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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

朝三暮四

2014-11-27 | 時事
選挙の争点が、小泉内閣以来、二者択一になってしまった。「選択の技術」というアメリカの哲学者だか心理学者がものした本に、人は選択肢が多くなると、選べないと書いてあった。今回もいつの間にか争点が決められていて、現下の未解決の藷問題は棚上げである。女性活用と言ったが、その法案は今国会で通過しなかった。幼子を抱えた女性は余計な仕事をするなということかしらん。産む機械になんかにならず、働く道具と成れといったのかしらん。福島の原発もどうなっているのか。地面を凍結させて地下水を止めるなんて荒唐無稽なことを考えたが、うまくいかないらしい。その間、汚染水は垂れ流し、それだけならまだしも、現場の作業員の被爆線量の総量とやらも時々刻々上がっていると聞いた。彼らが居らねば枕を高くして眠れまいにと思うが諸兄はいかがか。仮設住宅では老朽化が進み、壁の隅やら床の間にカビがはえ、為に気管障害を起こしている被災者もいると言う。そういえば、復興予算の6割以上が手付かずで金融機関に眠っているとも聞いた。この春から、白色申告に対して、帳簿なるものをつけよという指示もあった。これは、一般人には馴染みがないが、会計士、税理士の間では当たり前である。勧告はホームページに掲載して終わりとも聞いた。知らぬ間に勝手にいろいろな事が決まっている。それでいて肝心要のことは決まらない。
 何とかノミックスとやらで景気が上向けば、税収が増える。トリクルダウンで、下々にもお金が廻ると言ったが、一向に回って来ない。企業に減税して、利益が社員に回るかと思えば、滞蔵して終わりである。伊丹監督がマルサの女2で描いた三国連太郎演じる宗教家と同じである。思えばウィンウィンとかトリクルダウンとかは海の彼方、米国から来た言葉であった。かの国の言葉なら眉に唾して謹聴すべしである。マークトウェインの佳作「跳び蛙」を読めば、ペテン、イカサマがどれだけ文化として根付いているかわかるはずである。残念ながら、世の人々全員がマークトウェインを読んでいるとは限らないし、ましてやエリート呼ばれる人間が文学作品なぞ目を向けていることなぞ、今の日本では絶望的なのであるまいか。
 このたびの選挙では、増税を延期するか否かである。延期するがゆくゆくは消費税を上げるという。上げねば国が成り立たないという、賢人の考えた事だから本当だろうというのは昔の事である。賢人の考えた原発は事故を起こした、稼働せずば電力不足に成る、計画停電で消費量を抑制すると言った、やってみてわかったのは停電ご無用であった。企業が外国へ逃げて行くと言って、企業は逃げていかなった。既に企業は海外に移転していた。これだけ日本にサラリーマンがいて自社のみならず取引先の会社が海外にあると知らない人はいようか。もしかしたら、海外に拠点を置かないマスコミだけが知らないのかもしれない。
 今回の選挙で消費税値上げが見送られたら、日本は古典をなくしたと小生は思う。今回の仕儀を古人は朝三暮四と呼んだ。

歌を忘れたカナリア

2014-09-13 | 時事
朝日の誤報叩きは痛快である。水に落ちた犬を打擲する如き醜悪さである。確かに福島原発で死力を尽くして事故を食い止めようと人たちに対しての誤報は呆れたでは済まされない。現に今でも放射能の警報機と格闘しながら、封じ込めに尽力している人々がいる。ならば、なぜそれを報じないのか、朝日以外の媒体に尋ねたい。どういう労働条件になっており、どれほど搾取されているか報じてくれまいか。朝日の誤報を叩くなら、今頑張っている人たちの姿を報道して、間違った印象を与えぬようにマスコミはしないのか。叩かれている朝日自身が、マスコミ得意の浪花節で、「原発を背負うて」なんて題目を立てて連載記事を書かぬのか。それともそういう報道も「デマ」で片付けられるのを恐れているのか。書かないのは、叩く媒体も、朝日も棒組だからである。書けば、反原発の機運は高まるし、再稼働も危うくなる。すべては、時の政府におもねって、課税の優遇措置を受けているからである。
 マスコミが売文業であったのは疾うの昔である。文庫百冊の会社が不動産業で負債を抱えたのは40年も前のことだったかしらん。堀江もんが出てきて、放送局の株主に音羽の名前があったのは記憶に新しい。不動産所有は、何も予備校や電機メーカーだけでない。売文業者も、遅れまじと投資に、復業に乗ったのである。ならば正業はどうなったのかといえば、経営者にとって片手間に堕したとのではないかと小生は勝手に想像する。必然、書くものの質は下がるであろう。下がって見えなかったのは、売文業を売文と思って職を求めてきた有志がいたからである。 社稷を憂い、義を通すの志を持った若人が、徐々に「会社人間」になってしまう。なった挙げ句がこのたびのマスコミの姿でなかろうか。
 小生が憂うのは、「強制連行」はなかったという話が、従軍慰安婦がいなかったにすり替えられるのではないか。現閣僚の中には、あの沖縄戦を教科書からなくせと言うものもいる。
 マスコミ全体が今部数を減らしている。減らしていても大丈夫であろう。蛸の如く、土地を切り売りして不動産業に精を出せばよい。なれど、「社会の木鐸」、「炭坑のカナリア」としての務めはどうなってしまうのだろうか。
 歌を忘れたカナリアは、裏の山に捨てましょうか、歌を忘れたカナリアは 背戸の小薮に埋けましょか、いえいえそれもなりませぬ。

 歌を忘れたカナリアは 象牙の船に 銀の櫂 月の世の船に浮かべれば 忘れた歌を思い出す。

 平素、小生はマスコミに良い印象を持っていない。なれど、三年半経った現状を伝えてくれる。現地の声を聞かせてくれる。歌を忘れたカナリアをなじるのは簡単である。今一度、あの日に戻ってどうして記者クラブなるものが日本独自のものなのか、胸に手を当て考えた欲しい。 

桶屋

2014-07-07 | 時事
 ごめんなさいよ。ご隠居さん。  
 なんだ誰かと思えば熊さんじゃないか。
 今そこで聞いてきたんですけど「風が吹けば桶屋が儲かる」っていうのはどういうことですかい。
 そりゃ、おまえさん、風が吹けば、桶屋が儲かるということだよ。
 いや、ご隠居さん、そうじゃなくて、なんで風が吹くと桶屋が儲かるんですかい。
 ああ、そうか熊さんはその意味が知りたいんだね。そりゃねえ、一見すると無関係な事も巡り巡って思わぬ事が起きるということだよ。まあカオス理論ってやつかなあ。
 蚊を押っぺして何かでるんですかい。
 いやいや、こりゃあたしがしくじった。いいかい、熊さん、風が吹くと埃が飛ぶだろう。埃が飛ぶと目病みになる。目をやめば、目盲になる、めくらは三味線弾きになるから、三味線が売れる。すると猫が減る。猫が減るとネズミが悪戯をする。あちこちの桶が齧られて、桶が売れる。だから風が吹くと桶屋が儲かるというわけだよ。
 なるほどねえ。それじゃ、あっしは政治家に今日からなります。
 おいおい、薮から棒に何を言い出すんだい。
 ご隠居さん、今の日本国は景気を上げなきゃいけないってご存じないんですかい。
 そりゃ、私だって新聞の一つや二つを読んでいるから、そんな事は百も承知だよ。でも熊さん一人が代議士になっても、そう簡単に景気なんてもんは上がらないよ。
 いや、それが上がるんですよ。「あっしが代議士になれば景気があがる」、これ風が吹けばですよ。ご隠居。
 どこが風が吹けばになるんだい。
 あっしが代議士になる。そうると政務調査費って不浄なお金がつく。ついたその不浄なお金で、いけね、調査費で、吉原にいる、おしのの所に通う。毎日通っちゃうよ。そうすると、おしのも毎日通うおいらの為に、やれ着物だ、櫛だ、お白粉だとお金を使う。ついでに牛太郎や小僧やおばさんにも祝儀を切っちゃう。それを見た、おしのが「あら熊さんって粋な金払いね」なんて惚れ直す。益々おいらの男が上がって、通い甲斐も出てくる。使いに出た牛太郎や小僧が、出先でお金を使う。こうして不浄なお足は洗われて、きれいなお足になる。そのお足には、「しょうしぜい」なんてややこしいものがついていて、これが国庫に納まる。納まったお足は、あっしの小遣いじゃねえ、お給金とやらになる。そうするとまた吉原に行ける。おしのが買い物をする、小僧さんや牛太郎が出先でお金を使う。
 おいおい、確かにお足は廻って、お前さんの言う政務調査費とかいう不浄なお足はきれいになるが、おしのさんとやらがお前さんと所帯を持つと言い出したらどうするんだい。

 それなら心配いらないですよ。あっしも一緒にあしを洗いますから。

 氷山の一角かもしれないが、「調査費」をちょろまかしている先生方は、足をきっぱり洗ってくれまいか。但し、使ったお足は一頃流行った「倍返し」っというやつで。
  

無責任一代男

2014-06-23 | 時事
 救急車で搬送される際、必ず連絡できる親族のいるやいなやを問われる。救急隊員によれば、居ないと答えた場合、入院を拒否される可能性が高いと仄聞した。家族の居ない独り者は、病気したら、いや正確には突発的に病気に襲われたら死ぬしかないということかと話を聞いて嘆息した。なるほど今の世の中、判子である。署名である。救急で運ばれて、急遽手術となれば承諾書の一枚を書かねばならぬ。本人の許諾だけでは無論ダメである。一人っ子は今の時代だけではない。40、30、20代もいる。その人達の親が亡くなって、人生の同伴者が居なければ、先に書いた末路である。
 女性が晩婚化といわれ、結婚したくない女性が増えているという。男も同様である。ならば、彼らは何かといえば都合のいい労働力か。女性の働ける環境を整備というが、環境が整備される見通しは暗い。不妊治療に関して訴えた女性議員に、罵声を浴びせる程度の頭の持ち主が、同じ議員である。その議員に制度設計が出来る頭を持っているとは小生は思えない。家族制度も見直さなければならないだろう。だが、家族を大切に、絆と言って、面倒くさい事、即ち金に関わる話は、全部個人に丸投げである。生活保護のカット、その後の生活保護申請をした女性に対する役人の言葉が、その証左である。
 ならばこのたびの集団的自衛権も、個人の責任に帰するか。自衛隊に入るのは個人の自由、戦地に赴く際は、個人の権利は認めない、死んだら、そのあとは個人の責任という具合に。
 「仁義なき戦い」で金子信雄演ずる組長は、菅原文太演ずる構成員に、敵対する組に喧嘩を仕掛けろという。暫く臭い飯を食う事になるかも知れんが、お前が娑婆に出た暁には、ちゃんと身が立つようにすると口約束をする。晴れて娑婆に出ると、金子信雄がやって来て、これで堪忍してくれとはした金を渡して帰る。本当はお前にいろいろしてやりたいが、先立つものがないと言い訳がましく言う。脚本は笠原和夫で、彼は特攻崩れと聞いた。件のやり取りは戦争に行って帰って来た兵士に投げつけた、時の政府の言葉を表している。
 自衛隊が、「我が国に脅威を及ぼす云々」という名目で中東の地に赴き、万が一にも帰らぬ人となった時、時の政府は、その遺族に何と言うのか。その隊員が戦地に赴く時には。「わしゃのう、お前のことをいっちばん買ってるんじゃ、そやけん、お前がのうここで一つ男を見せてくたら、なんと心強い事か、おまえはわしの子じゃ、わしの家の長男じゃ、その長男が」云々と言って、「帰って来たらわるいようにはせん」と口約束をするのだろうか。
 金子信雄演ずる組長はその後のシリーズに出てきた。出てきて怪演した。今般、閣議決定した輩は、永久にその地位に居る筈がない。個人で責任を取る気もないだろう。
 女性の活用、育児、フクシマ、東北の復興、集団的自衛権、金子信雄のいう「名目」ばかりである。植木等先生は「兎角この世は無責任」と謳った、だが、世の中ほんとに無責任になるとは夢にも思っていなかっただろうに。
 安倍某は、一代である。まさに「無責任一代男」を画に書いた人物である。蓋し向ける方向が大分あっちになってしまっているが、安倍さん、「粋な無責任」ってご存知か。無粋な小生には上手く説明できないが。

 
 

農協の旗

2014-06-12 | 時事
 集団的自衛権がなし崩しに認められようとしている。米国は経済的にも、社会的にも疲弊している。巷間周知のことだが、米国は軍事行動の一部を民間企業に丸投げしている。米国の軍隊は、まともにリクルートが出来なくて、貧困層の子息に声をかけ、退役すれば大学に行けると経済的側面を強調してリクルートに励んでいる。それでも大学を出ていてもまともな職に就けないのが、ウォール街を占拠して公然の事実となった。ならば、軍役に就く利点はなんであろうか。母国を守るという「美辞麗句」一点で、そそのかして戦場に立たせて廃人にして帰してくる。その退役軍人をどうしたらいいか倦ねている。向こうの犯罪、刑事ドラマを見ると、必ず退役して精神が参ってしまった殺人犯が登場する。国の為に、「正義の為に」戦い、国に帰れば適応不能に陥って妄想に悩まされ云々という背景である。
 いつの間にか、アメリカのポチと呼ばれ、政権を維持するには、選挙民よりもワシントンを向いていなければならないという。不沈艦空母と自らの国を読んで、バブルに走った宰相が居たし、キャッチボールをして禿鷹ファンドを呼び寄せた宰相も居た。二世、二世と何かと評判が悪いが、かの国から軍役を課せと言われて断ったが為に宰相の座を奪われた二世宰相もいた聞いたが真実は薮の中である。
 このたびの集団的自衛権は、自国を守る、自国民を守るという耳朶に心地よい声を聞かせているが、小生には、これは米国の民間企業の代替ではないかと思えてしまう。兵器は一流、行動力に、実行力も一流、しかも作戦に関しては意思疎通もつうかーになる。勿論、軍事機密は漏れる事がない。加えて、経費、責任、更には補償は米国には一切かからない。これほど条件のよい警備会社は他にない。
 戦後生まれだらけになり、戦時を知らない世代が増えた。日本国民を紛争地帯から安全に逃す為にと政府は言うが、満州に渡った人たちの運命を見ればいい。満州から命からがら逃げ出して、着の身着のまま逃げ帰って、何も持たずに逃げ帰って云々。満州から帰ってきた人は、それしか語らない。語らないのではなく、語れないのであろうと小生は心中を察する。人間の醜さを見せつけられて語れぬだろうと考えてみる。勿論、人の情に荒んだ心を慰められたこともあろう。当時軍人と呼ばれる人が民間人に何をしたのか誰もはっきりと語らない。繰り返すが、帝国軍人として立派に民間人保護と軍務に尽くした人もあろうが。
 今の自衛隊が、国民を見捨てるようなことをしないと思う。だが戦争は判らない。一人の命を助けた為に、全員が大きな危険にさらされる事もあろう。戦争や災害では徹底した現実主義が求められる。閣議決定をしている人々に、現実主義を通した人が居るとは思えない。小沢昭一先生が述べていたように、戦争に行け,行け言うのは爺ばかりで、若者はいなかったと。
 某国に拉致された人々も帰って来ない。拉致は昔からあったのに、口をつぐんで家族を見捨ててきた。かの国から祖国に何人か帰って来たが、その後の進展は周知の通りである。ダンビラかざして、怒鳴れば某国が恐れをなして、拉致した人々を帰すことはない。国債買って、軍事費の一部を負担して、さらには自衛隊を人身御供にして、目先の利益を求める人に、憲法と言う国の屋台骨を語る資格はないと小生は思うのだがいかがしらん。
 小生、日の丸掲げて、戦地にいくよりも、農協の旗を掲げて世界の観光地に行く、それこそ集団的旅行権の方がよっぽどいいと思います。

ぞろぞろ

2014-05-15 | 時事
 マンガ 美味しんぼが物議を醸している。フクシマの現状について一石を投じている。小生は間接的にしかこの話を知らないので、マンガの内容の真偽はわからない。だが小生の拙い情報からは、フクシマでは老老介護が増えている。看護士の数が足りない。介護士が、リハビリ以外におむつの交換などせざるを得ない。これもまた人手不足である。その地域の医師は、脳梗塞になったらおしまいと患者にいっている。若者は街から去り、戻ってこない。小さい子供を持つ母親は、安全か否かわからないので戻らない。判らないのでなかった事にしようと互いに暗黙の了解を求めている。フクシマの医師会に、甲状腺検査を指定医療機関のみにと指示を出している。都市近郊に避難した親子の検診は、あちこちの病院に行かねばならない。一つの病院で検査が済まないという。検査の手間と時間、更には経済的側面を考慮すれば、検査を諦める親が出てくるというのかしらん。
 三年経って、戻したのは、議員と公務員の給金だけで、集めた税金、基金はどこへいったのやら。聞けば某省庁の車に化けた、某役所の改修工事に使われた、某県の道路改修に使われた。某といっても、被災地ではない。被災地とは全く関係ない街である。そこに住んでいる人たちは、改修費がどこから出ているのか知らない。
 除染された土は、相変わらず、青いビニールシートで覆われて積まれている。どこに捨てるのか、どこに置くのかまだ決まっていない。フクシマ第一で働いている人の賃金が、しっかり払われているのかわからない。労働環境が改善されたのかもわからない。
 払った税金はどこへ行く。集めた金はどこへ行く。税金が、フクシマの安全を保障するために使われているなら、フクシマの人たち、宮城、岩手の人たちが仮設から自分の家に、更には仕事場に使われているなら、誰も、たかがマンガ如きに目くじらを立てまい。作者も昨日、今日出てきた新人ではない。過去の作品から生活するぐらいの印税が入っているだろう。ならばオオカミが来たなんてほらを吹いて、儲けようとはしないだろうに。
 疚しいところがあれば、糊塗するのが人の常である。言い訳するのが常である。友人同士で金の貸し借りは禁物という。金はくれたものと思えと言う。十年も前になるが、用立てて欲しいと「親友」が借金を申し込んできた。都合三回ほど用立てた。金を借りていながら、金にも困っていながら、生活を変えようとする姿勢は見えない。何に使ったと問えば、同じ答えしか帰って来ない。そのくせ返済計画だけは立派に言う。今にして思えば、向こうはどこまで搾れるかを算段していたようである。これで最後と決めてこちらから功徳と自らを慰めて、縁を切った。個人は縁を切れるが、国家と個人は縁は切れない。切るには、バカボンになる覚悟がいる。
 いったいいつから、借金をする言い訳ものに堕してしまったのだろうか。
 あたくし、面目ないですが、お姉ちゃんの前では言い訳ものになります。はい。次から次へとぞろぞろと。

これは機密です

2013-12-23 | 時事
山本翁は戦前真っ暗史観と書いて、真っ暗なのは主義者だけだったと述べた。戦争が激しくなって食料統制、学童疎開が本格的になって、戦争が重くのしかかってきたという文も読んだ。蓋し、山本翁のものしたものではないかも知れない。特定秘密保護法が通過し、施行という段になって、国家機密を守るのは「国家」として当然、法は拡大解釈されることはない、保護法違反で普通の人が逮捕、拘留なんて考えられないと賛成論者は言う。主義者、反動でなければ、保護法に引っかかるようなことはあるまい。憲兵なんていないので、突然引っ張られる事はあるまい。普通に生活している市民には、無関係である。
 ハンナ=アーレントがアイヒマンの裁判を傍聴し、達した結論がアイヒマンは凡人である。思い起こせば、先の戦争で、隣組で口やかましい好戦論者も、普通のおじさん、おばさんだった。性善説、性悪説あるが、人は大抵悪人で生まれてこないと小生は考える。歪んで悪党になるかもしれないが、怖いのは善意、正義をもった歪んだ心、考えである。
 ドラマ、映画で、国や軍の最高権力者が、「多少の犠牲を云々」なんて決め台詞を吐くが、市井の人々がそのような決断を迫られるのはめったにない。まして有事の銃後においておやである。戦地に駆り出された兵士にはそのような場面があると想像に難くないが、市民生活を営んでいる人にそのような決断を迫るときは、最早負け戦である。降伏か死をという選択を迫られる時である。
 「愛国」、「愛する人を守る」という言葉には、悪い響きはない。異論もない。なれど、人は嫌な生き物である。善い悪いは別にして嫌な生き物である。衣食足りなくなって、いよいよ見える敵に追い込まれたら、凡人も目標に向かって邁進するだろう。先の大戦で、上の世代も私らの世代も、日本人全員が、その検証を怠ってきた。怠った結果、アイヒマンの正体を見極められない人と同じになったと小生は考える。
  俗に推して知るべしという、先の大戦に言った人々が歯の奥にものの挟まった言い方をしたのも、固く口を閉ざしたのも、凡人が悪人に、残忍になることを見てきたからではないかと。
 小生は今日も枕を高くして眠る事が出来る、仕事を無事に終える事が出来る、好きな映画、芝居を見る事が出来る、好きなものを食すことが出来る、しかし、一度生活が脅かされると知り、その脅威を遠ざける手段が提示されたら、勇んでその策を採るであろう。例えば他人の秘密を売る事であっても。人は嫌なものである。禽獣は秘密など持たない、秘密を売る事もない。
 小沢昭一先生は、平和ぼけで結構と再三語っておられた。諸兄はご存知であると思われるが、終戦近く、起きた地震の記録が見事に消されていることを。東北.福島は国土損失である、国力の衰微を他国に知らせる重要案件である。ならば、震災の被害をこれから秘匿するのであろうか。震災被害の土地をますます秘密の名で風化させるのか。小生は「機密」というものを、あの法案に賛成した代議士先生にお尋ねしたい。
   あ、小生の寝屋での夜伽話、これは機密です。 

  

与太郎に楽屋話は通じない。

2013-12-09 | 時事
特定秘密保護法が強引に採決された。各界の人が、反対の声を上げている。小生は、大沢真理先生が述べていた貧困率調査を封じている現政権の態度である。大沢先生曰く、この法案が通過すれば、政府統計の秘匿される可能性が益々高くなり、学術研究さえ不可能になる。同じく福島の被災者の声も気になった。被災者曰く、放射能汚染の実態が秘匿されかねないである。
 このたび、米国政府が特定秘密保護法を認めたのは、一つには福島があると小生は睨んでいる。小生の読みはいつもあっちの方向なので、間違っていると思うが。思い起こせば、広島、長崎のデーターは米軍が根こそぎ持って行った。東海村の事故でも、東大病院のデーターは、米国に持って行った。ならば、世界最大の放射能事故と言われる福島も同様であろう。冷戦終わって、アトミックソルジャーも作れなくなった。核実験は出来ても、人体への放射能の影響を探る実験は行えない。実験機器に、調査機器も昭和20年、30年よりも遥かに進化している。なのにパソコン上での仮想計算しかできないのが、あの日以前の状態だった。
 日本は米国にとってのニューメキシコ州、ハワイ州に等しい扱いである。違うのは、金をたくさん貢いでくれる、米国50数州の稼ぎ頭である。米国債を購入してくれる上得意である。本土で出来ない事が実現できる州である。更に言えば、キャピタルヒルに集う被選挙権も持っていない、国政に口出ししない州である。特定秘密保護法を米国が後押しするのも、件のデーターをじゃんじゃん収集できる。先の事故では、事故状況を全く伝えてこなかった盆暗どもの首根っこを押さえ込める。米国調査員なんてものも堂々と派遣できる。
 数ヶ月前、NHK特集で、「諜報活動に協力した日本人」を放映してた。協力者は政府の役人なんて限定はない。教師に、商店員、会社員、役人と、食うに困って糊口をしのげない人を見つけ出し、甘言を弄して職場の危険思想を持つ人物を定期的に報告せよというものである。職の他に手当なるものが支給されていた。諜報活動に従事した人の数は、五千とも一万とも言われている。取材班はその名簿にある人物を追って日本全国を飛び回る。あるものは徹底的に拒否され、あるものには申し訳なさそうにやんわりと拒否され、またあるものは自分の祖父が、親がそんな事に荷担していたなど知らなかった。言い換えれば墓場まで持って行ったのである。その中でも何人かが、歴史の証言者として残さねばという気持ちで取材に応じていた。組合活動の監視、対日政策に反対をするものの発見、再軍備を目論むもの、米国の対日政策、アジア戦略に不都合なる異分子のあぶり出しである。インタビューでは、匿名で共に活動した人物の行動力と洞察力を語っていた。
 法案を通過させた今、公安や警視庁による人選が進むであろう。五段階なり、三段階に分けて情報提供協力者を見つけて行くだろう。情報は隠そうとすればするほど漏れやすいとは誰もが知っている事だが、何でも喋る口の軽い男を、失言の多い男を諜報員に選ぶだけの器量はあるだろうか。キャピタルヒルにはいなくとも、議事堂には山ほどいることを小生は失念していた。

上から読んでも下から読んでも

2013-11-11 | 時事
 俗に便所の落書きと言われている掲示板がある。小生は、暇であるゆえにそこそこ覗いている。ここ数日、数週間見て気づいたのは、幾つかの事件についてスレッドが立たない。あっても目立たぬようにしてある。尤もニュースを選ぶのは、恣意的なものであるから、選者の視野に入らぬものなのかもしれない。機密法に関するスレッド、福島の汚染水処理に関するスレッドの異常なまでの少なさである。なるほど、言い方が悪いが、便所の落書きであるから、選ぶニュースも、やたらと「ヘイトスピーチ」を呼び起こすような類いのものである。にしても、サッカーや芸能、と社会風俗を扱いながら、なぜか機密法はない。ある事はあるが、書き込みが少ない。法の内容なり、概要を理解している人が少ないと書けば、恐らく衆に頼んで、小生に罵詈讒謗を浴びせるであろう。中には噛んで含むようにして説明してくれる人が居るやも知れぬ。
 一方で、「偽装表示」が雨後の筍のように出てきた。偽装なら、本ブログでもかつて書いた、不二家に、牛肉、高級料亭。今回の街の声、有識者の声もまた、日めくり暦の声とおなじである。暦の横に今日の一言とある。去年の暦にも同じ言葉が載っていた、一昨年のにもあった。違うのは日付と大安吉日の文字だけである。歩を合わせたように高級ホテルから百貨店の類いまで頭を下げている。他人の咎を責めるのは痛快である。正義になれる。人は声高に「信頼」という言葉を使う。その間、国家機密法に関するニュースはどれだけ流されたのだろうか。法案提出直前になって「大新聞」は「言論弾圧」と書いた。一方で、「スパイ天国」、「国防」と書いた。書いたのはポーズである。自分たちにはおこぼれが来ると信じている。あれだけ震災の際に内外から批判された記者クラブは一向に解散していない。。
 小生の妄想に過ぎないが、これらの一連の流れになにか胡乱さを感じてしまう。
話は変わるが、あれから今日で二年と八ヶ月経った。楽天の優勝は、もう一度東北に人の目を向けるのに一役買ったが、感動とか絆という美辞麗句を連想させただけで、かの地の復興が遅々として進まぬ状況は伝えられない。仮設住宅の不便さが改善されたというニュースは聞かない。南相馬にある仮設住宅は、外国製のプレハブ住宅と仄聞した。生活空間は四畳半で、それに半畳程の台所、それとユニットバスがついているだけで、6畳の広さ程度である。おまけに壁が薄いために、人々は息を殺して生活するような状態であると。周りに気を遣う日本人の美徳と言えば聞こえがいい、お互い様を知っていると言えば耳朶に心地よい。東北に関するニュースが件のような言い換えで誤魔化されていると感じているのは、小生がつむじ曲がりだからだろうか。そして、南相馬に絆医院という診療所がある。それとて、実は、そこの医院長が自腹で建設したものである。復興増税の声はどこへやらである。思い起こせば復興予算の使途を追跡した番組は、悪名高いみなさまの放送局だけだったような気がする。インタビューアが各地に飛んで、地元の人に道路建設、湾岸工事の金の出所を教えると、一様に憮然としていた。その地の人もまた、小生と同じように、復興予算とあるからには、東北、福島を始めとする被災地に使われるものと思っていたらしい。
まるで寸借詐欺に遭ったような心持ちである。
 ニュースも売り物と、山本翁は言った。売り物なら新鮮で、見栄え、聞き応えがあるものに決まっている。だが、世の中には売っていいもの、いけないもの、売らねばならぬものがある。
 ならば、昨今の食品偽装とは、報道偽装のことかと小生は得心したのである。売るべきニュースを売らず、売れそうなものばかり選んで記事にするのは商人のさもしい心根である。偽装した食品会社、ホテル、百貨店の責任者は頭を下げるが、偽装しているマスコミの責任者は頭を下げない。下げないのは頭がないからだと、「しんぶんし」と書いて、これまた小生は得心した。

入試改革

2013-11-01 | 時事
 入試改革という名の下で、国民総劣化計画が進行している。到達度試験と称し、何度も試験を受けさせる。試験回数が増えれば、その分、短期目標に向かって子供も大人も狂奔するであろう。目先の試験で合格点をとる為に、最低限の勉強しかしないだろう。教師もまた最低限のことしか教えなくなるだろう。ゆとり教育どこへやらである。本当のゆとりが消えて、単なる輪の中を走るネズミの如く、終わりのない「勉強」を大人も子供も強いられるであろう。複数回と、耳朶に心地よい言葉を並べているが、運転免許の類いと同列である。運転免許取得試験で複数回落ちる人がいると聞いた事がある。運が悪いのか、はたまた能力なのかわからない。それでも何度か受けて同じような問題を見て、目出度く合格する。教習所では、運転教本なるものが教科書として渡され、、ひたすらその本の内容を聞かされる。教習所の講師も慣れたもので、免許取得に必要なところを中心に講義を組み立てる。そして車に乗る上で一番大切なことは、極論を言えば、刺身のつま程度のものにしかならない。小生は、遅くに免許を取得した。交通法規の中身もさることながら、教官が口を酸っぱくして言う「安全運転の励行」、「車を大切に」、「呑んだら乗るな」は、今でも鮮明に覚えている。しかし当時、教室にいた年頃の若者の大半は馬耳東風のように見えた。免許取得のためであって、取得した後の車を持った生活の事など余計なお世話だという空気が漂っていた。
 路上教習では、急ブレーキの踏み方、濡れた路面での急停止の仕方、起伏の激しい悪路でのスピード運転、雪道での発進、停止、更には急ブレーキの掛け方、これらを一切教えてくれなかった。今なら教えてくれるのか知らん。地方によっては、正確には都会に住んでいれば教える必要はない。紙の試験には実地は出ない。だが、現実では、雪道を運転する事もあり得るし、悪路を高速で突き抜けなければならない場面も出てくるかもしれぬ。だから教習所の教科内容を変えろという訳ではない。件の運転技術は、フィンランドではあたり前に教える内容であり、運転免許の取得に五年もかかると仄聞した。そのせいかしらないが、F1ドライバーを世界で一番、排出している国がかの国だとも聞いた。
 閑話休題して、今回の入試改革は、学校を自動車教習所扱いにする手立てではないか。とんとん拍子で、試験を通過できるものもいれば、何度も受験を繰り返し、到達度の基準を上げて行くものもいよう。ようやく到達度の一定水準まで来て、現在のセンター試験に当るものを受験する。高得点をとれればよいが、人並みならばなんとしよう。そこで救済策か苦肉の策かわからぬが「人物評価」という。教習所と違うのは、何度も到達度というなふるいにかけて、早期に「能力の選別」をしようとすることである。勿論、そんなことは世間が黙っていない。我が子は違うという親が大勢いる。それを糊塗する為に、試験には最終的には合格できます、但しお子さんの成長の履歴を開陳する事でということらしい。
 子供は益々勉強、学ぶ事を忌避するであろう。益々体も頭も使わなくなるであろう。今ですら、「試験に出ますか」という発想で勉強している親子が伍萬といる。ある私立の医科大学では、第一志望の合格者よりも、国立の医学部を落ちて入学した学生の方が、優秀で、国試の合格率も高いという。為に、国立志望の学生が入りやすいように学費を下げたという。傾向と対策を絞って絞って勉強した結果がこれである。目先の合格だけを考えれば、しぼる事も正解であろう。だが、人生は長い。学校もまた人の一生よりも長い。一方で、松井や、田中のような天才は到達度テストに追われる子供の中には現れないであろう。現れるとすれば到達度テストを免れた「なんとか特待」という学生からかもしれぬ。それとて小生は怪しんでいる。運動神経がよいだけで一流の運動選手になれまい。一流選手とは、想像力を働かせられる知力も兼ね備えていなければと小生は思っている。
 資源もなければ、土地もない我が国で、頼れるのは人の力である。優秀な人材をとは誰もが口にする。口にするが、やってることは一億総凡人化である。人並み程度の労働力を揃えてなんとなる。
 巷間、グローバリスムという言葉が喧しい。ならば人並み程度の労働力を一億人作って、海外に「安価な労働力」として輸出するのか、「国家」という名を捨てて、「グローバル国家」となろうとしているのか、「政治家」、「官僚」の真意は奈辺にあるのか小生はわからない。
 わかっているのは「複数回」、「人柄」なんて猫なで声には、碌なことがないということだけである。小生は、件の言葉を浮き世の床でさんざん聞かされ、散在しまくった。