渋沢栄一と言えば田園調布しか、小生は思い浮かばなかった。浅草の12階やら帝国劇場という文化遺産も彼の功績であると知ったのは、つい先日である。鹿島茂氏の渋沢栄一を読んで、初めて彼の足跡を知った。小生の不明を恥じつつ、頁を繰った。民間外交に奔走し、米国、中国、韓国との架け橋にならんとした。韓国における最初の紙幣、第一銀行券を発行し、渋沢翁の肖像が描かれたいた。彼は時の日本政府を説得して、韓国のインフラ整備に尽力する。また、第一次大戦後のワシントン条約における軍艦比率(英米日:5:5:3)に関しても、徒に軍国化して財政を圧迫させるよりも、この比率を遵守し、むしろ軍事以外の諸事に国の予算を回すべきと説いた。米国で排日運動が起れば、渡米し、親日家だけでなく、反日家にも会って誤解を解いた。蛇足だが、J.ロンドンが反日の急先鋒であったことも知った。孫文に対しては、政治家よりも実業家になれと説く。袁世凱の台頭で、孫文が実業家にならなかったのは歴史を見れば明らかであるが。対中外交強攻策を非難し、敬愛の念を持って望むことが肝要であるとも言っていた。
青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイドで始まる童謡、青い目の人形は、渋沢翁の努力よって渡来した民間外交の成果である。この人形が先の大戦で、殆ど葬られてしまったことは言を俟たない。
渋沢翁は、日本が近代国家に生まれ変わる過程で、如何に外交と平和を用いてその道を拓いて行くかに腐心した人である。言い換えれば、軍国化と戦った実業家であり、怜悧な実務家であった。また商人(あきんど)を実業家の地位に、あきんど仲間を経済界に変えた人であった。
その渋沢翁の道が頓挫した原因が、関東大震災だったというのは皮肉である。小生は彼の足跡を辿って、背筋に寒気を覚えた。大仰に言えば、今の日本が置かれている状況に酷似しているからだ。先を考えない政治家、他国を侮蔑する軍人、勿論、今の自衛官にそのような人物は少ないと思うが、自衛官出身で、元防衛大臣の評論家は、確かその程度の頭しか持ってないように思えたが。そして先の震災、税を上げて、軍事費に回し、国際感覚の麻痺した米国追従外交という姿。尤も、それらが、小生の被害妄想ならいいのだが。
「はだしのゲン」の改悪といい、戦争体験者が少なくなっていること、更には渋沢翁のような実業家ではない、夜郎自大の実業家が、いっぱしの経済論やら政治の有り様を吐いていることに小生は愉快な気になれないのである。
ともあれ、「渋沢栄一」鹿島茂 文春文庫から上下巻であります。宜しかったら一読くださいまし。
先のブログでも申しましたが、節電はどこへ、こまめに冷房をつけましょうとはどの口で言っているのかわからない、炎暑です。みなさまお体をご自愛ください。