日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

ロボットの顔の差

2007年06月21日 | TV・映画などの日々
いつのことだったか、
夕方のローカルなニュース番組で、
自分の顔そっくりの
ロボットを作った、
ある大学(阪大……だったかな?)の
教授が紹介されていた。

皮膚から、表情から、
あらゆる技術を駆使して、
かなり教授に
リアルに似せていた。

そのゼミ?の部屋の大学生(院生?)も、
「背後に立たれると怖いです」なんて、
笑いながら言っていたような気がする。

それから、数日後。

今年に入ってから、
二回ほど2時間番組として放映されていた、
『トリビアの泉』で、
あの相対性理論の
アインシュタイン博士にそっくりな
韓国のロボットが紹介されていた。

これもまた、リアルに似ていた。

日本の教授は、自分の顔のロボット。
韓国の教授は、アインシュタイン顔のロボット。

上手くいえないのだけど、
何かそこに、意識の差を感じた。

何故、自分の顔?
何故、アインシュタイン?

     ★

当たり前だけど、
人は、生きている限り、年を取る。

子どもほどの爆発的なスピードではなくても、
人は日々、たえず変化を遂げている。

鴨長明『方丈記』の有名な冒頭の言葉を思い出す。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」


養老猛司さんの『バカの壁』でも、
似たようなことをいっていたような気がするが。

日本の教授のロボットは、
自分の顔に似せて作った。

だが、教授は生きている。
少しずつ、少しずつ、細胞は変化を遂げている。

ロボットは、いつか、教授に似なくなる。
教授のほうが、ロボットに似なくなっていく。

そして、数年立てば、
「教授が背後に立っているようで、怖いですね」と、
コメントしていたゼミの学生たちも、
それぞれの人生を歩みだす過程で、
その部屋から立ち去っていくだろう。

つまり、
『もとの水にあらず』なので、
常に教授の部屋には、二十代の学生が行きかうが、
『もとの水にあらず』な学生たちは、
いつか、
教授のロボットと教授本人を、
「限りなく同一」と認知しなくなる日も来るだろう。

何もせず、生命を維持するだけで、
人は、絶えず変化を遂げている。

その意識が、
この教授は薄いのかな?と思った。

いや、教授だけじゃなく、
私を含めた、
今を生きてる人たちは。

「そんなにオカタク考えるなよ」と、
学生さんたちに人気があったっぽい、
その教授さんは
私に、
ツッコミを入れるかもしれないけれど。

そうかもしれないけれど、
私はこの教授の顔のセレクトの仕方に、
知性を感じない。

奥深さを感じない。

     ★

それに対して、
韓国の教授は、
何故アインシュタイン博士の顔を
ロボットの顔にセレクトしたんだろう。

有名人のほうが、
「いかに似ているか」ということが、
理解しやすいからかなぁと思う。

ゼミの学生が面白がる以上に、
一般の韓国の人が理解できる以上に、
全世界の人々がひと目で納得できるように、
という、
狙いというか、配慮というか、ひろがりというか、
そういう視点があったのかなぁと想像する。

また、なによりも、
韓国の教授個人が、
アインシュタイン博士を尊敬してたんだろうか、
憧れていたんだろうか、とも考えた。

もし、そうだとしたら、
この韓国の教授の、
研究者としての、
根ざしているものというか、
思想というか、
そういう「象徴」としての視点からも、
そのセレクトの意味が、
見えてきたりもして。

教授の姿かたちではなく、
その内面を象徴したものとして、ロボットを見る。

そして、何よりも、
人生の完結を遂げた人物を、
変化を遂げない、
遂げることの出来ない、
ロボットの顔にしたことに、
「あぁ、根本的に、わかっているのかも……」
と、見てしまう。

どれだけ、限りなく人間に近いロボットを作ったとしても、
ロボットはロボットであるという倫理。

「人間のようなもの」というレベルに、
挑戦し続けながら、
「人間」を作ることは出来ないし、
その境界線を明確に常に認識しておくべきという思想。

本当のところは、わからないけど、
顔の差に、
そういうところを見出してしまう。

     ★

人が成長や老化を遂げていくように、
ロボット開発の技術や研究も、
日進月歩の歩みなのだろう。

その最先端の歩みの中を、
日本の教授も韓国の教授も、
歩いているのだろう。

彼らは、
技術屋じゃない。研究者だ。

だから、
どんな哲学の上に立って、
先頭を歩いているのか、
私は興味を持ってしまう。

いつか、日常の手元にまで下りてくるかもしれない、
今の最先端を、
人として、人らしく、
使いこなせる未来を生きていくために。

アインシュタイン博士の時の、
原爆のようなかたちで、
使ってしまわない人類でいるために。

最新の画像もっと見る