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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

部活動

2013-01-18 | 時事

 小生スポーツ教育には暗い。殴って選手の力がつくかどうかわからない。中、高、大学の途中まで運動部に在籍したが、小生は運動の指導で殴られた記憶がない。勿論、部活の悪友と悪戯をして横面を張られたことがある。中学の時、試合会場で、拙いプレーをした他校生が、顧問からビンタを食らっているのを何度も見た。顧問の先生は、「うちもたまにはあれをやってみるか」と笑いながら、小生達を並べさせて言った。高校は、格闘技だったが、これまた顧問先生に恵まれ、鉄拳制裁というのはなかった。なかったが実戦になると遠慮なく拳や蹴りが飛んできた。今思えば、あれでも手加減してくれていたのだろう。全国、関東大会に出場できるような強豪校ではなかったが、とりあえず、世間に出て、恥ずかしくないような実力(小生の場合見せかけだけであるが)をつけていただいた。

 運動部にいて、よかったことは小生のようなものには、口よりも身体を動かすのが向いているという資質の発見である。大人になっても身体を動かすことの楽しみがあるのは、あの頃のクラブ活動のおかげであると思う。また、親にも感謝したいが、そこそこ頑健な身体、そしてその土台作りが出来たということ。そして何よりも、生活設計を立てる能力が涵養できたということである。正確に言えば、生活設計を立てるのが上手いロールモデルに出会えたということであろう。俗に、部活動と勉強の両立とは、学生にとって永遠のテーマである。部活動を熱心にやりながらも、器用に勉強をこなす。小生が思う、両立とは、変にガリ勉になってはいけない。涼しい顔して、さりげなく勉強ができるというものである。小生のような魯鈍なおつむのものにとっては憧憬の彼方の存在である。だが、このような存在の先輩や同輩、後輩にいた。先輩やら同輩に、どうしてできるのかを聞いてわかったのは、切り替えの早さである。哀し哉、小生の切り替えの早さは、運動から勉強ではなく、勉強からマンガへ、テレビへ、深夜放送へで、成績が伸びたためしはなかった。

 全体、いつの間にか少子化、競争社会というやつで、誰もが就職予備校まがいになりつつある大学へ進み、どこの高校も進学率とやらをあげる為に、「お勉強」や「運動」に力を入れている。おじさん向けの週刊誌にも「受験情報」が出る末世である。末世のというのは、物の真価を数値化、「可視化」せねばわからない大人が増えたことの証であると小生は常々思っている。俗に目的の為には手段を選ばずで、進学率をあげる為には、なんでもありで、頭叩いて東大にいくならば、ぼこぼこにせよ。ほおを叩いて有名私大にはいるなら、張り倒せという理屈でありのかしらん。大学に行ってどうする。

 山本翁は、何用あって月へと書いた。月に行ったはいいが、その後月での資源開発、移住なりは全て白紙になった。以後、人類は月へ行っていない。大学は見るもの、眺めるものとまでは言わないが、何用あって大学へと問いたくなる学生を見かける。親が子の教育に盲目なるのはわからないでもない。なんとなれば、目くらの手を引く、杖となるのが周りの大人だろうと思うのだが如何に。

 そもそも学校の課外活動とはいかなる意義があるのか、小生は親や教師に聞いてみたい。但し、新聞はだめです。なんたって駅伝、野球にさんざっぱら金をバラいまいております故。

 

 

 


朝三暮四

2013-01-14 | 時事

 巷ではアベノミックスなんて、往時のレーガノミックスを捩った言葉が飛び交っている。株価が上がり、円安が進み、景気回復と騒いでいる。騒いでいるのはおじさんの週刊誌ばかりで、成人を迎えた若人は冷ややかに見ているだろう。給与を上げた企業には、税金を控除するなんて真に受けてるのもおじさんばかりである。正規、非正規雇用の割合を考えれば、給与上昇が景気回復につながるのと無関係なのは一目瞭然である。加えて昨今の人減らしの企業のやり方を見ていれば、平均給与、平均上昇率なる数字遊びを使って、企業は、天下晴れての脱税ならぬ、節税に励めると言うものである。小生が企業主なら、必ずやります。世はいかさまというものだから。

 加えて生前贈与の話とて、八桁の数字を右から左に動かせる年寄りなんてそう多くはいるまい。動かせるのは、給与を上げますという企業側の人間のみで、上がった給与で喜ぶドングリの貰い手は、生前贈与なんてのは夢のまた夢であろう。アベノミックスとは言い得て妙である。レーガノミックスは、強いアメリカを謳い、自由競争を促し、双子の財政赤字を解消せんとし、日本にスパコンを売りつけ、戦闘機を買わせ、更には外国製品を購入させた。米国は、あぶく銭、言葉をかえれば寺銭めいたものをとって、自国に格差を誕生させた。そういえば当時、かの俳優上がりの大統領は、ソ連を「悪の帝国」と呼んでいた。悪の帝国なら、「中国」、「韓国」と誰かが煽っている。件の格差を広げる政策。この二つを並べて、レーガノミックスとアベノミックスを同じというにはちょっと無理があるか。

 旧聞に属するが、埼玉に避難している福島の人の年越しが危ぶまれていた。年の瀬を迎えて避難所にお弁当を運ぶ業者が休みなってしまう。年明けも正月休みとやらで、配達しない。避難所にいるのは老人ばかりで、加えて避難所は元は学校である。エレベーターもエスカレータもない。高齢者は、毎日三階、四階の教室から下まで弁当を買いに行く。配給ではなく購入である。避難所にいる人間と避難所を出た人間に差別があってはならないという理由から年金生活者の老人からきっちり弁当代を取る。加えて光熱費、水道代も取っている。少ない年金からの捻出が困難なために、老人の中には一日一食で済ますものもいると言う。世に言う平等主義である。

 給与を上げるのことには、平等主義は通じないだろう。能力とやらで目先の利益をあげたものには多く、あげないものには昇給なしで済ませるであろう。繰り返しになるが、目出度く上げた額を、「平等に」頭割りして昇給率とやらを調整するだろう。こちらが世に言う「平等主義」と呼ぶのを俟たない。

 小生は、猿である。家畜である。だから駅のホームに転落防止柵が設置されても気にならない。給与が上がると聞いてほくそ笑む。明日、未来という時間の概念を持たない。今日も枕を高くして眠りを貪るだけである。

  大雪が首都圏だけなく、東北、福島にも降っている。今日は二回も地震速報を見た。地面が揺れる度に、この寒さの中避難警報なぞが出るのは難儀だろうにと、せめて天気の悪い日は、ナマズも大人しくしてくれたらよかろうに。云爾。

 

 


選挙終わって

2012-12-18 | 時事

 選挙が終わってみれば、小生はなんだか郵政民営化の時のような虚脱感を覚えている。素直に言えば、そこまで頭が回らないかである。傲慢な言い方をしたが、見方を変えれば、小生は根っからのつむじ曲がりらしい。友人と今回の結果について話したら、前回民主に入れていた人間が今回は自民に入れただけと。それなら付和雷同かと得心した。政策も、政策論争も糠に釘、暖簾に腕押しかと嘆息した。そう言っても、現実には様々な場所で、縮み行く社会、震災後の社会をなんとかしようと努力している人もいる。その人達はすでに「政府」、「役人」を当てにしてないという証左かしらん。

 巷間どんなに暗君と言われていても、自国の人には名君だと池波正太郎先生は、吉良上野介を引いて述べている。民主であろうと、自民であろうと巷間悪く言われていても、地元民には利益誘導しているくれる名先生なのであろう。選挙民の知的レベル云々と言われようとも、やはり仕事に、建物、補助金を引っ張ってきてくれるのが代議士先生たる本分なのか。

 人によっては今回の選挙は、増税と原発が論点にするべきであると言っていた。選挙前には、領土問題、沖縄のオスプレイ配備、TPP参加問題、消費税増税、復興省によるどんぶり勘定、原発問題、東日本大地震の復興問題、景気対策、格差、少子化問題、生活保護不正受給問題、あげていけば切りがない。なるほど、これでは論点がぼやけてしまい、つまるところ、日の丸を振るか、今回の震災の対応の拙さを批難するかだけになってしまった。大東亜とか、国家とは威勢のいい言葉は、なんでも入る大きな器のように思えるが、実は空疎でなんにも意味しない言葉だったりするのではと小生は考える。もちろん美しい、とかやさしいとかいうものも似たようなものであるのだが。今回の選挙も、やはり「わかりやすい言葉」でという子供の発想から抜けきれないの証左だったのかしらん。

 同じ威勢のいい言葉、わかりやすい言葉なら、植木等先生の名曲で、「いいたかねえけど、面倒見よう」とか、「銭のないやつあ、俺んとこに来い、俺もないけど心配すんな」とか「やってやれないことはない、まず手始めにちょいと一杯やろうかな」という身の丈に合った言葉の方が小生は好きです。

 さて、今回新聞で自民有利とか書かれていたが、友人が馴染みのスナックで客の投票動向を観察したところ、世間は自民という結果であると述べていた。世論調査は、新聞よりもスナックかと二人で莞爾した。

 


落選後

2012-12-14 | 時事

 一部のラジオ番組で既に報道されておりますが、福島県ではふた親を亡くした子供が二百五十名、片親を亡くした子供がその倍いるそうです。さらに、震災後の生活急変で命を落とす、いわゆる震災関連死で亡くなった人はこの半年で1,000名おるそうであります。巷では、街が、建物が、通りがきれいな灯りで飾られて、年末の恒例の季節になっております。あの電飾を「節電とやら」を謳い文句にして少しは工夫したらどうであろうか。自家発電というやつでもよかろうに。それこそテレビの企画ではないが、「二人の愛は本物」なんて看板でもう立てて、発電機を廻してもらうなんてのはどうでしょうか。発電機でなければ蓄電器なんてもんがあれば、電気を電池に貯めて電飾をつけるなんて企画はどうでしょうか。なんてあたくしは考えるのであります。

 洋ピンで「男女でなにをして発電する」なんて映画があったと記憶します。タイトルもそのものずばり「X発電」でありました。

お話変わりまして、やれ選挙とラジオやテレビをつければ喧しく、選挙特番なんてどこも同じでありまして、つまるところ、どのテレビ局がいち早く「当確」のマークを流すかでありまして、所詮はピンポーンという音ともに赤丸をつけるのが「報道番組」の命でありましょうか。その後「有識者」と呼ばれる、ひな壇芸人もどきを侍らせて、「今後の政策は」、「TPP問題は」、「増税」、「景気対策」と矢継ぎ早に質問させ、司会者に当る人物が、「某さん、お疲れの所どうもありがとうございましたの挨拶とともに、「問題が山積しています」、「待ったなしです」、「国民はうんぬん」の文言でしめるのが相場であります。答える代議士先生も「初志貫徹」、「ぶれない」と選挙運動中からの言葉を繰り返します。

 さて今回もお金の話になりましていささか恐縮でありますが、選挙で落選した方は、幾ばくかのお金を国庫に納めることになっておりますが、そのお金を復興の為に、つまり直に手渡しで被災者に払ってもらうのはいかがでしょうか。選挙後に復興活動を本格化するような公約ばかりでありますが、いまこうしている間も、被災地では大雪で生活が困窮しているのでありましょう。ならば選挙後のお金の流れを従来のように一旦国で引き受けて、それからなんて悠長なことをしないで欲しいのであります。もし手渡しが無理なら、あしなが基金ではありませんが、福島のふた親を亡くした子供達の学資金としてプールするのではどうでしょうか。

  明日の心だあ。

 


直接納税のススメ

2012-11-04 | 時事

 小生は、以前勤め人も確定申告をと述べた。年度末調整と他人任せにして、天引きされて居れば納税者の自覚が生まれない。所得税で取られて、住民税に固定資産税、更に自動車税と、税金だらけである。納税の時期になると、決まって「払うのはやぶさかではない、使い道を云々」というのは、自分の金ではないと思っているからで、自分で働いたという実感がないからだ。給与振込にして、親父の威厳がなくなったというが、税金の感覚もなくしてしまった。小生はそう睨んでいる。

 ここ連日、復興税の使途が報道されている。本来行くべき所に行かず、復興とは全く関係のないものに使われている。政府は使い先を調査するというが、調査してどうする。使った金の返金を求めるのか、使った人間を横領なりで逮捕するのか、まったくわからない。わからないままうやむやにされて年金問題と同じようになるのが目に見えている。国は先頃、国債発行の手続きが遅れている為に、地方交付税が払えないと恫喝まがいの事をした。復興税は、復興の名の下に転化できて、なぜ地方交付税を転化できないのかわからない。新しく名を付ければいくらでも出来ると思うが、税収そのものがないというのなら、復興税で集めた金はどこへ行った。赤十字の集めた金はどこへ行った。

 震災後間もなく、避難先が決まった住宅を改築したいという被災者がいた。一家に障害を持った子供がいて、運良く家は見つかったが、手洗いが和式で狭いと。障害児にとっても、介護する側にとっても不便きわまりない。自費で改築をしようと思うが先立つ物がない。ついては寄付を募った。必要額は二〇数万であったと記憶する。

 復興の道のりは遠いが、当面の運転資金の一助として五万、十万、あればめどが立つという人もおるだろう。これから来る冬に備えて暖房機具の一つでも買いそろえられるであろう。もちろん一過性の金に過ぎないし、長い目で見れば微々たる物である。だが、復興税の使途を見ていると、お上に預けて分配させるよりも、直接必要としている人に現金を渡した方がさぞかし役に立つ。

 件の改築費なら、小生が払う所得税なり、住民税で十分とはいえないかもしれないが、賄える。ならば、直接納税なんてしたらどうであろうか。住民税は一括、二期、四半期分納と、納入方法がある。ならば、二期、四半期にして、その一部を被災地の人に直接金を渡す事で納税証明としてはいかが。寄付金をしたので減税なんてしみったれた事などせずにである。寄付した所で、分配、公平とやらでいつまでも必要な所にお金が届かない。

 四半期納税日は先の、10月31日であった。折よく、3日は祭日である。納税はお早めにと、まとまった期間をとるように、10月31日から1週間程納税期として、東北、フクシマへ、みなで行けば、観光業も潤うであろう。交通費なりの経費はどうするかと言えば、一部補助金をだしたらよかろう。Eーtaxと称して、導入時は5000円、税を軽減したはずだ。

 左官の長兵衛のように、気前よく借りた五十両を人に渡してやるなんて粋な事は出来ませんが、国に取られる税金は、あるものから出すのですから、啖呵なんて吐きません、どうぞ些少でございますが宜しくお願いします。といつでも無い頭をさげます。当初、「東大話法と原発事故」明石書店という本について書こうと思っていたが、たまさか納税の義務を果たし、復興税の報道を耳にして筆を走らせてしまいました。

 

 

 


知らぬは仏だけか

2012-09-30 | 時事

 戦前真っ暗史観は、左翼の言説だと山本翁は述べた。満州事変の時は、戦争を憂えるどころか、銀座で提灯行列が行われた。東北の凶作、政治の無策、国民の不満、窮乏が頂点に達したのは、それから5年後で、帝都で武装蜂起が起った。この度の竹島、尖閣諸島問題の経緯を見ていると、隣国の政権交代の伏線のみならず、我が国の政権、民主党の党首選挙、自民党の党首選挙に当てたように世論形成をしているように思えてならない。前回のブログにも書いたが、復興未だならずである。この間、増税と原発なんとか委員会発足、脱原発から原発依存へ、原発事故による廃棄物処理地が決められ、更には、大間原発の建設が進められている。一方でオスプレイの配備完了と。オスプレイと領土問題についてマスコミは喧しいが、原発関係は申し訳程度である。とりわけテレビ報道では、とってつけたように流しておしまいである。本日、日曜日は、朝からニュースのまとめ、討論番組が目白押しであるが、取り上げているのは領土問題、日中関係である。株屋新聞が、一面で大局的な視野を訴えているが、実は首が回らなくなってきたからで、お国の為でも、日中のためでもない。

 こちらの世界では、中国版ツイッターの話が伝わっており、どうも若者というか、一般の人々はさほど反日ではないと。別に中国人の悪口ではないが、中国政府の二枚、三枚舌など、彼の国の国民が十分承知している。反日の名を借りた政府への不満であり、反日の名を借りて政府に歩み寄ろうというものもあり、政府不満分子を取り締まっていつつも、自ら不満分子であったりと、中国の歴史を鑑みれば、敵の敵の敵の敵はと、まるで鵺のような体質である。

 ネットの世界は知らないが、小生の周りでは領土問題に関していささか冷ややかである。思えば、石原某が米国まで行き、日本人記者を前に演説をぶった。見方を変えれば、テキサス州知事が日本に来て、米国記者の前で、キューバは米国領とのたまわったものであろう。言った知事は、無視されるか、扱い方が決まったものである。米国人が見識高いとは言うまいが、新聞記者にはそれぐらいの矜持がある。してみれば、日本人記者は「国家機密」、言い換えれば自分たちに都合の悪いものは報道せず、どうでもいいものだけを垂れ流したのではないかと言いたくなるがいかかが。

 小生が例によって、世事に疎いだけ、しっかりと新聞報道されているのかもしれないが、東京都が尖閣諸島を買う為に募った金はどうなったのだろうか。国が20億で買い上げると言っていたが、確か東京都が集めた金も相当な額であったはずだが。まさかそれが国の購入資金の一部に当てられるのだろうか。20億を単純に頭割りすれば、20円足らずであるが、今時道ばたに10円が落ちていることなんてめったにない。東京都に募金した方が片棒を担いでくれるのかしらん。集めた金を、都内の大病院に奨励金なりの名目をつけて、福島から避難してきた、都内で内部被曝の検査を受けたい人の為に、検査病院を複数設けたらどんなにかよいだろうか。

 作家高橋源一郎が、過日ラジオで、機を見るのに敏いのは政治家、政治屋だと。震災直後は、反原発でしばらくして脱原発、いつの間にやら原発推進と。政治家が言い出したの世間の空気を読んだからで、世間はかの震災、事故を忘れかけているとも言っていた。喉元過ぎればは、私たち日本人の悪い癖である。家の中が燃えているのに、隣家と塀境を争う、もしくは争わせようとしていると感じるのは小生の杞憂であろうか。悪い癖を持っているのは小生一人でたくさんである。その証拠にお大尽病を患ってしもうたわい。

 

 

 


18ヶ月

2012-09-23 | 時事

  領土問題が脚光を浴びた時、増税法案が可決された。畏友は国家間の謀略と半ば冗談で言ったが、今の福島、東北の様子を見ているとまんざら嘘でもないように思える。復興増税の一部は、高速道路などの東北以外のインフラ整備に使われ、原子力増殖炉もんじゅにも流れていると新聞報道であったのはつとに知られている。民主党代表選でも野田首相は、違和感を抱くことなく「防災」という言葉で一括りにしていた。東電による補償も遅々として進んでいない。2500万かけて新築して、あの震災に遭い。立ち入り禁止区域にある家には戻れない。東電側の査定だと1000万の値。賠償金を貰っても、ローンの返済で借金が残る。おまけに引っ越すにも先立つものがないという。仕事もない。そのような人にも等しく、国は納税を求める。

 また、福島から避難してきた人には、体内被曝の検査があると聞く。加えて血液検査、甲状腺検査と、検査の連続であるが、検査する病院、日程はバラバラである。今日は都内の某病院で体内被曝の検査、翌週は神奈川の病院で血液検査、更に翌週には埼玉で甲状腺の検査と。少々大仰に書いたが、福島から避難してきた人から直に聞いた。電車賃は当然自腹である。同じ区内、市内に病院があればまだいい。実状は長い時間をかけて、高い交通費を払って、今日は東に明日は西である。費用は税金で還付されるのかもしれないが、金の問題よりも、精神的負担の大きさと口にしていた。慣れぬ土地に、加えて長い移動。自分だけならまだしも、幼子もいる。自らの体も心配であるが、我が子の体のほうが心配である。辛くても子供の前では気丈に振るまい、検査へと向かうとも話してくれた。当然、検査は一回ではない。被曝ゆえに、長い時間をかけて、何回も検査を受けねばならない。縦割りの行政の性か、それとも病院の設備かわからない。せめて、検査を一つの病院でまとめて実施してくれまいかと小生はお願いする。野田内閣は、過日原子力云々委員会とかなんとか庁なる組織を拵えた。有事の際には、総理大臣よりも権限があると仄聞した。人選も問題ありとの報道もあったが、そのなんとか庁とやらは、今の福島から避難して来た人々の要望に応える事は出来るのであろうかしらん。そのなんとか庁にも、今回の消費税増税による金が流れて行くのだろう。

 震災から一年半を過ぎて、復興がまだまだと巷間聞く。復興税を私たちが了としたのは、東北、福島、茨城、千葉などの被災地をなんとかしたいからである。生活の再建もさることながら、健康不安を少しでも取り除く復興もなんとかできぬものか。

 うめちゃん先生は、医者としての技量なり、器量は十分だが、政治力はない。確か代議士の中には,医師出身の方もいらっしゃると思ったが。


森の木陰で

2012-08-24 | 時事

 隣国との領土問題が喧しいが、その影で社会保障費やら増税問題はどうなっているのか杳としてわからない。中国に関しては愛国を商いにしている輩だという、韓国はジリ貧の大統領の支持率回復の一手と言われている。どちらも季節外れの蝉のようなものだから、ほっておけばよい。というのが小生の考えである。山口一臣氏が、ラジオで魚釣島に関してコメントをしていた。彼によれば、今回、日本が逮捕、強制送還したという法的手続きに対して、中国政府が公式に声明を出していないのは、中国は魚釣島を日本領土と認めているからに他ならず、もし、日本がこれを機に海上自衛隊を近海に派遣する事は、却って中国に、領海侵犯、領海の脅威を起こさせるだけでなく、国際社会に対しても日本に対して不利な状況を招くという。中国の歴史を紐解けば、国境を争うことばかりである。ならば庇を貸して軒を盗ることなぞ簡単にするであろう。するであろうから、簡単に挑発に乗ってはいけない。二国間の地勢だけでなく、その他の国との関係も踏まえた上で、いかに交渉を重ねていくかではなかろうか。将を射んとすれば、まず馬を射よではないが、この場合の馬とはどこの国か、それを見定めることも必要ではないかと思うのだが。マスコミ報道は、薪を抱きて火を救うごときであって、真意は別の所にあるような気がしてならない。

 竹島、魚釣に夢中のなるのは、国土の3%が失われたことの裏返しかどうかわからない。ただ、失われた国土だけならまだしも、そこに住んでいた人々の生活が未だにままならぬというではないか。国有化されたと聞いた電力会社は、被災者の補償はどうなっているのか。あれだけ書式のややこしさが槍玉に挙げられて、改善したのだろうと思うが、その後迅速に補償額が満額払われたという報せは一向に聞かない。仮設に住む人々が補償を受けて、仮設を出て新生活を始めたという報せも一向に聞かない。仮設で仕事をもっている人と持てない人の不公平を解消する為に、食事を有料化するという馬鹿げた平等意識だけの措置を聞いただけである。「上見て暮らすな、下見て暮らせ」とでも言われているかのように、生活が苦しい人が、なにもせずにただで暮らしている人間を嫉妬している。ここで言う、何もせぬ人とは、家も土地も放射能で奪われ、挙げ句廃校となった校舎で、火も使えぬ、生活を強いられている年金生活者のことで、彼らに嫉妬する了見を小生は理解できない。食事の有料化が、被災者からではなく、役人からだとしたら、益々もって不可解である。

 オリンピックで糊塗し、領土問題で糊塗している、復興計画及び復興の実状、予算の使い道、さらには増税問題はどうなっているのか、流行のツィッターやらフェイスブックとやらでわかるのか知らん。有徳の士がいるならば、アドレスなどを貼っておくれでないか。

 

 

 


少し早い暑中見舞い

2012-07-17 | 時事

 毎日炎暑が続きますが、皆様ご壮健のこととお喜び申し上げます。そして本日、関東地方に梅雨明け宣言がでました。ここ数日の熱波は天運、天恵と申し上げてよろしいのではと思います。あれだけマスコミの皆様が懸命に熱中症予防を喧伝しているにもかかわらず、連日、救急車が出動する騒ぎであります。節電を目指した電化製品は店頭に並んでいるのに、主婦が観る時間帯のニュース、ワイドショーの類いでは見事にホッ被りを決め込んでおります。(小生の心の中では、地デジとかであれだけ煽ったにという声がありますが、省エネ冷蔵庫なるもの先日購入しました。申し訳ありません)。公聴会とやらでは、やらせ発覚なんて騒いでますが、幸いインターネットを使った「パブリックコメント」[http://www.sentakushi.go.jp /]の存在は巷間あまり知られておりません。締め切りまであと一ヶ月を切りました。社員に、関連業者を含めれば、それなりの数が集まるでしょう。数字に関して、今回は家族構成毎に賛成/反対の比率を明記しておいた方がよろしいかと、老婆心ながら申し添えておきます。そういえば、まもなく国威発揚の運動会が、我が敬愛する夏目先生の留学先で開催されるとか、これもまた天恵、慈雨というものでありましょうか。「さくら」、「なでしこ」、「侍」を形容してお祭り騒ぎを起こしておけば、件のパブリックコメントは、「視聴者」と呼ばれる人々を忘却の彼方へ益々誘ってくれると思います。ゆめゆめ「フジヤマ」。「ゲイシャ」。「マンガ」は使わぬように。

 小生の好きな蹴球も今月末からかの地、スペインなどで開催されます。それが何の関係があるかとお尋ねになりますでしょうが、「香川」君という若人が英国の鉄鋼業で有名だった街の蹴球部に入部が決まったのです。そのクラブは優勝回数も多く、世界で最も注目されるクラブの一つです。彼の活躍を連日書きまくれば、これまた、8月12日なんてあっと言う間でしょう。今更ながら言うのも心苦しいのですが、我が国「スポーツ」報道は、ルールや戦術などがわからない人でもわかるように書くという誠に有難い文章を書き連ねてくれます。しかも書いている本人も、そのスポーツに対してルールも戦術もわかっていないことを露呈しながらです。なんと文章作成能力が高いのでしょうか。ちなみに先に書いた漢字は「前提」ではなく「露呈」です。平素、誤字脱字の多い粗忽者の小生ですので、念のため申し添えておきます。仄聞したところによれば、香川君は、とても苦労したということです。ついでに申し上げれば、なでしこの澤さんも元気になられたようです。前回のワールドカップ後に、彼女の生い立ちの苦労は、ネタにしてしまったので、今回は、その後、一時期の不振から、今回の国威発揚大会までの軌跡を「奇跡の復活」とでも題して提供していただければ幸いです。

 閑話休題、さて大飯の時は、電力不足と産業の空洞化といういささか強引な手法で、稼働にこぎつけましたが、今度は大丈夫ですよ。電力不足に陥るという与太話を、この天候が後押ししてくれます。体温を越える気温が、ここ数日、諸処で発表されてます。この調子ならば、うまく行くことと思います。連日豪雨で難儀している九州の人々の復興なぞ無視しているかのように、マスコミは振る舞ってくれています。この炎暑が被災地の仮設に暮らす方々にとってどれほど難儀で不自由かもうまく誤魔化してくれてます。私たち、しつれいあなた方から見れば「国民」という人でしたね、目先の事しか考えられないようなので、「暑い日本列島」、「暑い日本を熱くするアスリート」、「オリンピックに負けない、熱いぜ、海外で活躍するアスリート」などの見出しを8月12日まで、なんとか続けられれば大丈夫ですよ。

 それから、気象庁に頼んで、温度もすこしばかり盛ってもらうのはいかがでしょうか。かの事故のときは、計測方法を地上から測定器を離すことで、「直ちに被害はない」という正確な表現を使えたのですから、但し、今度は地表に近い所に温度計を置かないと駄目だと思います。

  パブリックコメントの締め切りまであと一ヶ月を切りました。所々で、締め切りについて話す人が出てきています。でも気にしなくても大丈夫です、あと一週間、オリンピックという「日本人」が好きな「時代錯誤の国威発揚大会」が始まれば、締め切りが眼前に迫っているという声もかき消されるでしょう。「パブリックコメント」[http://www.sentakushi.go.jp/ ]のアドレスは確かこれだったと思いますが、念のため確認していただければ幸甚です。

 小生、8月の上旬から2週間程バカンスに行く予定です。

 

 追伸、昨日は天気がよかったので、原宿から青山を抜けて千駄ヶ谷あたりまで散歩しました。表を歩くには少々暑かったですが、木陰では風が心地よかったです。

 

 

 


大飯のまえに「お~い、ちょっと、かあさん」

2012-06-26 | 時事

 「牝鶏あしたす」とは、女性が権勢を持つと碌なことがないという意味である。婦人に参政権は要らないとは山本翁の言葉で、女子供の類いに政治が出来ないのは、古来よりつとに知られている。女性は即物的である、現実的である、過去を容易に忘れる。だから長い目で世の中を見ることは出来ない。「国家百年の計」と唱えても、我が子が「人並みに」に妄執する。政治、教育は今日、明日の話ではない。それこそ五十年、百年を想像しなければ語れない。女性が、即物的になるのは道理で、夢で我が子は育てられぬからである。政治は、必ずしも黒白がつくものでも、万人が満足するものなど出せないものである。甲を立てれば、乙が立たず、乙を立てれば甲は立たずである。落としどころをどこにするか探り合いが必要である。女性に探り合いをさせれば完膚なきまで相手を丸裸にしようとする。政治は「理屈をこねて、答えを宙ぶらりん」にすることもある。暫時案件を置いておくことで、時間が解決することもある。女性は、答えを宙ぶらりんにできない。同じところを何度も何度も回って、蝸牛の如く少しずつ核心に近づくという動きを理解できない。たとい理解できても、実践できない。ゆえに女性が政治に不向きなのだと考えるのが小生の所以である。

 ところが、その女性が、帰農し、原発に対して声をあげている。小生はこれを「母性のなせる業」と短観に決めつけることは出来ない。出来ないのは、教壇から女生徒を見ていての実感である。彼女達全員とはいわないが、将来に対する準備に怠りがない。遠い将来とは言えないが、確実に自分が何を目指すか、自分にとって何が大切かをしっかり峻別している。小生から見れば娘の類いである。色気が少し増してきて親の目で見るといささか気がかりな年頃である。この辺りは小生の頭が古いかもしれぬが、にしてもである。少し前にいた右も左も「ブランド」へ、流行の「化粧」へという子が気のせいか少なくなっている。無理せず分相応というのを心得ている。彼女達の心情の本当のところはわからない。わからないが、小生には、空恐ろしいと同時に頼もしく思えて仕方がない。(あまり調子に乗ると単なる助平のつぶやきに如かないのでやめるが)

 仄聞したところによると、本日より原発を稼働させるらしい。原発事故の規模を考えると、それこそ「百年の計」である。原発稼働を、「女子供」が口を揃えて唱えているならまだしも、大の男達が、経済活動の停滞と騒いでいる。百年の計を考えられるのは男性の方が得意であったにも関わらずである。思い起こせば先の戦の時も、「いけいけどんどん」と考えたのは男であった。小沢昭一先生は、子供を戦地に送る母親が全員が諸手を挙げて送り出したわけではないと言っている。その母親達の声を無視して、あの惨事と悲劇を招いたのである。ならば、この度、全国あちこちで声を上げている女性、とりわけ被災地となった福島の女性達の声を無視してどうするのだろうか。なるほど女性は即物的で、短期的視野しか持たないかもしれない、だがこと原発に関しては、その特性でどれだけ今後の恩恵なり、幸福なりがもたらせれるか考えてみた方がよいのではないか。

 負けるとわかっていても行かねばならぬ戦があるというのは、守るべき者がいるからで、今回の稼働に関して言えば、地元の生活というよりも「金」ではないのかと疑ってしまう。

 芝浜の宿六が改心したのも、堀之内の抜け作が無事に日々送れるのもすべておかみさんのおかげである。文七元結の長兵衛が心を入れ替えたのも「義理の娘、おひさ」のおかげである。小生も多分に漏れないが、電力会社、銀行のお偉方のみなさん、自分一人で大きくなった気でいませんかい。でも、この世に出てこられたのも「おっかさん」のおかげである。十月十日、我が身も顧みず、お腹に宿った命を細心の注意を払って、この世に送り出してくれたからである。

 世の同性諸君、つまらぬ意地を捨てて、傍らにいる「恋女房」なり「おっかさん」にひとつお伺いを立ててみてはいかがであろうか。恥を忍んで聞きますが、「稼働するや否やいかがか」と。