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うたかたの記

楽しくのんびりと参りましょうか

裏磐梯五色沼散策

2008-11-11 | 旅行


10月31日今日もました。早朝のホテルの庭に出てみると、
磐梯山は雪で薄化粧をして、朝日に染まってました。
今日は五色沼自然探勝路(桧原湖から毘沙門沼まで約3キロ)の遊歩道を
歩きます。
↓の画像クリックしてください

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五色沼散策路にて 1


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non_nonさんのソースお借りしました有り難うございます

大内宿&塔のへつり

2008-11-07 | 旅行


展望台で那須連山を観賞のあと、かやぶき屋根が残る町並みの「大内宿」と
「塔のへつり」に向かいました

「葺き屋根の連なる宿場風景が残ったのである。江戸時代の宿場の面影を
今に伝える町並、茅葺き屋根の連なる宿場町それが大内宿。
大内は江戸初期から下野(しもつけ)街道の宿駅であった。

下野街道は別名会津西街道・日光街道・南山通り・中奥街道・
今市街道とも呼ばれ、
会津若松から下野今市に至る街道である。

大内村は大内宿を持った宿駅村で。北は大内峠・氷玉峠を越して関山宿に、
南は中山峠を経て倉谷宿へ至る。
江戸初期には会津藩主の参勤交代路で、江戸への廻米路でもあった。
天和3年(1683)地震による山崩れで下野街道の五十里宿(いかり)が
水没し通行不能となったため、元禄8年(1695)南山松川通が開かれると、
下野街道の交通量は激減し大内宿も衰退した。享保7年(1722)
五十里湖の水抜きによって街道が復活したが、すでに会津若松からの
主要道は白河街道に移っていた。

そして明治17年会津三方道路の一つ日光街道が大川沿いに開通すると、
大内は宿駅としての機能を失い山間に取り残されて、昔日の宿場の面影を
留めた茅葺き屋根の連なる宿場風景が残ったのである。」
「↑」はネットより引用させて頂きました。


サムネイルスライドショーですソースはnon_nonさんにお借りしました

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1 大内宿


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「塔のへつり」は、奇岩怪石が塔のようにそそりたち
大川ラインの中でも最大の渓谷美である。
昭和18年8月24日に国の天然記念物に指定され、
百万年もの長い年月をかけて、
侵食と風化を繰り返し見事な景観を作り出した。
↑は画像8の案内板の文字より

那須の山々

2008-11-04 | 旅行
夜道をバスに揺られてホテルに到着、9階の905号室です。
気になる眺望は~ 窓の外は暗く解かりませんでした。
明日の朝は8時出発、早々にベッドへ~~
朝素晴しい那須山々がばら色に染まって迎えてくれました
今日も、模様です。


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<りんどう湖ロイヤルホテル
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8時宿を出発、那須・マウントジーンズスキー場展望ロープウエイに乗り
山頂展望台に向かう。山すそに紅葉は残っていたがやはり山頂は、
霜が白く残り樹木は葉を落としていました。


紅葉には半月ほど遅かった↓の画像クリックします。
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日光東照宮と鬼怒川ライン下り

2008-11-02 | 旅行
「日光を見ずして結構と言うなかれ」・・・とか
10年一昔というと、五昔前に訪れて今回で2度目結構結構それにしても平日なのに、
紅葉シーズンのせいか、すごい人出です。団体ツアーの旅、
短い時間で、駆け足の見物で「眠り猫」には会えませんでした。
 

 東照宮にて 五重塔

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11石鳥居ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました


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    ↑ソースは、non_nonさよりお借りしました

早朝に家を出て、名古屋→(新幹線)東京(バス)→日光→鬼怒川(ライン下り)
この後またバスに乗り那須温泉のホテルへ秋の日はすっかり暮れて
りんどう湖ロイヤルホテル到着は18時30分過ぎでした。
<鬼怒川ライン下り~1
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那須高原~日光~会津~五色沼~1

2008-11-01 | 旅行
10月29日早朝、ツアー集合場所の名古屋JRへ向かう。心配していたお天気は
無事名古屋7時34分発の「ひかり406・グリーン車」で東京へ~
静岡ちかくなると、もしかしたらとドキドキする。見えました

久しぶりの富士山です。新幹線の窓越しの画像です。アッというまに通り過ぎてしまうので、
ボケてますがボタンクリック願います。

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2泊3日の旅に疲れてしまうなんて情けないですが、写真の整理も手につきません
今夜は富士の画像でやめときます。