禅の公案に『洞山三頓棒』というのがあります。一休が 25歳の時、
師の華叟から与えられた公案は、この『洞山三頓棒』でした。
『洞山三頓棒』の公案とは。
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洞山(とうざん)という坊さんが、長い旅の末、ようよう雲門禅師の
所にたどり着き、入門を乞うた時のと。
雲門に「どこから来たのか」と問われて、洞山は「査渡(さと)より」と
答えた。すると「昨夏はどこで過ごしたか」と重ねて問われ、
「湖南の報慈(ほうず)です」と答えた。更に「そこを出立したのは
いつか」と問われて「8月25日」と答えた。すると、雲門は
「汝に三頓の棒を放(ゆる)す」 と。
「一頓」は20発なので「三頓」で 60発。「棒で殴ってやりたい
ところだが、今日はこらえておいてやろう」と 痛烈な言葉を
投げ掛けられたのだ。
正直に答えたのに「棒で殴られる」とはいったいどういうことか。
洞山は、何がなんだか、さっぱりわからない。一晩苦しみ悩み
考えても解けない。そこで翌日、また雲門の所へ行き、
「私のどこが間違っていたのでしょうか」と問うと、雲門は、
「(禅の盛んな)江西湖南を廻りながら、この無駄飯喰いが!」と
大喝した。そこで洞山は大悟した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というもの。
「洞山は正直に答えたのに、どうして雲門に殴られなければ
ならなかったか」というのが命題です。また洞山は「無駄飯
喰い」と云われて、何をどう悟ったのか。
一休もこの命題に取り組み、長い月日、悩み苦しんでいた。
そしてある時、平家琵琶の『祇王と仏御前』の条を聞き、
一晩 泣き明かして、ようやく解けたのだという。
さて一休は、何をどう悟ったのかは、どこにも書かれていません。
その答えが、私の「一休語り」のテーマなのです。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
師の華叟から与えられた公案は、この『洞山三頓棒』でした。
『洞山三頓棒』の公案とは。
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洞山(とうざん)という坊さんが、長い旅の末、ようよう雲門禅師の
所にたどり着き、入門を乞うた時のと。
雲門に「どこから来たのか」と問われて、洞山は「査渡(さと)より」と
答えた。すると「昨夏はどこで過ごしたか」と重ねて問われ、
「湖南の報慈(ほうず)です」と答えた。更に「そこを出立したのは
いつか」と問われて「8月25日」と答えた。すると、雲門は
「汝に三頓の棒を放(ゆる)す」 と。
「一頓」は20発なので「三頓」で 60発。「棒で殴ってやりたい
ところだが、今日はこらえておいてやろう」と 痛烈な言葉を
投げ掛けられたのだ。
正直に答えたのに「棒で殴られる」とはいったいどういうことか。
洞山は、何がなんだか、さっぱりわからない。一晩苦しみ悩み
考えても解けない。そこで翌日、また雲門の所へ行き、
「私のどこが間違っていたのでしょうか」と問うと、雲門は、
「(禅の盛んな)江西湖南を廻りながら、この無駄飯喰いが!」と
大喝した。そこで洞山は大悟した。
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というもの。
「洞山は正直に答えたのに、どうして雲門に殴られなければ
ならなかったか」というのが命題です。また洞山は「無駄飯
喰い」と云われて、何をどう悟ったのか。
一休もこの命題に取り組み、長い月日、悩み苦しんでいた。
そしてある時、平家琵琶の『祇王と仏御前』の条を聞き、
一晩 泣き明かして、ようやく解けたのだという。
さて一休は、何をどう悟ったのかは、どこにも書かれていません。
その答えが、私の「一休語り」のテーマなのです。
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