バイブル探検隊

徒然なるままに、日々の出来事の中と、聖書の御言葉とを照らし合わせる中で、見い出したことなどを書いていこうと思います。

『救い主イエスを証しする聖書』

2014-02-16 07:36:25 | Weblog
『救い主イエスを証しする聖書』

ヨハネによる福音書5章31~40節

 オリンピックが開催されていますが、見事にメダルを獲得したり、あともう少しでメダルに手が届きそうだったり、見ていてハラハラしますが、世界中から集まったアスリートとの競い合いであり、出身国の大勢の人たちからの期待という重圧や緊張が、選手のプレイに影響を与えることもあります。私たちの人生の歩みというものも、人生における様々な出来事に左右され、右往左往させられるのですが、しっかりと神様を見上げつつ歩んでいきたいと思います。

 単に神様を信じているというだけでは怖いと思います。私たちの人間関係においても、日頃付き合いが持たれて行く中で、段々と信頼関係がつくられていきます。神様と私たちとの信頼関係というものも、日々の生活の中で、神様のことを心にとめ、また神様に感謝する、そのような関係性は大事なことだと思います。ですから日曜日の礼拝だけでなく、日頃の生活の中でも、祈りと、賛美(感謝)と、御言葉(聖書)を通しての神様との交わりを大切にしたいと思います。

 信仰告白も、私たちが何を信じているのかを、整えてくれるものです。つまり、私の期待する神様ではなく、聖書が示す神を信じることが、私たちにとって大切だからです。律法学者たちは、聖書に書かれた表面的なところを読み、それを守れば良いと考えていました。しかし、聖書は、神様の御意志を聞いていくことを大切にしています。

 イエス・キリストが目の前に現れたにも関わらず、律法学者たちは拒絶し排除しようとしました。彼らの中にあった価値観と合わないために、イエス・キリストの言葉を聞くことができませんでした。このことは、私たちにもまた言えます。聖書を読み、イエス・キリストの言葉を、私たちが自分の価値観に基づいて聞こうとしても、同じように拒絶することがあるのです。砕かれた魂となり謙って、聖書の言葉に耳を傾ける必要があるのです。

(以上、2014年2月16日の礼拝説教の要旨です。)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする