昨日、朝5時半に家を出て真っ暗な道をひた走り。
6時開場に少し遅れて到着しました。
毎年カニまつりの日は荒れ模様の天気です。昨日も雨が激しく降ったり小降りになったりとおかしな空模様でした。
でも、そんな中お買得のカニを求めて次々お客が訪れていました。
越前ガニ このくらいで(足から足まで37センチ位)一杯2,3千円と市場よりかなりお得な値段です。もう少し大きい(50センチ位)と7,8千円でしょうか。
その為か県外や大阪辺りからのお客も多く盛況でした。
干しガレイも美味しそう!!
手前のカニがセイコがに(メス)、奥のカニが越前ガニ(オス)です。カニ達はトロ箱で飛ぶように売れていきます。
もちろん、昨晩はカニ三昧の夕食となりました! ご馳走様!!!
天気予報によればここ当分雨模様の日が続くとの事でしたので、曇りの昨日、加賀の鴨池に出かけてみました。
水が残っている湿地にヒシクイ、バン、マガモ、カワウ等が午後の休息を過ごしていました。
風があった為、水面にさざ波が立ち美しい風景を織りなしています。
備え付けの双眼鏡で見る鳥たちの仕草にタップリ癒され、引き上げたのが4時少し過ぎでしたでしょうか。
さあ帰ろうと、車を発進して直ぐ車が変な音を立てているのに気づきました。
何だろうと思いながらも少し走り、車を止められる場所を見つけ外へ出て見たら、右後方のタイヤがパンクしているではありませんか!
辺りは人家も少なく夕闇が迫る中、JAFへ電話しようと携帯を取りだしたところ、間の悪いことに充電切れ間近。
仕方なく、近くのお家へ行き電話を貸して頂こうとお願いしました。
自営で仕事をしていた若い方が、快くご自分の携帯を貸して下さり、JAFへ電話を掛けていたら、若者は自分が修理してあげるから電話を切りなさいと云ってくれました。
その家の番犬が不審者の私に吠える中、彼は手際よくタイヤを取り替えて、どうお礼してよいか判らない私を ”又鴨池に、来てください”と爽やかに送り出してくれました。
タイヤパンクで頭が真っ白になった私でしたが、暖かい気持ちで帰路に就くことが出来ました。
雨上がりの日、三国港迄行ってきました。
三国港
中世、物資の積出港として軍事的にも経済的にも重要性を増した三国湊。 江戸時代には福井藩の保護のもと、さらなる発展をとげました。
蝦夷地からは昆布やニシンといった海産物を、大阪や瀬戸内海沿岸 からは酒や塩、木綿・煙草といった雑貨類の物資を輸送する「北前船交易」がはじまりました。三国はこの北前船の寄港地となり、商人達も廻船経営に力を入れ、町は富み栄えてゆきました。
やがて江戸後期には三国は日本海側有数の北前船の中継基地に発展。 商業の発展は、町人文化・工芸技術をも開花させ、港町は大いに賑わいました。
今は、イカ漁やカニ漁が有名です。
兵庫川が竹田川に合流し、その上、九頭竜川と合流、水量が増した川は川幅を広げ日本海へと注ぎ込みます。
港は海と川の間に作られています。
大小の漁船が係留されています。
海との境に三国温泉ゆらぽーとが建っています。
明日と明後日にこの場所でカニまつりが開かれ、近隣の人達が解禁になった美味しいカニを求めて朝早くから賑わう事でしょう。
あまり高い建物が無いこの辺りでは、東尋坊タワーが良く目立ちます。
三国港
中世、物資の積出港として軍事的にも経済的にも重要性を増した三国湊。 江戸時代には福井藩の保護のもと、さらなる発展をとげました。
蝦夷地からは昆布やニシンといった海産物を、大阪や瀬戸内海沿岸 からは酒や塩、木綿・煙草といった雑貨類の物資を輸送する「北前船交易」がはじまりました。三国はこの北前船の寄港地となり、商人達も廻船経営に力を入れ、町は富み栄えてゆきました。
やがて江戸後期には三国は日本海側有数の北前船の中継基地に発展。 商業の発展は、町人文化・工芸技術をも開花させ、港町は大いに賑わいました。
今は、イカ漁やカニ漁が有名です。
兵庫川が竹田川に合流し、その上、九頭竜川と合流、水量が増した川は川幅を広げ日本海へと注ぎ込みます。
港は海と川の間に作られています。
大小の漁船が係留されています。
海との境に三国温泉ゆらぽーとが建っています。
明日と明後日にこの場所でカニまつりが開かれ、近隣の人達が解禁になった美味しいカニを求めて朝早くから賑わう事でしょう。
あまり高い建物が無いこの辺りでは、東尋坊タワーが良く目立ちます。