今日は平成22年2月22日ですね。だから何なのだと言われてしまいそうですが、こういう時に何を想うかというと、父の不在を実感します。
写真は昭和55年5月5日の切符です。記念にとっておいたわけですが、私は今も昔も鉄道マニアでもオタクでも何でもないので、どうしてこの切符が残っているのかというと、明らかに父の影響です。こういうB級C級の趣味にかけては、父の右に出る人はなかなかいないように思われます。そういう意味で、私の父は死ぬのが10年早かった。生きていれば、インターネットを駆使して、面白おかしな情報をいろいろ発信していたことでしょう。父が死んだ当時はまだそんな環境は整っていなかったし、今はもう、父の遺品はほぼすべて捨ててしまい、残っていません。
昭和55年5月5日というと、1980年、今から30年前です。当時私は小学6年生で、まだ小児料金だったわけです。どうしてこの切符が残っているのかは、もう覚えていません。どうしても記念に残しておきたかったのであれば、入場券を買えばよかったわけですが、そういうことは決してしません。そこがA級のコレクターとの決定的な違いです。あくまでも実用的なものを残しておく。というわけで、おそらく、子供の日だから父と一緒にどこかに(映画かな)出かけて、改札で切符を出さずにそのまま出てしまったのでしょう。さすがに父はそこまでのことはしません(笑)
そいでもって、私のガラクタ入れには、他にもいくつかの古い切符がありました。今になってみると、なかなか味のある貴重な切符たちです。
今はもう「狭山湖駅」はありません。昭和54年に「西武球場前駅」に改められたからです。言うまでもなく、西武ライオンズ誕生の年です。そして、今はもう「入間川駅」もありません。こちらも同じ年、「狭山市駅」に改称されています。「小」が反対に印刷されているのも、なんだかレア感たっぷりでいい感じ。今でも「新所沢駅」はありますが、当時は、お隣の「航空公園駅」はありませんでした。それにつけても40円、60円、70円とは安いですね。子供だと20円、30円、40円ですしね。
やはりこういう仕事は父の独壇場だと思います。こういう記事を、彼の作文、彼の写真で発信して欲しかった。
写真は昭和55年5月5日の切符です。記念にとっておいたわけですが、私は今も昔も鉄道マニアでもオタクでも何でもないので、どうしてこの切符が残っているのかというと、明らかに父の影響です。こういうB級C級の趣味にかけては、父の右に出る人はなかなかいないように思われます。そういう意味で、私の父は死ぬのが10年早かった。生きていれば、インターネットを駆使して、面白おかしな情報をいろいろ発信していたことでしょう。父が死んだ当時はまだそんな環境は整っていなかったし、今はもう、父の遺品はほぼすべて捨ててしまい、残っていません。
昭和55年5月5日というと、1980年、今から30年前です。当時私は小学6年生で、まだ小児料金だったわけです。どうしてこの切符が残っているのかは、もう覚えていません。どうしても記念に残しておきたかったのであれば、入場券を買えばよかったわけですが、そういうことは決してしません。そこがA級のコレクターとの決定的な違いです。あくまでも実用的なものを残しておく。というわけで、おそらく、子供の日だから父と一緒にどこかに(映画かな)出かけて、改札で切符を出さずにそのまま出てしまったのでしょう。さすがに父はそこまでのことはしません(笑)
そいでもって、私のガラクタ入れには、他にもいくつかの古い切符がありました。今になってみると、なかなか味のある貴重な切符たちです。
今はもう「狭山湖駅」はありません。昭和54年に「西武球場前駅」に改められたからです。言うまでもなく、西武ライオンズ誕生の年です。そして、今はもう「入間川駅」もありません。こちらも同じ年、「狭山市駅」に改称されています。「小」が反対に印刷されているのも、なんだかレア感たっぷりでいい感じ。今でも「新所沢駅」はありますが、当時は、お隣の「航空公園駅」はありませんでした。それにつけても40円、60円、70円とは安いですね。子供だと20円、30円、40円ですしね。
やはりこういう仕事は父の独壇場だと思います。こういう記事を、彼の作文、彼の写真で発信して欲しかった。
収集癖に関しては、私はあまり父に似たところはないと思っていたのですが、先日友人と飲んでいたときに
1.過去の給料明細をすべて保存している
2.過去の手帳をすべて保存している
と言ったら呆れられてしまい、ああ、これは父の血だなぁと改めて思い知らされた次第です。
(母は絶対に捨てていると思う)