この頃、あひるさんたちは、微妙に生活圏を移したみたいです。遠くまで追いかけないと、なかなか見つかりません。そもそも、あひるさんたちは、特定の誰かに養われているわけではないので、川の上・下流どこにでも自由に移動することが出来るわけですし、それが魅力のひとつでもあるわけですが、実際いなくなっちゃうと、寂しい。
私のような中年メタボ野郎が、川を見つめながらうろうろしていたら怪しいでしょ。警察に通報されてしまうかもしれない。職務質問されたらどうしよう。「あひるを追いかけていました」なんて言ったら、逮捕されちゃう。なので、残念ですが、今日は「あひる哲学」を更新していません。まあどうせ、残念なのは自分だけでしょうが。
誰が何と言おうと、私は「あひる哲学」が気に入っています。その試みに価値があるような気がしているのです。そこが「ごめり語。」との決定的な違いです。例えば、仮に、私に哲学的な思考回路がないということを、「ごめり語。」が証明しているとします(←事実ですが)。では、アヒルが哲学をしないということを、どうやって証明するのでしょう。それは例えば、言葉の有無でしょうか。では、彼らの鳴き声が言葉でないということを、どうやって証明するのでしょう。
私は「アヒルだって哲学している」をいう結論を導き出したいわけですが、そんなことは、私のちんけな脳では無理ですし、そもそもそんな結論は、著名な哲学者でなくとも、誰もが否定することでしょう。答えは否、私は間違っている、それはそれでいいのです。では、多くの動植物や、星の数ほどある生命体の中で、どうして「人間だけしか哲学できない」のか、私はそれが知りたい。いろんなテキストがあろうけれど、何か適切なものを御存知の方、ぜひ教えて下さい。岩波文庫のアリストテレスとか、そういう難しいのはパスだけど・・・
私のような中年メタボ野郎が、川を見つめながらうろうろしていたら怪しいでしょ。警察に通報されてしまうかもしれない。職務質問されたらどうしよう。「あひるを追いかけていました」なんて言ったら、逮捕されちゃう。なので、残念ですが、今日は「あひる哲学」を更新していません。まあどうせ、残念なのは自分だけでしょうが。
誰が何と言おうと、私は「あひる哲学」が気に入っています。その試みに価値があるような気がしているのです。そこが「ごめり語。」との決定的な違いです。例えば、仮に、私に哲学的な思考回路がないということを、「ごめり語。」が証明しているとします(←事実ですが)。では、アヒルが哲学をしないということを、どうやって証明するのでしょう。それは例えば、言葉の有無でしょうか。では、彼らの鳴き声が言葉でないということを、どうやって証明するのでしょう。
私は「アヒルだって哲学している」をいう結論を導き出したいわけですが、そんなことは、私のちんけな脳では無理ですし、そもそもそんな結論は、著名な哲学者でなくとも、誰もが否定することでしょう。答えは否、私は間違っている、それはそれでいいのです。では、多くの動植物や、星の数ほどある生命体の中で、どうして「人間だけしか哲学できない」のか、私はそれが知りたい。いろんなテキストがあろうけれど、何か適切なものを御存知の方、ぜひ教えて下さい。岩波文庫のアリストテレスとか、そういう難しいのはパスだけど・・・