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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

A2BC

2014-05-19 | 映画 落語
A2 B C という映画を見てきた。震災2年後の福島、南相馬の様子を描いたドキュメンタリーである。巷間話題になっている、鼻血の話も述べられていた。医師からは放射能との因果関係は軽々に結びつけられないという説明を受けたとカメラの前に立った母親が語っている。続けて、子供が風邪を引いた様子なので、医者にかかると血液検査を行われたとも話している。風邪で血液検査という不釣り合いな診療に疑問を抱いていた。
除染が始まり、当初の規定値は0.2であったが、いつの間にか1未満なら除染完了という話になっていた。学校の敷地はほぼ除染が終わっていたが、塀一つ隔てた空き地、草原は除染されていない。計測すると30から50の値が出ている。教頭は、カメラを向ける監督に、許可なく撮影するのが問題だと言って、学校に隣接している土地の残留放射能については何も答えない。子供の危険よりも、自らの職務の全うすることを考えている。
 学校給食に、地産地消の名の下で、稲作が最近解除された田圃の米が使われる。近隣には、検査終了して、安全のお墨付きのついた米がとれているにもかかわらずである。父兄や、市会議員は、その不都合さを学校と教育委員会に問うてみる。しっかりした回答は得られない。
 小生は、その画面の中で元気に跳ね回る保育園児、小学生が痛ましく思えた。頑是無い子供が「放射能」、「ガラスバッジ」という言葉をたやすく出す。ローラー式滑り台を使ってはいけない理由を尋ねると、3、4、5才の男の子、女の子が、「ローラーの間に放射能が残っているのぉ」と口々に言う。
 今の日本で、幼児が件の言葉を日常的に話す地域は一体どこにあるのだろうか。
 福島の農家が出てきて、農産物を簡単に流通させる事は、放射能の拡散に他ならないと訴えている。幾つかの農作物は、検査が完了し、安全基準に達している。そんな商品を、福島を応援してくれる人に届けたいと語る。
 すべては、国威発揚運動会誘致の際に、フクシマは収束したと言ったせいかしらん。フクシマでは、ない事にしようという「空気」が流れていると映画に出てくる母親達は口にしていた。自分たちだけが悪者に思えてしまい、孤立している、孤独感を覚えると漏らしていた。
 子を思う親心に勝るものはなかろう。フクシマだけでなく、私たちも安心できるような情報開示をしてくれと言う声をあちこちで聞く。
聞くが、メディアに出される情報は、文脈を自分の都合に合わせて切り取ったものばかりである。
 芸能人が薬物に手を出す事が、なぜトップニュースになるのかわからない。10分、15分も割く価値があるニュースか小生にはわからない。
 もうすぐワールドカップが始まる。再び国威発揚にマスコミは勤しむであろう。フクシマ、宮城、岩手、茨城、千葉の被災地は、さらに遠くになっていくだろう。
  いまでも、希望の牧場では、取り残された牛が放射能に汚染された土地で生きている。陸前高田、気仙沼復興の為の物産展が都内のどこかで行われている、被災地の子供の就学支援をする活動が行われている。
   A2 B Cは東中野のポレポレ座で今月末まで、10:30と19:00に上映されております。興味のある方は一度足をお運びください。

振る花や芝居は遠くなりにけり

2013-03-23 | 映画 落語

 岩井半四郎、澤村宗十郎の澤村の苗字を見て懐かしく思った。澤村宗十郎は今も活躍しているが、澤村の名を関した俳優はテレビ、映画ではではめっきり見なくなった。岩井の性も然りである。娘がいて、かつては製薬会社の宣伝に出ていたが、今では見ない。ここ最近、歌舞伎役者が亡くなって、名跡がいくつか空いたが、それでも団菊の菊は残っている。岩井半四郎は、空いたままである。沢村と聞いて思い出すのは、沢村貞子さんである。おていちゃんの愛称で呼ばれ、いくつかのエッセイも残している。歌舞伎役者は、未だにテレビドラマに出ることがあるが、歌舞伎関係の役者がいなくなって久しい。菊五郎の娘や幸四郎の娘は別である。岩井半四郎は、時代劇に、現代劇なら会社の重鎮、大物政治家などで見た記憶がある。沢村貞子は、現代劇で近所のおばさん、親戚のおばさんで、とげがあるが根がいいという役柄だったり、棘だらけという役だった。

 テレビ映画で、件の役者、歌舞伎役者が出なくなった一因には、脚本の拙さとドラマ作りがわからなくなった現場、ひいては予算という問題があると小生は考える。鬼平のプロデューサーが、シリーズを終えた時に呟いたのが、時代劇はとにかく金がかかると言っているのを仄聞した。脚本の拙さは、みなさまのテレビの大河を見ていればわかる。戦さの場面は黒沢映画の焼き直し。内容は時代劇という設定の家族ドラマに堕してしまっている。思い起こせば、毛利元就辺りからだと思う。女流の脚本家を器用したはいいが、歴史に詳しいわけではなく、時代小説に通暁しているわけでもない。ただ家族ドラマの脚本がそれなりけりである。天下国家を考える人物の心理描写が、家族間の不和に悩むものであった。小生の記憶で見応えがあったのは最終回、橋之助が少年、青年、層年、老年を一人で演じきった場面である。あれを小生は、橋之助の意地ととった。今や時代劇、重厚なドラマはなくなった。大人が見て足るドラマはなく、見た目だけ、ハリウッド映画ばりのローラコースター脚本だらけになってしまった。時代劇は、「みなさまの」でしか放映していない。殺陣の際に腰が据わった動きができる役者がいない。いないのは踊りの心得がないからで、たといなくても、時代劇に出続けることで少しは見られるものになろう。

 歌舞伎役者がテレビにでないのは、出演料の高さであろうと容易に察しがつく。ついでに言えば脚本家の力量のなさか。更に言えば、対等に演じられる役者の少なさであろうか。

 小生がテレビドラマと地上波と縁を絶って随分と久しい。地上波で見るのは深夜のタモリ倶楽部とマンガ程度である。小生よりも世の中にはテレビと縁を切っている人など随分といるであろう。今更テレビをどうこうしろというわけではない。ただ、冒頭、澤村、岩井半四郎という名を見て懐しさを覚えただけである。

 サントリー美術館(六本木)で歌舞伎座新開場記念展を催している。会場は年寄りの名を来た若者ばかりであった。歌舞伎座新開場で、客が来るだろう。マスコミはここぞとばかりに「梨園」と連呼するだろう。新しい歌舞伎座の上にはビルが建ち、貸店舗なりが入ると聞いた。パリのオペラ座、イタリアのスカラ座、ロンドンのグローブ座にビルがあると聞いたことはない。オペラ座にはシャネル、スカラ座にはアルマーニ、グローブ座にはバーバリーが入っているなんて聞いた事がない。21世紀の歌舞伎座と称すのは、羊頭狗肉のようなものである。芝居がここに幕を引くのである。と股火鉢の昼行灯は呟く。

 

 


明日のこころだあ

2012-12-10 | 映画 落語

 先日、あたくしが小田急線新宿駅のホームを歩いておりますと、どこかで見覚えのある顔。女性に手を引かれて、足下を確かめるように歩く姿には、どことなくその道の泰斗、ダンディズムが漂っておりました。誰であろう、小沢昭一先生でありました。あたくしすれ違い様に、思わず、あっ小沢先生と声を漏らしてしまったのであります。先生、あたくしの声が聞こえたのか、ひょいと顔を向けて、さて誰だったかなあなんて表情を浮かべておりました。勿論、先生はあたくしのことなぞ知りません。二度、三度舞台を観に行き、先生のCDを購入した一ファンでありますので。おそらく同伴の女性は奥様だったのではないかとあたくし誰何しておりますが。夫唱婦随、もとい、婦唱夫随という方がそのお姿を形容するには相応しかったかもしれません。事ある度に、「好き勝手やってきまして、お母ちゃんには迷惑をかけた」なんて公共の電波で漏らしておられた先生であります。なるほど、あの、お二人の姿を見ると、先生が「おかあちゃん」と呼ぶのも無理からぬことでありました。

 先生には舞台に限らず、歌に、ハーモニカに、そして民俗学ともいうべき芸能の歴史、助平の歴史を研究なされマルチなご活躍をなされておりました。幼少の頃から演芸が好きで、好きが嵩じて早稲田に落研を創設しました。晩年は、末広亭にて高座をつとめました。軽佻浮薄を演じ、吹けば飛ぶような浮き草稼業と言いつつも、役者という仕事に誇りを持たれておりました。このように書くと先生には、叱責されそうでありますが。

 先生の人生の核に、戦争がありました。正月は反戦気分の白黒歌合戦のCDを聴くと、先生の平和を求める気持ちがいかに強いかがわかります。偶然にも選挙であります。巷間強い言葉が飛び交っております。ですが、出征する時の写真を見て、先生は、見送るのはじじいばばあばかり、いつの世も若い者が犠牲になると漏らしておりました。また先生は自分が出征した日の思い出も語っております。九州のとある駅のホームに降り立った時、寒い夜空を切り裂くような口笛の響き。灰田勝彦の歌が辺に寂しく響き渡っていたと。また戦地では故郷の母を思い出して、夜トイレに行って、声を出さずに歌を歌って孤独を紛らわしたと。

 シリアスになるのを嫌う所なぞは江戸っ子の照れというやつでありましょうか。先生、固い話の後は、おちゃらけて下の話へと結ぶのでありました。先生は、西国の方へ旅立っていきましたが、先生の出立は文化的喪失とあたくしなぞは思います。

 そして、山本直純曲の三味線の音、明日のココロダアという声がラジオの向こうから聞こえなくなってしまったことが残念であります。

 


大須の志ん朝師匠

2012-07-06 | 映画 落語

志ん朝師匠の大須演芸場 全巻を購入する。従前のCDとは異なる噺がいくつかある。試し酒、三方一両損、紙入れ、浜野矩随、蒟蒻問答、錦の袈裟、そば清、強情灸、藁人形、時そば、宗眠の滝、締め込み、あくび指南、ぞろぞろ、風呂敷、もう半分、替り目、坊主の遊び、宮戸川。以上である。

 音質はやや劣るのが難であるが、師匠が録をあまり意識していないから、のびのびとやっている感じが伝わります。寄席でこそ、ご子息の噺を稀にすることがあったが、息子と自分の掛け合いを噺の枕にするところなぞ、父志ん朝、もしくは噺家の業です。全30巻、一枚に二つの噺が入っているので、それこそ一日一席ならば二ヶ月師匠の噺を聞ける訳であります。ましてや、これまでのCDを併せると、全60巻に及び、それこそ、あの噺を異なるバージョンで堪能できます。小生CDかされたものの中の何席かは生で観ておりまして、これ自慢です、はい。それを聞くたびに、あの日のことが思い出され、乗った電車、会場の灯り、座った椅子、舞台に見える師匠の顔、さらには、同じ日に出た噺家さんの顔、その日の天候など、次から次へと出てきて、噺を聴いているのだか、噺を聞きに行った自分に酔っているのだかわからない始末であります。お恥ずかしいばかりで。今回、いくつかの噺は、末広で、浅草演芸場で聞いたもので、CD化されていなかったものがありまして、これまた、先のように、あの日のことを思い出してしまっている始末です。情けない。

 おやっと思ったのは、師匠が時勢に対する苦言を呈しているところでありまして、詰まる所、子供に安易に妥協して、知るべきものを知らずして大人になっていることの寂しさを嘆いているところであります。同じことを談志師匠が言うと灰汁が強すぎて、お客が引いてしまうことがありましたが、下手に出て、きゅっとしぼるとこなんざあ、あーた、さすがですよ。また、随所に親父さんを彷彿させるフレーズ、言い回しがあって、蛙の子は蛙だなあと感じました。

  試し切りの小咄なぞが、はっきり出てまして、試し切りに出た侍が、通りかかる人をみて、あれこれ考える。女性が通ると、「あ、女か、女はもったいない」なんていうのは父親が得意としていた笑いのつぼである。

  また、「侍なんて斬られたら痛いでしょうな、二十四手目に斬られたなんて、詰め将棋みたいなのはいけませんなあ」

 蒸し暑い日、世の中なんだか面白くない日が続きますが、師匠の声を聴いて清涼感を味わっていただきたくお願い申し上げます。また機会がありましたら、父君志ん生師匠と噺比べをしてみるのも一つです。

 

 

 

 


すいません、師匠、

2011-11-28 | 映画 落語

  帰宅すると、鞄の中にしまっておいた携帯にメール着信の報せがある。さっき別れたばかりの畏友からのメールであった。何かいい忘れた事があるのかしらんと、開いてみると師匠の訃報であった。何となく、春先の様子を遠くから見て力がなくなったように思われ、随分と小さくなったなあと感じていた。が、執念たるや芸人たるもので、口から血を吐いてでも語ってみせるという鬼気が漂っているのに驚嘆を通り越して、寒気を覚えた。芸を究めんとするものの姿勢、執念、妄念とはあな浅ましや。

 空間芸術という言葉はおそらく彼が言い出したのではなかろうか。話の合間に、カメラワークと構図を入れて、ジョンフォードなら、こう。ルビッチならこう。と体を傾げ、嬉しそうに手をひらひらさせながら、文七元結の一場面、芝浜の浜の描写を、よりリアルに、仮想空間の如く眼前に出現させようとしていた。さらには、その場面にどんなBGMが似合うか、自分ならどんな曲を流すか、ある時期の師匠の噺は、落語という古典を、映画という現代に結びつけて、聞く者に「ほらこれが三軒長屋だよ」、「ほらそれが貧乏でも逞しく生きる姿だよ」と掌にのせて見せてくれた気がする。

 生来のつむじ曲がりと恥ずかしがりが同居して、聴きにくる客の中には、「芸術』のような顔して腕を組んでるものもいた。勿論、師匠は客の質にこだわっていたから、故意に『俺の噺は云々なんて」言葉をはいていた時期もあった。それでもある時、「俺の落語会に来て笑わねえ客がいやんがんだよねえ、あれは何しに来てんだろう」とぼやくときもあった。

 高座に上がった時は、芸人であると同時に「笑いと涙」を演出する指揮者でないと気が済まない性分だったのかもしれない。「観客」というオーケストラを、己の舌耕で、仕草で、意のままに、それでいて「楽譜」通りに泣かせ、笑わせることを至上の命題とするが如く。指揮者が一旦舞台に立てば、演奏を途中で止める事はない、タクト鳴らし、音がでないパートを叱責する事はない。だが師匠は、平気で本番の舞台でタクトを鳴らし、演奏を中断させた。曰く「ここ笑うところ」「そんなに面白い』と。時に自らタクトを折ることもあった。身を捩り、奇声をあげ、曰く「俺が天才たる所以はここにある」、「志ん朝、円楽と違うんだから」と。

 故枝雀師匠は、笑いのグラフを作っていた。一つの噺をしたときに、どこの部分で笑いが一番大きかったか、小さかったか、同じ曲を何度も演奏会で上演する度に、その曲の隠れた意味、譜面にはない音の余韻を、自ら笑いのグラフを作ることで、意味を与えようとしていた。かたや、師匠は、譜面に目を通し、自分の中で曲をイメージし、意味を与え、そしていかに自分が演奏するか、だけでなくいかに演奏させるかを考えに考え抜いた。辿り着いた一つの結論が「大衆との別離」だったのではなかろうか。

 米朝師匠が、名曲を復活させれば、師匠もまた名曲、名演奏を復活させてきた。講談、芸談と次々に手を付けた。クラッシクとは古典である。落語も古典である。勿論、新作もあるが、ブラームス、モーツァルト、ハイドンが何人もの指揮者によって演奏されるなら、芝浜、大工調べ、明烏もまた先人たちの作った名曲である。

 噺家立川談志は、指揮者であり、編曲家でもあった。立川談志は芸術家であると言えば、きっと先人が言った「あたしは術なんて使いません」と引いてきて、舌を出すだろう。ならば芸人であると言えば、馬鹿野郎、その辺のやつと一緒にするなと怒るだろう。だから、小生は、師匠を稀代の吝嗇家と言いたい。噺、講談、芸、映画、歌謡曲、政治の裏側、がつがつと溜め込んで、ちらっとしか見せない。見たいやつにしか見せない、わかるやつにしか話さない。

 「師匠、あいすみませんが、その噺もう少し教えていただけませんか」

 「馬鹿に教える気はねぇよ」

 


清書無筆  林家三平

2008-01-08 | 映画 落語
読者諸兄の皆様、新年明けましておめでとうございます。年明け早々、暗い話をするのもなんですので、年末、出来る限り見ていたBSの落語番組についてお話させていただきます。地上波ではもはやお目にかかれませんが、かつてTBSで深夜TBS寄席という番組をやっておりました。その伝統はBSに残されておりまして、三越劇場、国立劇場においての落語会を放映しておりました。かつての名人ではなく、現役の方々であります。橘家円蔵、三遊亭小遊三師匠でありました。いずれも卒のない話ぶりでありますが、円蔵師匠の老化に少々驚かされました。テレビというものは怖いもので、皺一本も逃さず写してしまいます。反対俥を久々に見たのですが、体の動きの緩慢さ、話の勢いのなさにとても衝撃を受けました。師匠の十八番でありますが、体力の要る演目でありますゆえに、きつく感じられました。それでも背の丸まった姿、正座できない姿は、年寄りそのままでありまして、祖母に似た姿に親近感を覚えました。
 同じくして、BS2で演芸番組をやっておりました。さすがみなさまのだけありまして、蔵だし映像が出物でありました。とりわけ三平師匠の古典落語を見たのは感動であります。源平盛衰紀ではなく、清書無筆という噺でありました。文盲に父が子供に懇願されて防犯ポスターを作製するという内容であります。三平師匠が演ずる子供は愛くるしさが溢れており、こまっしゃくれたところがみそであります。金馬師匠の小僧にも匹敵する魅力があると小生は感じました。子供が学校で習ってきたことを親に報告するという昔ながらの光景は、小生の幼少の思い出と重なりしんみりとした笑いを誘います。
 人には時代というものが付きまといます。爆笑王なんて冠をつけられ、幸子さん、色物というレッテルを貼られた三平師匠は、自らの意思の前に、お客からの要求があったのでしょう。先の演目を演じている師匠の姿は生き生きとしており、その反面、あの観客の笑いありません。まさに聞き入っている様子が画面から伝わってくる映像でありました。
 NHKさん、一儲けしたいなら、蔵出し映像DVD化、ダウンロード可能にしなさいな。

落語祭り

2007-10-29 | 映画 落語
秋空の下、新宿の淀川小学校跡地で行なわれた、第1回落語芸術協会主催の落語祭りに出かけてきました。校庭には特設ステージと、出店が並び、校舎の一部を開放して、イベントが行なわれました。出店は、噺家の出身地に因んだ特産品(山形の芋煮)、カレーやうどん屋、CDに本、DVDショップ、寄席文字ステッカー、絵手紙の実演販売、噺家と取れるプリクラ、夢丸の魚釣りと並びまして、体育館では有料の寄席と大賑わいの一日でありました。普段高座で見かける、テレビで見かける噺家さん、芸人さんが講師に早代わりして、講談の楽しみ、簡単に出来るマジック、噺家の使う道具、コント、漫才に参加など「学園祭」のような肩の凝らない催しでありました。おやあの師匠、あの芸人さんと、会場所狭しと移動しておりました。勿論、見学者はデジカメ、携帯電話、スケッチブックとマジックを必需品としておりまして、「すみません、写真、サイン」の声であります。
 売れっ子がさっと来てお茶を濁すという品のないものではなく、噺家、芸人さんは、結構長い時間会場におりましたのも幸いでした。落語藝術協会は、桂歌丸師匠が会長、副会長に三遊亭小遊三師匠が副会長、東京ブラザース、北見まき、玉川スミ大師匠、鶴光師匠というお歴々であります。ステージでは、小遊三師匠の結成するジャズバンドの演奏などがありました。小生は校舎内のイベントに参加しまして、曲芸、鏡味正二郎師匠のご指導の下、お手玉とバランスの練習であります。お手玉を常に同じ高さで、同じところで取れるように投げる練習でありますが、それが結構難しい。右手、左手とそれぞれ練習してから両手で投げる。しかも左右の高さが同じに、またまっすぐにするというものです。たかだか15分の練習ですが、参加者は薄っすらと汗を浮かべる始末でありました。下は小学生から上は70過ぎの老人、総勢20名ほどが教室の中でせっせと立ちながらお手玉であります。あっちにぽろり、こっちにぽろり、どなたのお手玉やら。お手玉の前に、曲芸の稽古の手順を解説してくださり、一人前になる、その長い道程に感心させられました。小生手先も不器用な方で、お手玉はおむすびころりんと教室を右へ左へでありました。

直してもらいな

2007-10-07 | 映画 落語
読点、句点の位置は考えている以上に重要である。それは読み、音声と密接に繋がっているからだ。人名などで、どこで切るかの話をすれば、大抵の人は、わが意を得たりと納得する。たとえば、「やしきたかじん」である。「やしき、たかじん」、「やしきたか、じん」、「やしきた、かじん」と思いつくだけで三通りある。ところが、文章になると存外句読点の意味を考えないのが世の常らしい。常らしいと書くのは、小生一人が気になっているだけかもしれないし、小生だけが今頃そんなことも知らないでいたのかもしれないからである。
 「闇の夜は吉原ばかり月夜哉」の句で、噺家の切り方と露伴の切り方が異なり、異なると、前者は明るい色噺、後者は一葉女史の苦界じゃえという哀しい話になる。噺家は「闇の夜は、吉原ばかり月夜哉」といい、『文七元結』、『蔵前籠』、『三枚起証』、『明烏』なんて噺になる。露伴翁は、この句を「闇の夜は吉原ばかり、月夜哉」と読んだ。勿論、句であるから、句読点はない。ないが読み手によって、どこに句点を入れるかで世界が逆転してしまう。それだけこの句が秀逸である証拠だ。が、噺家の句点の入れ方は、「古典」となったものに改良を加えないから、永遠にこの句の秀逸さは聞き手に伝わらない。
 かつて林望氏がNHKの教育番組で、太宰治の「富士」をとりあげて、句読点の効用を語っていた。「富士には月見草が似合う」という一文の、どこに太宰は句点を入れたかと。「富士には月見草が、似合う」か「富士には、月見草が似合う」かのいずれであるかと、前者は富士と月見草が一組になって平面状に均一に置かれている印象を与え、後者は富士と月見草が分離されることで、遠近法を感じさせる文になっていると林氏は解説していた。
 俗におしゃべり、語りの専門家と呼ばれる噺家に、今、先の句を考えて演出する腕を持つものはどれほどいるのだろうか。「明烏」(堅物の若旦那が、町内の札付きにそそのかされて吉原に遊びに行く話)なぞ明るい話は、従来の切り方で入っていくのが一番であろう。「お直し」(元女郎の妻と亭主が食べるに事欠き、女房に元の仕事をさせる話)の枕にこの句を用いて、露伴翁の切り方で演出したら、さぞ「お直し」の悲哀と滑稽が浮かんでくるのではないか。もっとも、昨今の携帯小説やら、流行作家の作品を目を通してみれば、小生の言う演出なんて無駄に過ぎないような気がしないでもない。
 日本史の教育も危うくなっている今日、国語教育なんてものに期待できないのは百も承知だが、句読点の使い方をしっかり教えるなんてのは夢のまた夢の話なのかもしれない。巷間、国語の勉強といえば、漢字の読みばかり。漢字で頭を鍛えるのに夢中な国民に、かつて日本人が有していた惻隠の情を知れなんて、船でゴビ砂漠へ行けというもの。せいぜい身の丈にあった使い方と言えば、流行の「KY」程度である。もっとも小生のこの話こそ、巷間落語を楽しむ方には「KY」な奴の戯言なのかもしれない。
 

天神天満寄席

2007-07-21 | 映画 落語
天神天満寄席を覗いてきました。流石に関西人だけあって早く元を取ろうとしているのか、前売り、座席指定制であります。都内の寄席に慣れている人には面食らうかもしれません。当日券は、演者の知名度と立ち見をどこまで入れるかに左右されます。一階席と二回席があります。二階席は総数60席くらいでありまして演者を上から見下ろす形になります。末広の二階席は場所によってはラジオと化す時もありますが、ここでは大丈夫のようであります。小生は、春団次師匠を目当てに出かけたために、立ち見でありましたが、天候の成果、それとも別の理由からか、席が幾つか空いておりまして、これならば、もう少し機転を利かせても思いましたが、財布の紐はしっかりしてまっせの発想です。
 さすが、関西だけあって、講談が必ず入っております。東では、上野だけでありますが、講談みっちりという方だけでなく、講談なるものの入り口には相応しいともいますがいかがでしょうか。ちなみに旭堂南稜先生でありました。出し物は夏に相応しく怪談物でありまして、最後の締めのところがなんとも怖さを覚えさせる語り口で感無量であります。
 まだまだですが、これから化けるかもと期待させたのが桂三風くんであります。三枝師匠の弟子でありますが、新作落語を手がけておりまして、「今昔天神祭二元中継」という話がこの日の演目でありました。天神祭りの由来、起源、江戸の頃との違いを話に織り交ぜ、かつ観客も参加させるという楽しい趣向でありました。観客参加が、厭味にならない程度になっているところに小生好感を抱きました。あれはあれで上手く完成していただければ、一つの観客参加型落語の形になります。
 春団次師匠は「皿屋敷」を演じましたが、芸域は枯淡の域に達しておりまして、枕なしに噺に入っていくところなぞ、前の出演者の余韻を見事にかき消して、自らの世界に引き込む怖さを感じさせました。当日の演目の構成が鳴り物入りと語りと交互になるよう配慮されていたからかもしれませんが、にしてもあの軽さにはやはり、大看板を背負うだけの凄さがありました。
 上方の落語を聴いていつも思うのは、これは以前にも本欄で書いた記憶がありますが、方言の違いであります。船場商人の軽やかさ、与太者、ごろつきのふてぶてしさ、話し言葉の違いはわかりますが、微妙なニュアンスがわかったらなあと思うことが多々あります。あまり階層のよろしくない方々がお住まいになるご隠居さんの話し方と階層はよろしくないが、気が荒くない方々が住むご隠居さんでは明らかに、話し方が、言葉使いを変えております。その先、その由来がどうしてもわからない。今回、大阪の町をほっつき歩き耳から入る大阪弁に意識を集中したのですが、果たせるかな真の意味の方言は過去の遺物になってしまい、テレビで聴くようなものばかりでありました。

揮毫

2007-07-17 | 映画 落語
既に終わってしまったが、靖国神社の「みたたままつり」に行って来ました。じっくり見る時間がなかったので都合、小一時間ほどであります。境内には奉納された提灯が飾られ、特別展示として青森のねぶた、八戸のねぷた、江戸風鈴などがあり、ちょっとした夏の風物詩を一覧できました。能舞台では、その日は「かっぽれ踊り」が演じられておりました。
 遊就館には、無量と有料展示がありまして、本来靖国に行ったらみるべき展示物を見ずに、無料展示に足を運びました。当日の無料展示は、各界著名人の揮毫であります。画家、書家、歌舞伎俳優の揮毫でありまして、先代の染五郎(正確には先々代であります)、松録、先代仁左衛門の画と文、田川水泡もあります。とりわけ目を引いたのが、芸能人であります。清川虹子、エノケン、ロッパ、金語楼、伴淳先生は、すでにアジャパの文字をものしております(昭和23,4年当時の揮毫)。噺家では、先の金語楼師匠の他に、先代の小さん(小林昇さん)、円生師匠、先代正蔵(彦六)、昔々亭桃太郎(先々代、金語楼師匠の実弟)、師匠の揮毫は、桃太郎さんの話を全て漢字で書いたものでした。志ん生師匠は、月見をする河童の画に、句が一つ。文楽師匠もありました。噺家師匠の皆様は、字だけでなく画も上手であります。揮毫は全て戦後22,3,4年ごろ寄進されたものであります。思うに戦時中、先の芸人(歌舞伎役者の方々は存じ上げませんが)たちは、慰問団として、中国、南方の方へと廻ったのであります。小さん師匠のように従軍なさった方もいらっしゃいますが。
 噺家、歌舞伎役者、芸人さんは芸が命ですし、舞台が全てであります。自伝、聞き語りで、本が上梓されることがありますが、当然、内容は生い立ちや芸談になっております。あれだけ立派な字や画を描かれるのだから、自伝の類に一つや二つぐらいと思いました。出版社の方も、師匠、ついては画や書の方も本にしたいと申し出たことがあるかもしれません。確か志ん生師匠の画は、出版物の中に収めれていた気がします。それでも、文楽初め師匠連の文字は惜しいかな。
 トラックバックにプラモデルがありましたので、ついでに申し上げておきますと、遊就館のお土産コーナーにもプラモデルが売っております。ゼロ戦だけでなく戦艦、ゼロ戦の金属モデル、潜水艦(製造メーカーが珍しい会社でした)。ぬいぐるみのコーナーもありまして、鳩、犬、馬であります。なぜか梟がありました。鉢巻も売っていましたが、闘魂、一番、日本でありまして、小生は猪木祭りと変わらないのに物足りなさ覚えました。確かにあまり過激なものを置くわけにいかないのでしょう。
 今度行く時は、しっかりお金を払って、常設展示を見てこようと思います。