日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

公のことと、個人のことの結び目。

2005年05月07日 | その他の日々
着付けのお稽古に行ってきた。

今日は先生含めて3人だけだったので、
お稽古が終った後、
そのままコーヒーを入れて下さった。

     ★

主にこの前の
着付け発表会(05.4.17~の日記参照)
の時の写真を元に、
お話をしたのだが、

話がはずんだので、さらに先生は、
その10年前の、20周年の時の、
写真を持ってきてくださった。

いろいろ見ていると、先生が、

「この時の招待状を送るのが、
阪神の震災の直後でね。
まぁ、大阪やから、直撃した人はいなかったけど、
こう……ね、華やかなことするのは、
どうなんやろうと、
関係ないといえば、関係ないけど、
ちょっと考えたのね。
でね、
全くの赤の他人ですらこうなのに、
今回の、電車の事故で、
ボウリングでしょ!、ゴルフでしょ!
ちょっと、神経、疑うわ」

と、言った。

先生のそのセリフには、
なんとなく説得性があり、
嘘じゃない気持ちで、
「そうですね」と深くうなづけた。

     ★

先生に言われるまでもなく、
そういうことはニュースで知っていたが、
それを聞くたびに、
私は、それをどう思っていいのか、わからずにいた。

ボウリングを行った時点で、
ゴルフをしている時点で、
どのくらいの情報が、彼らの耳に届いてたのか。

少なくとも、今日の先生ぐらいの情報は、
知らなかったんじゃないか、と思うんだけど
(調べてないけれど)。

そういう情報を知らせてなかった、
上司っていうのには、なんだかなーっていう
気持ちは芽生えたけれど。

(ボウリングの人達は、ケータイがなったのに、
とらなかったというのは、いけないかなぁと思ったけど)

ところが、このように、
自分の気持ちが、
落ちつきどころを求めて、
JRの一番失態しているところを求めて、
連鎖して考えるほど
同時にうんざり感も湧いてきたりして。

     ★

なんとなく、昭和天皇の崩御前の、自粛ムードの中、
五木ひろしが大々的な結婚式を延期したのを思い出した。
(ズレてる?)

どこまで、公のことを、個人の出来事に結びつけるのか。

なんだか、日本て、そこらへん、がっつりするよな。
(外国のこと、知ってるわけじゃないけどさ)

「自分は自分」と意志を強くして、
本人自身が思ってても、
周囲の圧力が並々ではなくて、実現しない時もある。

私にJRをかばう気持ちはないんだけれど、
(やっぱり、憤ることのほうが、多いです)
報道からもらった鎖を、
どう受け止めていいのか、ちょっとわからない時がある。

こんな鎖、私にくれなくったって……と思ってしまう。

そんなに知らなくっちゃ、いけないことかなぁ。

報道するものがなくなってきたから、
イジメに走ってる?とすら錯覚してしまう。

イジメだなんて、錯覚だよねぇ。これ。

     ★

でも、思うのだ。

どこまで知る必要がある?
どこまで知らせる必要がある?

どこまで、人ひとりで、
情報の咀嚼ができる?

単純な人は、
「置き石」と言えば、「置き石」をする。
それは、あまりにも、咀嚼力はないけれど。

他人事を自分のことのように思って、
胸を痛め、
その痛みを共有する/しないを、
どこに境界線をおいて、
内面から外へ持っていく?

こういう迷いの中にいると、
明確な気持ちを持っている人に、
思わずうなづいてしまうことがある。

私はたまたま、着付けの先生だった。
だが、誰かは、あくどい新興宗教かもしれない。

     ★

迷う人は、決して弱い人間ではない。
公の情報に単純な人のほうが、むしろ弱い。

迷いながらも、着付けの先生は、
10年前、20周年の着付けの発表会をホテルで催した。

小さなこと・大きなことを問わず、
迷った後に、迷わない決断が出来る人は素晴らしい。

迷っている人を、わかりやすい道へ誘う奴は妖しい。

     ★

JRの体質は、いただけない。

だけど、オーバーランが後を絶たないのは、
運転手の平常心を妨げる、
私と同じような立場の奴がいるんじゃないかと想像して、
そんな奴にだけはならない、と明確に強く思う。

単純に、責める気にはならない。

わからないものは、考え続ける。
わかりきったことは、改めて思い直す。

人ひとりに出来ることだけは、ちゃんとしよう。
沢山の人がそれをすれば、
何かを未然に防ぐことだってあろう。

その何も起こらなかったという素晴らしさが、
報道されることは、ないだろうけどね。

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