GOGOこすもす

東京歴史散歩と
気まぐれブログ

東村山北山公園花菖蒲、八国山緑道

2011-06-20 14:41:30 | こすもすウォーク

 

6月のこすもすウォークは狭山丘陵の一角にある北山公園、八国山に行って来ました。

6月19日(日)   曇り

東村山駅集合

JR国分寺駅で乗り換えて西武国分寺線で東村山駅へ。
国分寺まではビルや住宅で埋まった景色ですが、西武国分寺線の
車窓は畑が広がっています。 

駅からところどころに畑のある道を歩いて行くと正福寺があります。


                      正福寺 地蔵堂

 

境内の地蔵堂は都内唯一の国宝建造物です。

 正福寺は寺の縁起によりますと、弘安元年(1278)に臨済宗建長寺派の末寺として、南宋径山寺の石渓心月を勧請開山として、
執権北条時宗によって開創されたと伝えられています。
また、北条時宗がこの地へ鷹狩りに来ていたとき病に倒れ、時宗は夢枕に地蔵菩薩が現れ「貴公の命日数ならずこの丸薬を服用せば、
立ちどころに病魔退散す」とのお告げがあり、全快したことから、飛騨の工匠を招き七堂伽藍を造営させたとも伝えられているそうです。
(東京都教育庁・東京文化財ウィークのはがきの説明より)

 国宝の地蔵堂は鎌倉時代に中国から伝えられた禅宗様(唐様)建築の代表的な建造物で、
日本史の歴史教科書などに必ずといって良い位に出てくる、鎌倉の円覚寺舎利殿と全く同じ様式のものです。
正福寺地蔵堂と円覚寺舎利殿は姿、形、大きさなど大変よく似ています。建築年代もおそらく、そう違わないものと思われます。
指定内容では円覚寺舎利殿は南北朝で正福寺地蔵堂は室町(1407年)となっているようですが、
繰り返すようですが双方とも同じ鎌倉時代の禅宗様式の建築です。(ペンネーム山さんのhomeページより)

内回廊には千体小地蔵が奉納されています。
祈願する人が小地蔵を一体借りて行き、成就するともう一体添えて奉納することから、
地蔵堂内部は天井に近い長押にも小地蔵が並んでいて、11月3日に正福寺地蔵堂の内部も特別公開されるとのことです。


        堂の外にも小地蔵が祈願成就で奉納されています


ボランティアの方に唐様建造物の特徴やこの寺の由来など説明して頂きました。

正福寺から少し歩くと北山公園(菖蒲園)
日曜日、最後の見ごろとあって多くの人が見に来ていました。

前日の雨で道はぬかるんでいましたが、乾いたところを見つけ、敷物を敷いてお弁当

八国山体験の里→八国山緑地をウォーキング。明るい雑木林と適度な起伏のある里山で久しぶりの森林浴。
8つの国々(上野、下野、常陸、安房、相模、駿河、信濃、甲斐)が見渡せるという頂上には
将軍塚(新田義貞鎌倉攻めの際の久米川の戦いでここから指揮を執ったという伝承がある)があります。

将軍塚から下りはぬかるんだ坂道を転ばぬように下って行きます。
下り着いたところに久米川古戦場跡(新田義貞の鎌倉攻めや
1335年北条高時の遺子時之と足利尊氏の弟直義らの戦い、1352年
の武蔵野合戦など、幾多の戦場になった)があります。

 鎌倉街道上道においてもここは交通の要衝であったと思われます。そのような交通の要衝であるが所以に
この地は度々戦場地となることがありました。
新田義貞指揮居る討幕軍と鎌倉幕府軍が衝突した久米川の古戦場はまさにこの地でありました。
市内の徳蔵寺には有名な「元弘の板碑」が保存館に陳列されていて.....(ペンネーム山さんのhomeページより)

久米川古戦場跡を少し行くと徳蔵寺があります。
国指定重要文化財である元弘の板碑(新田義貞が鎌倉の北条氏を攻めた時の戦士者の供養塔)があり、
多数の板碑と共に板碑保存館に展示され、保存されています。


                      菩提樹の花

                         菖蒲    

                            夏椿

 東村山駅近の和菓子処「餅萬」でお茶
皆でクリームあんみつを注文
おみやげに「だいじょうぶだア~饅頭」を買って、東村山駅で解散

東村山というと、志村けんのイメージばかり浮かびますが、旧鎌倉街道、府中街道、所沢街道、新青梅街道や鷹の道etc.
が通っていて歴史上(特に鎌倉時代後期)重要な地であったと改めて認識しました。
案内して下さったIさん、ありがとうございました