マントの介護日記

レビー小体型認知症&パーキンソン病の
主人を介護して、たまに人工股関節になった
マントの日記も綴ります!

生きる

2013年01月13日 | 介護日記
おはよう御座います  マントです 



最近 思うことがあって考えたりしている私

それは子供の頃は早く大人になりたいと想ったりしていましたが

今じゃ この先 何年生きるのだろうと想ったりしていますね


それで“生きる”という意味について考えてみました

辞書で“生きる”の意味を調べると。。

①この世に命をたもっている ②生活する他が書かれていました



私もこの世に生まれて良かったと想うことはありません

10代の頃は自殺しようと思ったり

結婚して子育て真っ最中には育児疲れで嫌になったり

成長した子供の事で悩んだり

色んな事が今までありましたね

自殺しようかと思った時は紐で首を絞めたのですが

“苦しくて・・苦しくて・・何を遣っているんだろう”

と心に思ったりして死ぬのを思い止めました!

それと・・

両股関節が悪い私は結婚してから今までに

6回ほど入院し手術をしています

長年苦しんだ足の痛みから解消出来るのであれば

自分の身体を傷つけても構わないと思いました

生きて来れたのも家族の支えがあったりして

今日の私が居るのです  

ほんと感謝しております


それからは“何があろうとも頑張っていこう!”と思いましたね!




でも・・それ以上に頑張って来たのは婆ちゃん(母)なのです

戦争の中を生きぬいて 

好きじゃなかった亡き父と結婚し

幸せな結婚生活だと思いきや酒乱の父に苦しめられ

一時は離婚を考えていた母なのに

離婚をしないで子供達との生活の為に頑張ってくれました

その後も酒の影響で階段から転落した父は右上下半身不随になり 

私が17歳の頃から父が亡くなるまで 

およそ35年間を婆ちゃんは父の介護をしていたのです

私も手伝いたかったんだけど・・19歳で結婚し子供もできたもんで

だから80歳になるまで買い物へ行ったり家事をしたりしていた婆ちゃん

けど・・

父が亡くなった後 父の為に一生懸命頑張って来たのが

ポッカリ気が抜けたのか・・?

身体が弱ってきだし 

そして軽度の脳梗塞を起し認知症が始まりました


昔の思い出を聞くと答えたりしますが

次の日は忘れている婆ちゃんですね

いまの方が“婆ちゃんにとって幸せなのだろうか”と思っている私


今日は婆ちゃんの88歳の誕生日

“よう長生きしたわ!”と常々いっている婆ちゃん

出来たら“もっともっと長生きして欲しい”と願っていますが

人生を全うするまで何が起るかわかりませんし

私達も何歳まで生きられるか分りません


でも悔いのない様に頑張って生きようと思っています






                      訪問ありがとうございます



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