こちらはテストです。
今日は、いつもの感想文とはちょっと違う感じで。
友人が主宰する劇団の公演を見に行った。
長い付き合いになるが、
友人と一番長く過ごした時代が舞台となる話であった。
彼らしい前向きな作品であったが、
本人が納得しない出来である点は観客側からでも感じ取れた。
物語を作り出すのは難しい。
それが自分の意図できるようなものを作るのは、尚のことだ。
今作はそれが分かった。
また彼自身の進路や心境というものも、作品に影響を与えている気がした。
別に、こんなブログで何が書きたいわけでもないが、ただそれだけ。
久しぶりに「夜空ノムコウ」を聞きたくなって、聞いてしまった。
そんな時代が劇の舞台になってたから。
友人が主宰する劇団の公演を見に行った。
長い付き合いになるが、
友人と一番長く過ごした時代が舞台となる話であった。
彼らしい前向きな作品であったが、
本人が納得しない出来である点は観客側からでも感じ取れた。
物語を作り出すのは難しい。
それが自分の意図できるようなものを作るのは、尚のことだ。
今作はそれが分かった。
また彼自身の進路や心境というものも、作品に影響を与えている気がした。
別に、こんなブログで何が書きたいわけでもないが、ただそれだけ。
久しぶりに「夜空ノムコウ」を聞きたくなって、聞いてしまった。
そんな時代が劇の舞台になってたから。
『退屈しのぎに』は小学生の時に読んだ小学生用の「徒然草」において、
村松友規が「徒然なるままに」を現代語訳したものである。
で、たしか村松友規だと思ってググって検索したら検索結果が0件だった。
だから違う可能性もあるが…。
作者名はそんな風に曖昧ながらも、
小学生の自分は何故かその妙訳にハマってしまい、
大学生になる今日まで心の中に強い印象を与えている。
まあ、書きたい時に書きたいように自分勝手に、
そして退屈しのぎにこれから書いていけたらいいなと思う。
これを読んでる人もどうぞ“退屈シノギニ”でも読んで下さいな。
そんな感じで始まったのが「退屈シノギ二…」という日記サイトだったのだが、
日記を公開するのはやっぱ微妙だということに気付き、
日記のフリーソフトをダウンロードして自己完結させているのが現状である。
ただブログもやってみたいなーということで、
こちらでは主に読書感想等のたわいもないことを書いていこうかなぁと思う次第であります。
村松友規が「徒然なるままに」を現代語訳したものである。
で、たしか村松友規だと思ってググって検索したら検索結果が0件だった。
だから違う可能性もあるが…。
作者名はそんな風に曖昧ながらも、
小学生の自分は何故かその妙訳にハマってしまい、
大学生になる今日まで心の中に強い印象を与えている。
まあ、書きたい時に書きたいように自分勝手に、
そして退屈しのぎにこれから書いていけたらいいなと思う。
これを読んでる人もどうぞ“退屈シノギニ”でも読んで下さいな。
そんな感じで始まったのが「退屈シノギ二…」という日記サイトだったのだが、
日記を公開するのはやっぱ微妙だということに気付き、
日記のフリーソフトをダウンロードして自己完結させているのが現状である。
ただブログもやってみたいなーということで、
こちらでは主に読書感想等のたわいもないことを書いていこうかなぁと思う次第であります。