
いつも財布の中に「臓器提供意思表示カード」を入れています。
現在私は、脳死後、心停止後とも、
臓器提供する意思があるというサインしています。
ところが、「証言・臨死体験」を読んでからというもの、
ちょっと勉強不足だったと思い、
これから同じ著者の「脳死」シリーズも読んでみようと思っていますが、
その前に、「私は臓器を提供しない」発行=洋泉社 定価=660円+税
という本を見つけたので、それも読んでみることにしました。
こういった本を読んだ後、
自分の臓器提供意思表示カードに変化は現れるでしょうか。
現在私は、脳死後、心停止後とも、
臓器提供する意思があるというサインしています。
ところが、「証言・臨死体験」を読んでからというもの、
ちょっと勉強不足だったと思い、
これから同じ著者の「脳死」シリーズも読んでみようと思っていますが、
その前に、「私は臓器を提供しない」発行=洋泉社 定価=660円+税
という本を見つけたので、それも読んでみることにしました。
こういった本を読んだ後、
自分の臓器提供意思表示カードに変化は現れるでしょうか。
以前トラックバックを打ってコメントを忘れたwillyです。(打ち逃げ状態・・・)
私は以前どこかでカードを手に入れましたが、
名前を書くときになった時にためらってしまい、あきらめました。
自分の体の一部が生きているのに身内が法事とかするのって、不思議な気がするので。
「証言・臨死体験」に臓器提供のことが書かれているのですか?
私も臓器提供意思表示カードを手にしましたが、サインする事はしませんでした。
私がサインするという事は偽善でしかないと気付いたので…。
それと、体の一部だけだとしても、「私」が不在なのに生きていたくはないと思ったからです。
単なるエゴですね(苦笑)。
私は何も考えずサインしましたが、今になって迷っています。
心停止であれば、提供してよいと思いますが、問題は脳死の場合です。
これから脳死関係の本を読んで、改めてサインするかどうか決めたいと思っています。
「証言・臨死体験」に臓器提供のことは書いてありません。
ただ私が、臓器提供について再考するきっかけになっただけのことです。
例えば、私が脳死状態にあって、かつ臨死体験中であり、光に包まれ至福の時を過ごしているのに、そこで心臓を切り取られるというのは如何なものかと、そういう風に想像してしまったのです。
今現在は、仮に私が脳死状態にあり、かつ意識があったとして、あるいは、幽体離脱をしていて自分の状況を把握していたとしても、自分の身体の一部が役に立つならば、どうぞ移植して下さいと、そういう気持ちです。
でもこれから先どう変化するかは自分でもわかりません。
この問題が「尊厳死」にも関係してくるのだと思い知ります。それでもあえて提供したい、なんとか役立てて欲しい、そう思う人の願いも尊重すべきでしょうし、難しい問題ですね。
けど、いいこと言うなぁ。
1.正しい情報が公開されていること。
2.その上で、選択の自由があること。
奥の深い問題ですが、この件に関する過去のトラブルを見ると、
この2点がなおざりにされているがために発生しているように思われるのです。
提供する側、される側の接点が、命を預けるに値する医師によってなされることを切に願う。
脳死が「死に近い状態の生」であり、その状態の脳が身体の痛み感知することも理解しつつ、それでもなお、臓器移植によって新たな(力強い)生を得られると、そういう信念を持っている医師、信頼出来る医師がいたら、私は命を預けたいと思います。