日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

優しさは、「死」のイメージ。

2005年05月22日 | その他の日々
母が、姿見と桐の箪笥のカバーを
縫って持ってきてくれた。

「我ながら、上手いわ~、ぴったりや!」
と惚れ惚れしているご様子。

ありがたや。

     ★

季節的に、もう着物で出歩くのはきついので、
(※ひとえ(単)の夏の着物は持ってないのよ~!)
余所行き用の長襦袢の半衿を
ほどいて、洗って、付け直すのを、
教えてもらう。

と言っても、私は見るばかり。

母は一見教えるよう振舞うが、
一枚目は、
「並縫いで、簡単ににつければいいのよ」
と見せておきながら、
二枚目は、
「見て!まつり縫いすると、こんなに目立たないでしょ!」
と、「完璧」目指して、熱中していった。

一応、母の実益を兼ねた優しさではあるが、
なんだか、ありがたすぎて、心苦しい。

心苦しさから、晩ご飯作って、一緒に食べた。
(父には悪かったけど。ひとりで外で食べたらしい。ごめんね!)

     ★

自分でも不思議なのだが、
小さい頃、家族全員でどこかに出かけると、
「貧乏」のイメージが反射的に脳裏をよぎった。

お金が全部なくなって、
明日から、
路上で、空っぽのカンカンに、
お金を入れてもらうように乞う家族の絵が、
頭の中によく浮んだ。

さすがに今は、そんなことはないけれど。

     ★

でも、結婚してからかな。

同じような感覚で、
親からの優しさ、親切さは、
「死」をイメージするようになった。

これが最期の出来事になるかもしれない、
そういう気持ちが、よぎるようになり、
心細くなるようになった。

こうやって、
シュミレーションさせてもらって、
本当の「死」を受け入れれるように、
訓練させてもらっているのかな。

     ★

漠然とした「死」に
自分が負けないように、
「ありがとう」という言葉より、
具体的に出来るお返し(まぁ、言うほどのことはできないが)を、
不器用なりに、考えるようになった。
(実行できる確率は、まだまだ低いが)

親に優しくしているというより、
「死」のイメージを遠ざけるためなんだ。

だから母よ、そんなに
「おいしい。おいしい」と言って、
市販の具をぶっかけただけの、
スパゲッティーを食べるのは、やめてほしいよ。

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