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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

粗忽の使者

2013-10-27 | 時事
 日本版NSCなんて言い換えているが、あれは内務省の復活でないかと小生は睨んでいる。尤も内務省と言っても、あの戦時体制時代のものである。特高の元締めで「思想犯」、「非国民」を片端からしょっぴいた役所の親玉である。安倍某は、戦後レジームの脱却と謳っているが、巷間揶揄されているように、器は作っても、中身は米追従の役所である。一昔前に、正確には二,三昔前の政治家なら、へへえと頭を下げて、舌を出すような腹芸を持っていたが、今の政治家に腹芸なぞ望めない。それこそ、今週の積善者なんて表彰されて、にやにやしている子供と同じ頭である。NSCを作ったところで、どこぞの合併銀行の如くであろう。それこそ、頭を押さえつけられている通産省が、財務に一泡吹かせようと、かたや財務の方は、これでもう少し風通しよく他省を分割統合、更には整理が出来るとほくそ笑んでいる姿が見える。知らぬは、旗ふりをしている大臣連中だけである。
 思い起こせば、民主時代に、各大臣が右往左往したのは他でもない、役人が結託して情報を大臣にあげなかったからだし、尤もあげたところで、その情報の中身がわからぬ輩がいたかもしれない。田中眞紀子が外務省でひと騒動起こしたのも、官僚の反乱であった。有志は、民主だからというかも知れぬが、自民政権の今でも、年金問題は解決しない、復興税の使途不明も解決してない。大臣だぞ、と恫喝したところで無駄である。彼らが向いているのは太平洋の彼方である。白亜の豪邸である。秘密が10あったら、1つだけ教えればよい。誰にも言わないでねの殺し文句である。大臣なるものは、それを聞いて得々とするだろう。喜色満面の笑みを浮かべるだろう。浮かべてどこぞでうっかり喋るだろう。喋った内容を嬉々として報じるものがいるだろう。ここまでは、今の世と変わらない。変わるのは、喋らせて、報じさせて、あの法律の登場である。
 顔面蒼白になった官僚が、「大臣」に耳打ちする。どうして喋ったのですか、法に触れますよと。そこで畳み掛けるように対処法を教える。大臣は地獄に仏とばかりに、官僚の言う事を聞くであろう。聞いて、漏らした相手に伝えるであろう。今度はこれこれを報じよと。勿論、大臣は先ほど自分が周章狼狽したことなど忘れている。そうして、さも自分が策を弄しているかのように相手に伝える。
 斯くして事は目出度く相成りにけり。今で言う、TPPに、労働法の改正、増税、年金削除、何でもやり放題である。幸い、今度の法案は機密漏洩を防ぐものである。絵図面をひいたものは、わからないままであろう。どうしてこうなったのかもわからないままである。時の大臣某が裏で云々という言葉が巷間に出回った頃には、何もわからない。大臣なんて持ち上げていても選挙が終わればただの人である。騒いだところで、簡単にしょっぴける。出庭って来るのはし下っピキで十分である。
  黒澤の名作の一つに「悪い奴程よく眠る」とあった。小生も枕を高くして眠る。

やっぱりね

2013-07-23 | 時事

 選挙終わって、開けてみれば自民の圧勝であった。本日の朝日新聞で内田樹氏が、今回の選挙を総括して「目先の百万」に踊るというようなことを述べていた。小生もほぼ同意見であるが、被災地の当選者を見て自民が圧勝、民主一部という背景について考えてみた。原発収束宣言を出したのは、野田政権で、脱原発を打ち出したのは菅政権であった。安倍政権に移って、悉く件の政策は覆され、原発に関するニュースはきれいに画面から消えてしまった。福島では、甲状腺検査の規定の甘さ、除染作業の効果薄すさ、さらには作業員の被爆線量の限界値越えと諸々の問題がありながらも、清志郎氏の歌の如く原子力発電所が建っていたである。それでも被災地では自民が圧勝という事態には、前回の選挙で政権を交代させたことの代償があまりに大きかったからに他ならないと小生は思う。知人が、陸前高田支援活動をしていて、政権交代後に起った悲劇を話してくれたことがあった。政権交代は、復興事業が遅々として進まない事態を招来したということであった。民主政権の時に打ち出した復興計画が、自民が勝って、ねじれが生じたら、次々と役所の事業が止まった。それが陸前高田に起きた事態であったらしい。勿論、復興事業が再開しても、大手ゼネコンが肝心な箇所を握っているから地元に仕事は降りてこない。それでも遅延、遅滞しているよりはましというのが本音らしい。本音らしいと書いたのは、陸前高田の人々が全員そう思っているとは言い切れないからだ。ただ、言えるのは時があの日を一般の人々から風化させ、原発収束宣言の如く、かの地も「復興の目処立つ」で片付けられることが恐い。ならば、TPPも大事だが、それよりも目先の生活を取り戻したいというのが、今回の東北、正確には被災地の選挙結果ではなかろうか。小生はこれをもってして「スピード」「即決」を良しとしない。

 もちろん被災地には即断即決、柔軟性が必要である。ただ片方で、即断即決をしなくても済む場所もあるということだ。政治とは、そのようにいろいろな立場の人間の利害関係を調整するものであり、時に優柔不断が功を奏すこともあろう、時に即断即決が必要とされようと小生は思う。内田氏は、政治の本質を理解することなく「日本国民全員」が即断即決になってしまったことを慨嘆されておる。小生も同意見である。

 この比喩が適切かわからないが、今の復興事業を見ていると、金は用意したけど、種籾を買うか、苗を買うか、それとも出来合いの米を買うかと揉めているように思える。だから小生は思う。すべて用意してみたらいかかが。その上でどれを望むか尋ねてみよ。尋ねて即座に応じられるものもいよう。中にはみんな欲しいというものもいよう、ならば、それを説得したらいかが。時間はかかる。それが大人の仕儀というものであろうに。

 今の日本は、まるでニートの「若者」のようである。理屈と夢を語って、肝心の額に汗して働くことを忘れ、親が出してくれる三度の食事を待つだけという。親が倒れたらどうすると言えば、その時はその時でなんとかする。自分の身体が壊れたら、そんなことは考えていない。こんな生活いつまでも続くと思うのか、わからない、けど今は腹が減ったから何かない。お新香とご飯だよ、じゃ、いらない、吉野家で弁当買ってきて。親の部分を国に言い換えておくれ。かくいう小生もこの国で、この社会で禄を食んでいる。

 

 


やむを得ず 投票

2013-07-08 | 時事

 先般の選挙の時、争点は原発と被災地復興かと思えば、景気対策であった。今般はどうなるのかと思えば、やはり景気対策である。世の中、全て金かと。パンとサーカスではないが、パンだけ何とかなれば、政治に対して無関心でいられるのも有権者の特徴であろうか。為に、憲法改正、被災地の復興事業、福島の健康被害、未だ収まらぬ原発、社会不安もあまり大きな論点になっていないような気がするのは小生が愚鈍なせいかしら。朝三暮四ではないが、育休を推奨し、片方で地方正規雇用法という訳の分からぬ法も出来たと仄聞した。人のことは責められない、小生がこのような駄文を書けるのも、糊口を凌ぐ術があるかもしれない。企業がいつでも従業員を整理することが出来れば、つまるところ儲けだけに走り、社会貢献なんてのは二の次、三の次になるであろうことは想像に難くあるまい。企業が利益をあげれば、その分賃金に反映して、目出度く景気が浮上すると言われてどのくらいになるかしらない。利益が、消費が云々という報道を聞いて、それから給金が増えたとか、正社員が増えた、労働条件、状況が改善したなんて話も聞かない。派遣社員を三年以上使うことはまかりならぬと言えば、企業は二年で、三年目に試験を設けて採用条件を厳しくする。無事馘首に成功した暁には、外注で作らせた会社に派遣し、一年後には貴君、貴女は戻ってこられると猫なで声で勧誘している。声をかける人間は、元から仕事ができる人間である。だから、会社は困っても、当人は困らない。同じ光景を十年前にも見た.早期退職と声をかけて、社内で募ったら、優秀な人間が応募してきて、退職金を貰って次の職場へと移って行った。しかもヘッドハンティングとやらで。人に機会を増やせと言われれば、PIPとかいう制度を設けて、貴君、貴女に新しい仕事に取りかかってくれる前に、スキルアップして欲しいと言って、馘首へとこれまた繋げている。高額納税者は、海外に口座を移して節税対策に励んでいる。市中に金が回れば景気が浮上するという。銀行は金を貸す相手を必死に探している。蓋し、ある制度にそってである。その制度を利用すれば、貸し付け先が焦げ付いたとしても税金で補填してくれると聞いた。知人の会社には金融機関からひっきりなしに借りてくれと電話が来ると聞いた。正規雇用を増やすように企業は努力している。これもまたある制度を利用することである。三ヶ月の研修見習いで非正規で雇い、その後半年の準社員、一年後に正社員にするという規約のもとで、人を募る。その制度を利用すれば、公的補助がおりる。下請け、中小の新興業種は、その制度を利用している。一応これには、罰則規定があるらしい。どちらも聞こえはいいが、抜け道がいくつもある制度である。

 年金制度が破綻する、国民皆保険が持たない、被災地復興のためだから増税すると言う。言っているが、やっていることは若者、女性に働き口を塞ぎ、被災地の復興を遠のかせ、社会不安を増すことばかりなのように思えるのは小生のつむじ曲がりの証左かしらん。今回の選挙もやはり「金」の一言に尽きるのだろうか。

 やむを得ずというのは圧政の口実であるとミルトンは言い、投票は弾丸より強しとリンカンは言った。


嫁して三年子なきは

2013-06-11 | 時事

 育児休暇三年は親子のことを考えているのだろうか。子供の成長にとって生まれてから三年親子が一緒にいることが云々ということを専門家に語らせている。脳科学者も連れてきているのかもしれない。男子もまた育児休暇がとれるらしい。

 ジャパンアズナンバーワンといわれた頃、10年、20年なんて悠長なことを言ってはダメだ。五年先、三年先を見通せと喧しく言われたと記憶している。やがてコンピューターが家庭に入り込んでくると、その進化は一年から月単位で考えなくてならなくなった。ウィンドウズのソフト更新を見ればわかる。変化は急速に進んでいる。その変化に対応できるようになれと言っていたのはついこの前である。ならば、三年という月日が、どのくらいであるか察しがつくだろう。職場を離れて三年経てば、今浦島である。人も変われば、部署も変わるであろう、仕事内容も変わっているだろう。使っていたパソコンも古いものになるだろう。

 会社経営をしている知人曰く、育児休暇三年を認めれば、その分人を雇い入れる、蓋し賃金は今の限りではない。三年休んで一人頭、900万払うなら、年収百万で三人雇って、もとをとる。一人なら不安なので、もう一人保険にして三人雇うと。

 俗に一人なら大変だが二人ならなんとかやっていけるが所帯を持つ殺し文句である。少子化、晩婚化の当今ならば、これから殺し文句が生きて行くだろう。低賃金で雇って、物価は上げて.一人で生きるのが非効率に思えるようにする。いよいよ殺し文句の出番である。扶養手当がつこうとも、勘定済みである。たとい、手当が現状のままでも、基本給を下げてしまえば、大丈夫である。三年経って出社して、今浦島になれば、非正規社員への道が用意してある。パートを見つけるのも容易でない、新しい仕事に就くのも手間がかかる。勝手知ったる会社である。旧知の人もいる。人間関係を一から作らずに済む。家計簿を見れば、四の五の言っている暇はない。社員は進んで判をつくだろう。ならば資格を取って、欠かせぬ人間になればと考えるのは非才である。世は取り替えが効くように成り立っている。グローバル企業と呼ばれる社長の言葉を聞けば、廉価で取り替え交換部品をいよいよ作ろうとしているのはあきらかである。

 通信手段の発達で、自宅にいても部分的な仕事はできる。出来るなら育休の給与に段階をつけるだろう。小生は、故あって原稿書きのまねごとをしている。デジタルなことに迂愚な小生でもテキストファイルで送られてきたものを開いて、依頼された書式なりで文章を作る。ならば会社は、データーや資料の作成程度なら「育休」の社員に仕事を廻すだろう。仕事をさせて、無駄に遊ばせておく社員を作らないだろう。

 俗に、嫁して三年子なきは去れと言った、ならば育休して三年仕事なきは去れか。

今の政権の経済戦略には、女性の活用という文句が踊っていたような気がする。 


「ごっこ」遊び

2013-05-06 | 時事

 ご存知の方もいると思われるが、小平市議会は、都市道路の建設の住民投票に関して、投票率50%未満の時は開票しないと決めた。投票せずとは、市民の半数が反対していないと判断し、たとい、投票率49%で反対票が95%になっていても、市の人口から考えれば三割強しか反対していないことになるから、工事は滞りなく行われてもよい。これが理屈であろう。その市議会を構成する議員及び市長選の投票率は30数%だったとらしい。1ヶ月前の東京新聞に出た記事であるから、興味がある方は目を通して下さい。

 小生はこれを今回の96条、ひいては9条改正の縮小版と睨んでいる。9条を改正する為に、まずは民意を聞く為の数字を操作し、国民の半分とハードルを下げて、然る後に憲法改正を図ろうと言う。幸い、先の戦争で戦地に行った人間は少なくなっている。戦争の悲惨さは内地の空襲しかしるものしかいない。ガダルカナル、アッツ島、硫黄島の悲劇を知るものはいなくなった。我が国は技術大国である、先端技術を駆使して兵器を作れば、隣国の軍隊何するものぞ、出て来いニミッツ、マッカーサーである。国土が侵される、それを指をくわえてみているのは非国民である。そんな妄言が聞こえなくもない。

 戦争は分捕り合戦である。昨日の友は今日の敵である。戦国時代の武将ではないが、二重、三重に同盟、約束を張っている。機を見ること敏いものが、勝者となる。仮に中国と干戈を交えたとして、その間韓国が静観しているとは限らない。韓国と交えているときに中国が静観しているとも限らない。まさか対戦ゲームの類いじゃあるまいし、一体、一体順に敵が出てきて迎え撃つなんてことはできまいに。米国と同盟をというが、先の戦では不可侵条約を結んでいたロシアに裏切られたのはご承知の通りである。我が国に資源がないなら、あとは野となれ、山となれで、米国も適当に扱ってくれるだろう。だが、日本の近海にはエネルギー資源が眠っているという。その資源をみすみす他国にとられるのは悔しい。小生が米国ならば適当にたきつけておいて、ここぞとばかりに、頭ごなしに手打ちとするだろう。北野武監督のアウトレイジをみればわかる。深作のやくざ映画を見てればわかる。國村隼人がやっていた、その國村は殺されてしまう。大親分もやられて、三浦友和だけが上手い汁を吸う。映画を見て自分の姿を登場人物になぞるのは面白い。面白いのは酒の席での与太話、小生のようにブログで書く上で面白いのであり、現実はそう簡単に運ばない。

 ウルトラマンごっこをして、二回から飛び降りるのは馬鹿である。フィクションと事実の違いもわからないのかと思ったが、通販のテレビを見てれば、「個人の感想」という文言が踊っている。踊っているにもかかわらず購入者が大勢いるというのは、ウルトラマンごっこをはき違えている輩が増えたという証拠かしらん。

 九条改正の話も「ごっこ」の類いで終わればいいというのが小生の思う所である。

 梶山静六、鯨岡兵輔、野中広務、政治手腕と政治信条にはいろいろとあるかもしれぬが、この三人は9条死守だけは譲らなかった。梶山、鯨岡、野中、三人ともあの南の島で「戦争」という地獄を見てきたのだ。


線路は続くよ

2013-03-15 | 時事

 ここ数年、複数の電車の乗り入れが盛んである。都心に出てから乗り換えというのが当り前なのは過去の話で、都心を抜けて地方都市から地方都市を結ぶようになった。あれはニューヨークの地下鉄を模しているのではと小生は考える。ニューヨークの地下鉄はマンハッタン島の南端から北へ、更には東へと伸びている。うっかり寝過ごすと、ウォール街からハーレムへと風景が全く異なる街に連れて行かれてしまう。

 横浜と埼玉がつながると浮かれているが、これから益々電車は遅延するだろう。渋谷の駅は益々人が溢れるであろう。五輪招致のために、東京の利便性と列車運行の正確さを現都知事は挙げているが、遅延情報は日に何度流れているのかご存知か。神奈川の駅で起きた事故が、都内の地下鉄に及び、果ては千葉まで及ぶなんて馬鹿げたことが、今までに何度も起きてきた。山手線の車内に掲示される遅延情報を見ると、乗り入れ路線に該当した時、少なくとも三つの路線が麻痺している。以前本欄で電車の乗り方がわからない輩が増えていると小生は述べた。エキスパートだかナビなんとかか知らないが、乗り換えに最適な場所を案内することで、何も考えない人は皆同じ行動を採るようになった。為に、今では構内放送で、「一カ所に固まらずに云々」が日常となってしまった。老人が多いだけではない、小さな画面に夢中な輩が増えて、降りるタイミングもワンテンポ遅れる輩が出てきた。益々電車は遅延する。益々電車は無駄な混雑をする。本数を増やしても無駄だろう。

 今回、埼玉と横浜が一つの路線で結ばれたことを、経済効果をもってしてマスコミは囃す。一度大きな地震がくれば、乗り換え路線、振替路線が確保できず、交通は混乱するであろう。渋谷に高層ビルを建てたところで、なにがある。ターミナル駅は益々人が溢れて混乱するであろう。人は枕を高くして今日も寝る。地震は来ないと思っている。まさかに備えるよりも経済効果を優先させている。都心の交通網が一本化されるのは、東京一極化の縮図である。沿線の土地の地価は上がるだろう。似たような家が建ち並び、人が流入してくるであろう。地方は疲弊しているという。先の震災で人口流失が止まらないという。都心が「便利」になれば、そのぶん地方は疲弊するであろう。

 東横の報道は、TPP報道とそっくりである。利点と経済効果ばかり並べて、不利点を語らない。一本化するなら、復興庁の指揮系統、被災地に関係する省庁の管理管轄の一本化だけでいい。線路が続くのは歌だけたくさんである。

 

 


一局、半チャン、一手いかがか。

2013-02-26 | 時事

 囲碁、将棋の類いは実力伯仲しているのが面白い。カードゲームは知らないが、麻雀もまたそうである。麻雀は高校時代に覚えた。覚え立てたの頃は、卓を囲んでもカモにされた。今日はあっち、明日はこっちの家と、卓を囲む話がまとまると自転車で駆けつけたものだった。あちこちの卓を囲むうちにメンバーの実力が次第にわかってきた。わかれば、卓を選ぶようになった。未知の相手が何人いるかも考えるようになった。麻雀を覚えたばかりは、とにかく麻雀を打ちたいという気持ちが強いから、ルールを簡単に説明されただけで、じゃらじゃらと牌を鳴らした。向こうは、鴨がネギをしょってきたようなもので、いとも簡単に負け続けた。ルールは承知している、後は腕次第である。

 安倍総理がTPPに参加すると聞いた時、真っ先に小生の高校時代を思い出した。麻雀の点数計算表を暗記し、戦術などを勉強した頃である。たまさか、昨夜のNHKでニュース解説をしており、その画面は、各国の国旗を模した人物が卓を囲んでおり、ドアの所に安倍首相が立って覗き込んでいるというものだった。ニュース解説員は、TPPは交渉のテーブルにつくだけで、交渉力が問題である。自国に不利益な場合は、交渉してやめればいいということを言外に含んでいた。小生には、その絵と解説員の話を聞いて、麻雀を覚えたての初心者が、プロ雀士の囲む卓に臨む姿と重なった。

 嫌な話だが、ある程度カモにするには、そこそこ勝たせて、また卓を囲んでもらわなければいけない。TPPの交渉も似たもので、米とあるものを除外して、一番いい所をアメリカは要求してくるだろう。

 聞きかじりなので、いい加減になるかも知れぬが、ニュースではセンシティヴィティ、除外物という言葉をつかっていった。小生の胡乱な知識ではセンシティビティとは相手を起らせたり不快にさせるものという意味である。ということは、主導権は提示した側ではなく、提示された側にあるのではないか。つまり不快になるのは米国で、日本の不快感は考慮されないということを暗に示している。なるほどアメリカの提言が日本を不快にすることがあろう。だが、これまでの日米間の交渉を見ていれば明らかである。

 小生は人から学習しないと揶揄される。学習能力が低いのは小生ぐらいで修めてくれまいか。


母は強し

2013-02-21 | 時事

 女子供は邪魔でしょうがない。女を形容する言葉に枚挙に暇がない。外面菩薩内面うんぬん、女心となんとか、女は黙っていても嘘をつく、弱きものよ、汝は女。その女性を労働力に投与して、殖産興業、産めよ増やせよとおだてた。女の自立、私らしさを活かせる云々と、煽り労働市場に参入させた。昔、BG、今、OL。右肩上がりの世の中では、会社に数年務め、目出度く家庭に収まった。「良妻賢母」と煽て、家庭一切を仕切らせた。男女雇用平等法が施行され、働く女をチヤホヤした。それでも寿退職、産休なんてものをとれば、男は、「やっぱり女は」と言葉にせずとも、人事で、制度で暗に示した。DINKSなんて言葉もどこぞから持ち出して、職場に残れ、但し余計なことはするなとも。いつの間にか右肩がなくなり、高齢化が進むと、職場を介護の方へと誘導してきた。医療の場に誘導してきた。介護士、看護士なんて訳のわからぬ言葉を作った。週刊誌をめくれば、巻末に「女医」の写真を掲げている。あれは、女の裸を載せられない苦肉の策ではないか。某大学(医学部)では、利口な女と馬鹿な男なら、馬鹿な男を入れるという噂を聞いた。噂の類いだから当てにはならぬかもしれない。週刊誌の巻末の女医は微笑んでいるが、実際の女医は職場がないと悲鳴をあげている。子供が産めない、職場復帰のメドが立てられないと言っている。お茶汲み、コピー取り、にっこり笑って窓口ならば、女でいい、派遣でいいと職場から放逐し始めた。

 いま、杉並で保育所が足りないと母親達が声を上げている。杉並だけを責めるつもりはない。少子高齢化をなんとかと言っているならば、なぜ、なんとかしないのか小生にはわからない。まさか子作りのみに励めと言っている訳ではあるまい。石原都政で拠点病院と称して、救急病院センターをつくり、病院を統廃合したのは記憶に新しい。同じ理屈で、保育所も統廃合したとは聞いていない。マスコミは、保育園を探しまわるのを「保活」なんて軽い言葉で片付けている。専業主婦になるならまだしも、職場復帰を考える女性にとっては、保育園を探すのも一苦労だろう。自分のことだけでなく、子供のことを考え、夫のことを考え、通勤の利便性、お迎えの利便性と考えることはたくさんあろう。隣近所に保育園があるのに何故か塀は府中よりも高い。

 一部の区には、統廃合され、使われなくなった学校がある。その校区内にある企業に勤める母親達に、廃校となった学校を保育園として解放したらどうであろうか。もしかすると既に解放している区もあるかもしれぬ。企業も福利厚生施設として訳の分からぬものを作りよりも、社内に託児所でもおいたらどうか。まもなくあれから2年経つ、絆、絆と騒ぐなら、社内に一つ託児所でも作れば、新たな絆、新たなコミュニティーの誕生になることを請け合うがいかがか。

 女性は弱し、されど母は強し と古人は言った。杉並のママたちが、りっぱなおっかさんになることを社会全体で支援する時期に来ている。

 


こんなん出ましたけど

2013-02-12 | 時事

 数字を出せ、数字をと巷間でよく聞く文句である。数字を見て百家争鳴し、原因は奈辺にありや、責任者はと誰何し、だからダメなんだと結論つけて、希望的観測を述べる。新聞、週刊誌の十八番である。その数字が出ているのに、沈黙しているのは自分にとって都合が悪いからかしらん。一つ目の数字とは、日本のマスコミの公開性についてである。世界で54位と順位がつけられていた。この手の調査が行われる度に、日本は欧米に比べて、欧州の某国に比して、米国ならばという枕詞をつけて持論を展開するが、今回は新聞各紙とも持論を展開していない。開かれた報道とは、報道の公共性とはなんて大上段に振りかぶって社説の一つでも書くかと思えば書いていない。「有識者」という方がたに書かせていたかも知れない。「有識者」なら彼らにとっては時に棒組、時に他人であるから都合良く使えるであろう。更に言えば、隣国と比較してアジアでなんて言葉も飛び交う筈だが、一向に出てこなかった。ニュースを聞けば警察関係者からの情報、警察発表によればと相変わらず広報の類いの仕事ぶりである。

 もう一つの数字は、何故かあまり出てこない。その数字は内閣支持率という奴である。政権末期、もしくは政権誕生の時には、これでもかと毎週の如く、数字を並べていた。事件があればそれにかこつけて支持率を今日はテレビ、明日は新聞と「最近の世論調査によると」(何故かアナウンサーはよろんちょうさと読む)をこれまた枕につけて政権批判なり、政策の有効性を疑うような言辞を並べていた。ここ最近の事件を見れば、今が、この枕詞を使うにふさわしいのではないかと。北朝鮮の核実験、中国海軍のレーザー照射、ロシアの北方領土侵犯、東京電力の事故調査妨害、アルジェリアの人質事件など。とりあえずは、すべてなかったことにしておいて、景気問題だけ考えてもらおうというのが一部の人々の総意らしいと小生は考える。

 なるほど、「金さえありゃ」、金さえあれば老後も安心、空気汚染も安心、原発も安心、領土問題も何するものぞになるのか。福島の事故で危険区域の広さは23区に匹敵するという。これも金さえあれば、異国に土地でも買って産業を興せるといういうのか。金さえあれば、仕事は「自己実現」とやらの道楽に出来るのか。金さえあればというが、医師不足は一向に解消していない。金を出す病院があっても、金になびかない。金になびくのは、貫一お宮のお宮さんぐらいか。

 民主内閣を小学生並みと小生は言っていた、新聞も同じようなことを言っていた気がする。ならば、この度の阿部内閣も同じようなものである。複雑に入り組んだ問題を解くのは難しい、難しいが、その難問があちこちに転がっていたり、転がり込んでくるのが大人の世界である。快刀乱麻のように行かないのが大人の世界の常である。そうはいっても小生も、難問に囲まれた時には、一点集中で問題解決に望んでしまうことがままある。

 事は政治である。時間をかける所、かけない所を、必要とする時間を示せと政府に求めるというのは、子供の我が儘であろうかしらん。

 そういえば、小生、プロフィール欄に、身長、体重、生年月日を出しておりませんでした。これ、出せない数字です。明日の心だあ。

 

 


先生ばっさりやってください

2013-01-29 | 時事

 アルジェの話を聞いて、情報力の云々が巷間喧しいが、その話なら、50年前に聞いた。70年前にも聞いた。株式会社日本の社員のことである。海外で一旦事があったら、大使館ではなく現地の商社マンに聞けと。大使館員は役立たずと言っては言い過ぎかもしれぬ。

 思い起こせば、チリでの日本大使館襲撃事件を見て、自らを「閣下」と呼ばせ、上下関係を作り上げ、税金で毎週豪華な晩餐を開いていた。なるほど、外交は交際である。交際費を惜しんでは、相手国との関係は築けない。だが、それは撒き餌であって、自らが享受するものではなかろうに。接待の飯ならさぞ上手くなかろうと察するが、「日本の外交官の大半」はそうではなかったらしい。外交官が海外に赴任すれば「手当て」という名目で、いろいろつく。ついた金を上手に貯めれば、帰国した暁には、都内で、区内で家が買えると豪語して本にした外交官がいた。

 外交官は、どこに赴任して、どこに移動すれば出世の道筋が見えてくると仄聞した。「途上国」、「三流国」なら、中休みか、競争から外れたと彼らの中に思うものもいるだろう。残るは退屈な時間と金だけある。その残った物を上手に使うのが商社マンであり、私利に走るのが「公僕」の違いか知らん。情報力には金と時間がかかる。商社マンが情報力の宝庫たる所以は、利益につながるから、やりがいなりを感じるからであろうと。我太平洋の架け橋にならんとすは聞こえがいいが、アジア、アフリカ、中東となったら怪しいものである。アジア、アフリカは列強による支配があった。後から参じた子供は、見よう見まねで同じ態度を取る。南アフリカで名誉白人の称号を貰い喜び、贅を尽くすのが貴人の証と勘違いして何年経つだろう。三つ子の魂なんとやらで、日本の外交官に情報力はつかないと睨んでいる。米国追随外交だから、アフリカの情勢はわからない。米英が仲良く握手している後ろで、舌を出し合っているのがわからない。

 例えは悪いが、アフリカは欧州の列強にとっては間借り人だった。間借りをやめて自分で家を建てた。大家にとっては間借り人は間借り人である。大家の態度を見て、大家たるものを学んだのが外交官で、間借り人を間借り人扱いできないことを知って相手したのが企業である。勿論、外交官の中にも、しっかりと相手している人もいるであろう。中東で命を落とした外交官なぞはその例なのかもしれない。

 政府は自衛隊を海外で活躍できるようにと言っている。言っているが、活躍できないのは百も承知である。今回のような事件が起きた時に、作戦の主導権を握るのは当事国であり、意見するのは元大家たちである。昨日、今日越してきた馬の骨に下駄を預けるなんてことはしまい。それとも国会議員の方々は、我が国の自衛隊が、丹下左善を気取って「せんせい」と呼ばれるでも思っているのかしらん。

 公務員人員削減と叫ぶ昨今である。株式会社日本の社員をいっそのこと外交権を与えたらよかろう。丹羽さんは独ぼっちだった為に上手く行かなかったが、十人ひとまとめにして各国の大使館に送り込んだら、情報力も少しはましになるのではなかろうか。