仕事で、倉庫整理を手伝った。
どんな状況でも、お客さんの電話を取らない
課長の下で。
★
気がついたのだが、
私が
この課長の根本的にキライな箇所は、
すべてにおいて考えないところだ。
考えようともしないところだ。
例えば、Aという仕事がある。
Aという仕事はBという仕事の、
ある一端を担っていたとする。
で、私はAという仕事をするのだが、
それを短時間でするにはどうしたらいいのか、
低コストのためにはどうしたらいいのか、
考えて、
遂行しようとする。
が、それは、Bという仕事のための、
一部分な訳だから、
私が思いついたことをそのまましても、
全体的な目から見れば、
短時間にも、低コストにもつながらない場合がある。
その為に、仕事の遂行の仕方について、
課長に提案してみたり、質問したりするのだが、
課長は考えもせずに、
「じゃ、そうして。やってやって」
と答える。
結果、
短時間にも、低コストにもつながっているかどうか、
確信がもてないまま、
仕事をすることになる。
その未消化感は、
「ひょっとして、自分の仕事をムダに増やした……?」
と、自滅的な錯覚を起こして、
やる気を削ぐ。
そういう思いばっかりさせられるので、
課長の下で働くのは、すごくイヤ。
★
まだ、会議資料作りなどなら、
完成の「型」が決まっているので、
その過程をいかに短時間で、低コストでするか、
ということだけを考えればいい。
いや、正確に言うと、
自分(課長ね)は命令するだけで、
やってもらう人(私ね)に
考えてもらえばいい。
だが、倉庫整理の場合、
決まった「型」があるわけではない。
しかも、棚の移動をはじめ、
非力な私が手伝えることといえば、
限られていて、
率先してイメージして動くことはできない。
まず課長自身が考えて、
完成形をイメージして、
それに見合うように、指示しないといけない。
それをプレゼンテーションしてもらった上でないと、
私だって提案しづらいし、
気の利くことが、できない
(基本的に気がつかないほうではあるけどね~)。
で、考えない課長が言い始めた。
倉庫整理の段取り。
★
「この棚を横にして、2列3列と作ったら、
かっこいいと思うねんやんか?」
――かっこいい?だけど機能的かなぁ……。
ん?なんだろう、この違和感は……。
「で、まず動かすために、ここの棚にあるのを、
こっちの棚に移動させないと、重いから、動かへんやろ?」
――でも、こっちの棚、小さいから、まるまる移動は無理な気が。
なんだろう??イライラが拡がってきたぞ。
全部まるまるこっちに移動は無理だと思います、と
口を挟んだ。
「そうか?下からぎゅうぎゅうに詰めていったら、
とりあえずある程度は少なくなって、この棚を動かせるやろ?
そう思えへんか?」
――そしたら、そのぎゅうぎゅう詰めの棚を移動させるとき、
また、どっかへそれを移動させるの??
中途半端に入らないものは、どうなるの?
単純に開いたところに置いたら、急ぎの時、
「あれ?どこに置いてあるんや!あれだけが、ここにない!」
とか、そういうことになれへんのか?
……に、しても、イライライライラ……。
あ!わかった!イライラの理由!!
なんで、疑問形で、指示を出してるの!?
っていうか、なんで、あちきに同意を求めるでやんすか!?
★
あぁ、きっとこの人は、
家のことを全部奥さんに任せがちなんだ。
家のインテリアとか、掃除とか、
きっと無関心なんだろう。
普段から、一度自分でものごとを
考えたり、咀嚼したりしないに加えて、
立体的・空間的イメージングの
経験不足から、
疑問形でしか、指示できないでいる。
疑問形での命令、サイテー!!
うなづいていいのか、首を振ったらいいのか、
わかんねー!!
松下幸之助が、「情けない!」と、
草葉の陰で、泣いてるぜ!!(泣いてへん、泣いてへん)
★
とりあえず、移動させたらいいんですね、
と言って、
――多分これは、無駄な動きだ。
あっちへ移動、こっちへ移動がこの後あるぞ。
と、胸の中でむなしさをかみ締めながら、
課長の言ったとおりに棚のものを下ろした。
案の定、
私の帰る時間帯になって、
仕事が出来るナンバー2に、課長、ダメだしをくらってた。
そしてお決まりの、
「やって!指示して!」
と言って、
ナンバー2に自分に指示するようお願いしていた(しかも命令口調でだ!)。
私は帰る時間になったので、
そそくさと帰った。
気質というものがある。性格というものもある。
人の知恵を呼ぶ、呼び水程度でいい、
課長よ、
逃げるなよ。依存するなよ。
まずは自分で考えてくれよ。
どんな状況でも、お客さんの電話を取らない
課長の下で。
★
気がついたのだが、
私が
この課長の根本的にキライな箇所は、
すべてにおいて考えないところだ。
考えようともしないところだ。
例えば、Aという仕事がある。
Aという仕事はBという仕事の、
ある一端を担っていたとする。
で、私はAという仕事をするのだが、
それを短時間でするにはどうしたらいいのか、
低コストのためにはどうしたらいいのか、
考えて、
遂行しようとする。
が、それは、Bという仕事のための、
一部分な訳だから、
私が思いついたことをそのまましても、
全体的な目から見れば、
短時間にも、低コストにもつながらない場合がある。
その為に、仕事の遂行の仕方について、
課長に提案してみたり、質問したりするのだが、
課長は考えもせずに、
「じゃ、そうして。やってやって」
と答える。
結果、
短時間にも、低コストにもつながっているかどうか、
確信がもてないまま、
仕事をすることになる。
その未消化感は、
「ひょっとして、自分の仕事をムダに増やした……?」
と、自滅的な錯覚を起こして、
やる気を削ぐ。
そういう思いばっかりさせられるので、
課長の下で働くのは、すごくイヤ。
★
まだ、会議資料作りなどなら、
完成の「型」が決まっているので、
その過程をいかに短時間で、低コストでするか、
ということだけを考えればいい。
いや、正確に言うと、
自分(課長ね)は命令するだけで、
やってもらう人(私ね)に
考えてもらえばいい。
だが、倉庫整理の場合、
決まった「型」があるわけではない。
しかも、棚の移動をはじめ、
非力な私が手伝えることといえば、
限られていて、
率先してイメージして動くことはできない。
まず課長自身が考えて、
完成形をイメージして、
それに見合うように、指示しないといけない。
それをプレゼンテーションしてもらった上でないと、
私だって提案しづらいし、
気の利くことが、できない
(基本的に気がつかないほうではあるけどね~)。
で、考えない課長が言い始めた。
倉庫整理の段取り。
★
「この棚を横にして、2列3列と作ったら、
かっこいいと思うねんやんか?」
――かっこいい?だけど機能的かなぁ……。
ん?なんだろう、この違和感は……。
「で、まず動かすために、ここの棚にあるのを、
こっちの棚に移動させないと、重いから、動かへんやろ?」
――でも、こっちの棚、小さいから、まるまる移動は無理な気が。
なんだろう??イライラが拡がってきたぞ。
全部まるまるこっちに移動は無理だと思います、と
口を挟んだ。
「そうか?下からぎゅうぎゅうに詰めていったら、
とりあえずある程度は少なくなって、この棚を動かせるやろ?
そう思えへんか?」
――そしたら、そのぎゅうぎゅう詰めの棚を移動させるとき、
また、どっかへそれを移動させるの??
中途半端に入らないものは、どうなるの?
単純に開いたところに置いたら、急ぎの時、
「あれ?どこに置いてあるんや!あれだけが、ここにない!」
とか、そういうことになれへんのか?
……に、しても、イライライライラ……。
あ!わかった!イライラの理由!!
なんで、疑問形で、指示を出してるの!?
っていうか、なんで、あちきに同意を求めるでやんすか!?
★
あぁ、きっとこの人は、
家のことを全部奥さんに任せがちなんだ。
家のインテリアとか、掃除とか、
きっと無関心なんだろう。
普段から、一度自分でものごとを
考えたり、咀嚼したりしないに加えて、
立体的・空間的イメージングの
経験不足から、
疑問形でしか、指示できないでいる。
疑問形での命令、サイテー!!
うなづいていいのか、首を振ったらいいのか、
わかんねー!!
松下幸之助が、「情けない!」と、
草葉の陰で、泣いてるぜ!!(泣いてへん、泣いてへん)
★
とりあえず、移動させたらいいんですね、
と言って、
――多分これは、無駄な動きだ。
あっちへ移動、こっちへ移動がこの後あるぞ。
と、胸の中でむなしさをかみ締めながら、
課長の言ったとおりに棚のものを下ろした。
案の定、
私の帰る時間帯になって、
仕事が出来るナンバー2に、課長、ダメだしをくらってた。
そしてお決まりの、
「やって!指示して!」
と言って、
ナンバー2に自分に指示するようお願いしていた(しかも命令口調でだ!)。
私は帰る時間になったので、
そそくさと帰った。
気質というものがある。性格というものもある。
人の知恵を呼ぶ、呼び水程度でいい、
課長よ、
逃げるなよ。依存するなよ。
まずは自分で考えてくれよ。