☆ザール地方独仏国境付近地図(1870年)
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☆ザールブリュッケン付近地図(1870年)
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☆ザール地方地図(1870年8月5日夕刻)
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ザールブリュッケン西方のスピシュランの丘で観戦する
ナポレオン3世と皇子(19世紀の版画)
中央やや右側に皇帝と皇子が見えます。
☆ミトライユーズ砲
この砲はその外見を見れば一般の大砲と良く似ており、その砲身は青銅製で25本の銃身を持つ。砲の初速はおよそ480m/秒で、最大射程は3,400m、有効射程は1,400から2,000m(フランス軍のカタログでは500から3,000mとあり)で、25発の弾丸は同時に発射され、また弾丸の散布界は大変に狭く、それによって威力は極小される。
その操作法の概略はこうである。
25発の弾丸を1発ずつ挿弾器に差し込み、砲尾の刳割部(こくかつぶ)に差し込み、遊底をその後方にある転把(ハンドル)を回して押しこみ、その頭部を弾底に密着させる。この状態は図「遊底」のaのように発条(バネ式の撃発棒)は安全板(鈑)に遮られ、発射準備状態となり、「引き金」となる側方転把を回転させると発条は外れてbの形となり、弾底を叩いて弾丸を発射する。この時、ほとんど同時に発条が弾底を叩くため、弾丸は25発ほとんど同時に発射されるのである。
(「千八百七十年千八百七十一年独仏戦史」より・ミトライユーズ砲)
※図面は、プロシア参謀本部戦史課 編 日本参謀本部第四部 訳
「千八百七十年千八百七十一年独仏戦史」第1巻附図及び第2巻附図より
また地図に地名を加筆したものです。
なお、「千八百七十年千八百七十一年独仏戦史」はパブリックドメイン状態にあります。
※版画は「La guerre de 1870-71 en images」より。パブリックドメイン状態にあります。
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