日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

2008年4月の東大阪歌会(前半)

2008年04月06日 | 五行歌な日々
今回から、ひとり二首提出の歌会を、
実験的に行いましたので(少なくとも2回はします)、
半々に分けて、アップします。

では早速、参加者4人の
前半四首分を。

     ★

       斬られる者の
       最期の視線
       我が身の血桜
       咲き散り
       志士恍惚         北里英昭

       暮らしに
       男手は必要だ
       ビン詰めのふたは
       いつも
       固い           ほしかわなお

       ときどき
       あの人の心が
       まとわりついてベトベト
       己れの
       負の部分         大西稚比子

       雨雲より
       はるか手前の
       銀河系
       ビニ傘の上で
       弾ける雨粒        稲田準子


     ★

北里くんのは、
出来れば、
来たばっかりの『五行歌』4月号の
彼の連作と合わせてお読みくだされば、
と思いますが、でもでも。

歌の最初の二行と、後半三行では時差や状況が、
少し異なります。

最初の二行は、今年の正月に、
靖国神社に訪れたときのことだったのだそうです
(ちなみに、誰もいない市井社にも訪れたらしいけど・笑)。

二つの出来事が、彼の心を捉えました。

ひとつは、
神社を参拝するために、並んでいた人々を抜いて、
50~60代の男性が、
づかづかと、お社の前に向かっていきました。

そして、大声で、「バンザーイ!!」と叫んで、去っていったのだそうです。

その男性や、それに驚く周囲、そして、彼自身。

もうひとつは、
靖国神社の境内には、武道場(武道館?)があるらしく、
そこで彼は、初めて居合道を見物します。

居合道なので、斬られる相手に、刀は寸止め。

その寸止めされた、相手の視線を見たときに、
前半二行のフレーズが浮かんだのだそうです。

その後、ほどなく、司馬遼太郎作品と出会って。
そして、インスパイアされて。

お社での、男の狂気も入り混じり、後半三行を。

で、先月末締切の『五行歌』5月号で、
その前半二行のフレーズを使った歌を送付したのですが、
後半三行は、何度も何度も、書き直したらしく、
歌誌に投稿したのとは、また違うものを、
今回は出したのだそうです。

読み手が読みとくには、
ちょっと世界観が、独特で。

「血桜」という言葉のイメージは、魅力的でした。

彼が言うには、斬られたところから、
桜が伸びてくるようなイメージがあったようですが、
さすがにそれは、共通イメージにはなりませんでしたがね(笑)

私なんかは、
「志士」とあるところから、「新撰組」を思い浮かべ、
「池田屋事件」を連想し、
さらに、「血桜」から、「同期の桜」という言葉を連想し、
「2・26事件」を思い浮かべました。

世の中を、世界を、なんとかしようと思っての行為と、
恍惚とする狂気という、
若者の中の表裏一体感、とでもいうような。

「新撰組」と「2・26事件」の若い軍人には、
何か共通項があるのかも、とか。
その時代背景の差はなんだろう、とか。
そんなことを、直感的に。

もし覚えていたら、
後半三行の違う彼のこの歌を、
『五行歌』五月号で見比べてみてくださいませ。
(私も覚えていたら、見比べようっと!)

ほしかわさんの歌は、
みなさんから、点数を貰っていました。

「こんな風に頼られる自分でありたい」と北里くん。
「ホントにそう!こういう時に男手がほしいと思う!」と大西さん。

私は、昔読んだ田辺聖子さんの小説に、
こんな風に思う主人公がいたなぁと思い出していました。

タイトルも、あらすじも、
すっかり忘れてしまっているのに、
この時の描写だけを覚えていて。

「夫」ではなく「男手」が欲しいと思うんだよなぁ~なんて(笑)

ほしかわさんは、
「男の人にとって、こんな風に思われるのって、
どうなんでしょうか。
『ふただけをあけるだけの存在』として、
傍らにいてほしいと思われるのは」なんて、話をしたりして。

ちなみに、稲田の夫は、
「男だから出来ると思って、頼むんじゃない!」と言い返す、
頼られることに重みを感じている夫で、
時々、心の中で「この役立たずめ!」と、
腹を立てたりします
(まぁ、私がこの逆パターンで
「女だからと思って、衣食住が出来るんだと思うんじゃねぇ!」ってことも
ありますが・笑)

大西さんの歌は、
歌から、
「あの人」の人物像なんかを、
想像したりしました。

依存心の強い人なのかな?とか。

作者のコメントによると、
「あの人」というのは、
具体的な人という訳ではないのだそうです。

私の言い方での説明になりますが、
ひとりでいることが元々好きなので、
人が普通の付き合いとして、
接してくる感じが苦手で、
距離を置きたくなる。
その距離を置きたくなる部分を、「負の部分」であると。

稲田の作品は、
二週間ほど前の、
小雨が降っている中、
お給料を取りに行ったときに、
ビニ傘の中から見上げて、
雨雲を見たときの歌を。

ビニ傘の上にある水滴が、
星に見えて。

まず、ビニ傘の上にある水滴を、
なんて呼べばいいんだろうというところに
苦慮した。

候補は、星屑と、銀河系。

星屑にすると、
星が持つ「キラッと感」のようなものが薄れ、
主張が薄いなぁと思ったり、
銀河系にすると、
妙に秩序だった配列があるかのように、
思われるのが嫌だなぁと。

でも結局、
太陽系とか、星座と書いているわけではないから、
自分が思うほど、秩序だったものとして、
捉えないかもしれない、というところに賭けて(笑)、
銀河系で着地して。

だが、「銀河系」という言葉は、
読み手に思いもしなかったイメージを与えていた。

「夜」という状況を想起させていた。へー!!
だから、雨粒も、街灯に照らされて見えているという画。

あぁそこまで「キラッと感」が出ちゃいましたかっていう感じ。

「雨雲」という言葉を入れているから、
銀河系の向こうに雨雲が見えているっていう(夜だと雨雲が見えない)、
へんな言い方だけど逆転現象の構図も、
楽しめるかな?って思ってたので、
そう思われるとは思わなかった。

でも、面白いもので、
自分が体感した景色を捨てて、
夜の街灯に照らされたビニ傘の雨粒を思い浮かべると、
確かに綺麗で、
「あ、いいものが見えるー!」と喜んだりした。

人が私の歌で見せてくれた、
新しい景色。とても嬉しい。

     ★

実は、
体の調子が思わしくなく、
頭痛と吐き気がすごくって、
二首目あたりから、
何度となく、トイレへ駆け込んで嘔吐し、
歌会を中断させてしまった。

その為、歌の話の記憶が、
多少偏っていると思われるが、
特に作者の方には、ご容赦願いたいと思う。

早い目で、長い目の休憩を取り、
大西稚比子さんからは、胃薬を貰ったりして、
参加された人々から、沢山の気遣いをいただいた。

この場をお借りして、改めてお礼を申し上げます。

長い休憩の間に、吐くもの全部吐いたら、
頭痛は多少残るものの、回復期に入った。

おかげで後半は滞りなく進行が出来ました。

ってことで、後半に続く。

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