朝のウォーキング。
東西南北いろいろ歩いてみて、
自分が通っていた小学校あたりから、
Uターンするのが
大体一時間ぐらい歩けるので、
一番いいかな、と思い(一番、田舎っぽいルートになるのも、好みなので)、
そのコースを歩くようになった。
小学校の裏手には、天井川(地面より高い位置で流れる川)が流れている。
それは、昔も今も変わらない。
が、その土手に、ずっと桃の実が鈴なりになっていて、
その変わりぶりには、驚いた。
昔の場所が変わっていると、大概寂しくなるんだけど、
「こういう場合もあるんだ!」という意味も含めて、
その景色に感動した。
名前を『いなだもも(稲田桃)』と、言う。
なんてそのまんまなネーミング(笑)
江戸時代後期には、ものすごく沢山、
この桃が辺り一帯に植えられていたらしいが、
桃の栽培って、ものすごく手間がかかるらしく、
戦後、開発が進むにつれて、衰退。
名ばかりで、見たことはなかった。
存在だって、知らない人は、
例え地元の人でも、知らない桃だったと思う。
★
私が、その存在を、子供の頃から知っていたのは、
近くのバス停に、「桃」の名前がついているところがあって
(ちなみに、幼稚園の名前にも「桃」があって、
あちこちに名前だけには、名残が漂っていた)、
そこに、稲田桃のお話が書かれていたせいなんだけど
(なんせ、活字中毒症。バスを待ってる間に読んだりして自然に覚えるのよね)。
別に、私の頃は、
小学校の社会の授業で、
こういう地元の歴史や由来を習ったことなんてなく
(そういう授業って、あんまりないですよね。考えてみれば)。
でも、
ここまでかわいらしく実がなれば(おそらく春には花も咲いてるだろう)、
しかも、小学校の裏手であれば、
年月がたてば、
リアルな思い出と結びつきながら、きっと浸透するだろう。
(特に小学校の裏手の桃は、その当時小学三年生の子らで植えられたらしい。
子ども自身には、この時はピンと来ない一行事に過ぎなかっただろうけど、
きっと後々、大切なことのように残るような気がする。こういうのって)
素晴らしいことだと思ったら、
母がまた、素晴らしい裏ネタを持っていて、
その話を聞いてもまた感動した。
★
母は、ある時期、順番が回ってきて、町内会の世話役をしていた。
もう、5,6年前になるか。
その時期、
あるおじいさんがいて、
その人がものすごく、稲田桃の復活を熱望していて、
機会があれば、熱くこの桃のことを、人々に語っていたらしい。
やがて、具体的に動き始めて。
まず、同じ東大阪でも、
「稲田」という土地からは、
かなり離れたところのおうち(きっと昔からのお金持ちの家に違いない!)で、
稲田桃があることを探し出し、
種を分けてもらい
(余談だけど、稲田桃は、こんな風に昔、株?をわけあいっこしたりして、
大阪のあちこちに植えられた時期もあったらしい。
『桃谷』とか『桃山台(吹田)』とかって、
今でも地名に名残を漂わせていたりして)、
市だとかに掛け合って、
土手に植える許可をもらったり、
前述した小学校の自由研究の勉強の題材にしてもらったりして。
町内会の活動とかで、
無料で種を人にあげて、
家で植えてもらったりして
(小学校の並びにある住宅とか、それだけじゃなく他の場所にもあるらしく)。
『桃栗3年 柿8年』とは言ったもので、
3年目あたりから、実をつけるようになったという。
かわいらしいサイズの、
頭がツンと尖っている、
桃太郎が出てきそうな、
昔からの原種の桃が、たわわに実っている。
それが、たったひとりのおじいさんの危機感からだというのが、
なんだか胸打たれる。
この写真では、たわわ感は伝わりにくいか……。まぁいいか(笑)
もぎ取ってはいけないと注意書きがあるが、
自然に落っこちたものは、持って帰っていいよと、かごに入れられていたり、
こんな風に横並びにして置かれていたりした。
★
なんかのTVで、
「水族館で、魚の自由に泳ぐ姿を感動した後で、
『食べたいなぁ』というのは、関西の人だ」
みたいな事を言ってたのを聞いたことがあるけれど、
私も、例外ではなく、ある程度、愛でた後は。
「でさぁ、このいなだももって、食べられるの?」と、母に聞いていた(笑)
「無理やろう。ジャムにすることはできるやろうけど。
食べてみたとしても、おいしくないんちゃうか?」と、返された。
そういえば。
いつだったかの、『探偵ナイトスクープ』で、
「桃太郎の桃のように、先っちょの尖った桃を探してください」
という依頼を受けている時のを見たことがあって、
昔は、食べていたようだけど、
味としては、今出回っている桃とは、全然違って、
美味しくない、ということで、
現在では、
日本で何処を探しても、尖った桃は、ほぼ栽培されていないと、
岡山県のある桃の農家の人が、言っていたような記憶がよぎった。
ネットで調べると、
稲田桃も、まぁ農家の休憩時に、
ちょいとかじる、なんてことは、
あるにはあったらしいけど、
主には、お祭りにささげるお供え物として、
使われていた……とかとか。
よかった、食べなくて、と内心思う。
実は、こっそり1個だけ、
落っこちていた桃を、持って帰ってきていて、
食べようかどうしようか、迷っていたのだ。
いなだももを復活させる情熱どころか、
ジャムにする意欲もなく、
その桃が腐ってしまうまで、
しばらく匂いだけを嗅いで、楽しみました。
「稲田桃子」と名づけてみたりして(笑)
春には、稲田桃の花を撮って、アップしたいです。
まだ、ウォーキングを止めていなければ(寒くなると続かないからなぁ~・笑)。
東西南北いろいろ歩いてみて、
自分が通っていた小学校あたりから、
Uターンするのが
大体一時間ぐらい歩けるので、
一番いいかな、と思い(一番、田舎っぽいルートになるのも、好みなので)、
そのコースを歩くようになった。
小学校の裏手には、天井川(地面より高い位置で流れる川)が流れている。
それは、昔も今も変わらない。
が、その土手に、ずっと桃の実が鈴なりになっていて、
その変わりぶりには、驚いた。
昔の場所が変わっていると、大概寂しくなるんだけど、
「こういう場合もあるんだ!」という意味も含めて、
その景色に感動した。
名前を『いなだもも(稲田桃)』と、言う。
なんてそのまんまなネーミング(笑)
江戸時代後期には、ものすごく沢山、
この桃が辺り一帯に植えられていたらしいが、
桃の栽培って、ものすごく手間がかかるらしく、
戦後、開発が進むにつれて、衰退。
名ばかりで、見たことはなかった。
存在だって、知らない人は、
例え地元の人でも、知らない桃だったと思う。
★
私が、その存在を、子供の頃から知っていたのは、
近くのバス停に、「桃」の名前がついているところがあって
(ちなみに、幼稚園の名前にも「桃」があって、
あちこちに名前だけには、名残が漂っていた)、
そこに、稲田桃のお話が書かれていたせいなんだけど
(なんせ、活字中毒症。バスを待ってる間に読んだりして自然に覚えるのよね)。
別に、私の頃は、
小学校の社会の授業で、
こういう地元の歴史や由来を習ったことなんてなく
(そういう授業って、あんまりないですよね。考えてみれば)。
でも、
ここまでかわいらしく実がなれば(おそらく春には花も咲いてるだろう)、
しかも、小学校の裏手であれば、
年月がたてば、
リアルな思い出と結びつきながら、きっと浸透するだろう。
(特に小学校の裏手の桃は、その当時小学三年生の子らで植えられたらしい。
子ども自身には、この時はピンと来ない一行事に過ぎなかっただろうけど、
きっと後々、大切なことのように残るような気がする。こういうのって)
素晴らしいことだと思ったら、
母がまた、素晴らしい裏ネタを持っていて、
その話を聞いてもまた感動した。
★
母は、ある時期、順番が回ってきて、町内会の世話役をしていた。
もう、5,6年前になるか。
その時期、
あるおじいさんがいて、
その人がものすごく、稲田桃の復活を熱望していて、
機会があれば、熱くこの桃のことを、人々に語っていたらしい。
やがて、具体的に動き始めて。
まず、同じ東大阪でも、
「稲田」という土地からは、
かなり離れたところのおうち(きっと昔からのお金持ちの家に違いない!)で、
稲田桃があることを探し出し、
種を分けてもらい
(余談だけど、稲田桃は、こんな風に昔、株?をわけあいっこしたりして、
大阪のあちこちに植えられた時期もあったらしい。
『桃谷』とか『桃山台(吹田)』とかって、
今でも地名に名残を漂わせていたりして)、
市だとかに掛け合って、
土手に植える許可をもらったり、
前述した小学校の自由研究の勉強の題材にしてもらったりして。
町内会の活動とかで、
無料で種を人にあげて、
家で植えてもらったりして
(小学校の並びにある住宅とか、それだけじゃなく他の場所にもあるらしく)。
『桃栗3年 柿8年』とは言ったもので、
3年目あたりから、実をつけるようになったという。
かわいらしいサイズの、
頭がツンと尖っている、
桃太郎が出てきそうな、
昔からの原種の桃が、たわわに実っている。
それが、たったひとりのおじいさんの危機感からだというのが、
なんだか胸打たれる。
この写真では、たわわ感は伝わりにくいか……。まぁいいか(笑)
もぎ取ってはいけないと注意書きがあるが、
自然に落っこちたものは、持って帰っていいよと、かごに入れられていたり、
こんな風に横並びにして置かれていたりした。
★
なんかのTVで、
「水族館で、魚の自由に泳ぐ姿を感動した後で、
『食べたいなぁ』というのは、関西の人だ」
みたいな事を言ってたのを聞いたことがあるけれど、
私も、例外ではなく、ある程度、愛でた後は。
「でさぁ、このいなだももって、食べられるの?」と、母に聞いていた(笑)
「無理やろう。ジャムにすることはできるやろうけど。
食べてみたとしても、おいしくないんちゃうか?」と、返された。
そういえば。
いつだったかの、『探偵ナイトスクープ』で、
「桃太郎の桃のように、先っちょの尖った桃を探してください」
という依頼を受けている時のを見たことがあって、
昔は、食べていたようだけど、
味としては、今出回っている桃とは、全然違って、
美味しくない、ということで、
現在では、
日本で何処を探しても、尖った桃は、ほぼ栽培されていないと、
岡山県のある桃の農家の人が、言っていたような記憶がよぎった。
ネットで調べると、
稲田桃も、まぁ農家の休憩時に、
ちょいとかじる、なんてことは、
あるにはあったらしいけど、
主には、お祭りにささげるお供え物として、
使われていた……とかとか。
よかった、食べなくて、と内心思う。
実は、こっそり1個だけ、
落っこちていた桃を、持って帰ってきていて、
食べようかどうしようか、迷っていたのだ。
いなだももを復活させる情熱どころか、
ジャムにする意欲もなく、
その桃が腐ってしまうまで、
しばらく匂いだけを嗅いで、楽しみました。
「稲田桃子」と名づけてみたりして(笑)
春には、稲田桃の花を撮って、アップしたいです。
まだ、ウォーキングを止めていなければ(寒くなると続かないからなぁ~・笑)。