるさく思う読者のために次回には訳出するつもりです:
■ With these remarks I conclude the presentation of the subject announced in my title. I shall shortly add a very short coda for those who know my earlier work. But first let me summarize the point we’ve reached. The trouble with the historical philosophy of science has been, I’ve suggested, that by basing itself upon observations of the historical record it has undermined the pillars on which the authority of scientific knowledge was formally thought to rest without supplying anything to replace them. The most central of the pillars I have in mind were two: first, that facts are prior to and independent of the beliefs for which they are said to supply the evidence, and, second, that what emerges from the practice of science are truths, probable truths, or approximations to the truth about a mind- and culture-independent external world.
What’s gone on since the undermining occurred has been efforts either to shore up those pillars or else to erase all vestige of them by showing that even in its own domain science has no special authority whatsoever. I’ve tried to suggest another approach. The difficulties that have seemed to undermine the authority of science should not be seen simply as observed facts about its practice. Rather they are necessary characteristics of any development or evolutionary process. That change makes it possible to reconceive what it is that scientists produce and how it is that they produce it.
Sketching the needed reconceptualization, I’ve indicated three of its main aspects. First,that what scientists produce and evaluate is not belief tout courtbut change of belief,・・・・■ (RSS, 118-119)
ここに書いてあることの重要点をごくごく荒っぽく拾えば、次のようになります。:
(a)これまで歴史的科学哲学は、自然科学の歴史的事実の観察に基づいて、今まで自然科学の権威を支えていると思われていた支柱を、それに代わる何らの支柱も与えないまま、掘り崩して台無しにしてしまった。それからというものは、古い柱を何とかつっかえ棒で支えようとする人々と、自然科学なんて何の特別の権威もないとする人々との争いが続いている。
(b)しかし、自然科学が権威を失うことになったのは、歴史的事実がそうさせたというよりも、歴史的事実によって判断を下すまでもなく、自然科学者がやっていることの本質を考え直せば(reconceive,辞書にはない言葉)、当たり前のこと、必然的なことになる。
(c)必要な考え直しの第一のポイントは、自然科学者が生み出し評価する対象として、これまでは、信念そのものを考えてきたが、そうではなく、信念の変化である・・・。
 いや、これだけでは、クーンさんここに来て何を言いたいのかよく分からないのは当然ですが、好奇心はそそられる筈です。「科学革命というのは科学者の信念の大きな変化のことであり、SSRは信念の革命的変化についての議論ではなかったのか?」とお考えの人が多いと思いますから。
 上の引用文の始めに「I shall shortly add a very short coda for those who know my earlier work.(このあと直ぐ、私の初期の仕事をご存知の人々にために、ごく短いコーダ(楽曲の終結部)を付け加えます)」とありますが、上掲の引用部の後に続くコーダの最後も、もう一つ、しゃれた音楽演奏用語で最終的に結ばれます。:
*   da capo al fine (ダ・カーポ・アル・フィーネ)
楽曲の演奏を、また始めから終りまで繰り返して行なう指示として用いられる言葉だそうです。このコーダの部分も将来くわしく検討するつもりですが、上の最後のインストラクションは、クーンの文字通りの最後の言葉として、興味津々です。彼の仕事の場合、da capo (頭から、始めから)と言えば、SSR, つまり、『科学革命の構造』にもどって再出発することを意味します。
 ひと頃、一つのテクストに一定の読み方というものはなく、色々な読み方があるとしきりに唱えられましたが、クーンの最後の講演というテクストを、私は、彼がSSRの主張の多くを取り下げてしまったことの表明として読み解きます。そうした事柄を次回からお話しすることにします。つまり、もう一度、SSRの始めに戻って、考え直す(re-conceive)ことをクーンは行なったと読んだわけです。私の読みは、このブログの第一回(2008年3月15日)に掲げた拙著未定稿『Undoing Thomas Kuhn 』の目次にある,
*  6.6 Kuhn undoing Himself
に書いてあります。この草稿は、将来、適当に改筆する予定です。
 佐々木力訳『構造以来の道』には原著にはない貴重な補章「歴史所産としての科学知識」(Scientific Knowledge as Historical Product)が含まれています。1986年、クーンが来日した時、東京大学教養学部で行なった講演のテクストです。その始めのところでも、声高に従来の科学哲学を否定したSSRについて、(振り返ってみると、われわれの否定の調子は強すぎたと思います)と反省しています。しかし、初めてSSRを読み始めて苦労する初学の読者たちは、こうしたクーンの後年の発言を知る由もないのが現実でしょう。「SSRは親切な本ではない」と私が言う理由の一つです。

藤永 茂 (2010年12月1日)