RE;BIRTH~リバース

なぜリバースなんですかねw

普仏戦争の将軍たち

2013-10-26 21:31:36 | 普仏戦争


☆フランス陸軍『ライン軍』


司令官 
ルイ・ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン3世)元帥

参謀総長
エドモン・ドゥ・ル・ブーフ大将

第1軍団長
マリー・エドム・パトリス・モーリス・ドゥ・マクマオン
(マク=マオン伯爵及びマジェンタ公爵)大将

第2軍団長
シャルル・オウガスタ・フロッサール中将

第3軍団長
フランソワ・アシル・バゼーヌ大将

第4軍団長
ルイ・ルネ・ポール・ド・ラドミロー中将

第5軍団長
ピエール・ルイ・シャルル・ドゥ・ファイー中将

第6軍団長
フランソワ・セルテーヌ・カンロベル大将

第7軍団長
フェリクス・シャルル・ドゥエー中将

近衛(第8)軍団長
シャルル・ドニ・ブルバキ中将

第1軍団第1師団長
オウガスタ・アレクサンドル・デュクロ少将

第1軍団第2師団長
シャルル・アベル・ドゥエー少将


☆ドイツ(プロイセン)軍


参謀総長
ヘルムート・カール・ベルンハルト
グラーフ(伯爵)・フォン・モルトケ大将

第一軍司令官
カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ大将

第二軍司令官
大公親王 フリードリヒ・カール・ニコラウス
・フォン・プロイセン大将

第三軍司令官
皇太子 フリードリヒ・ヴィルヘルム
・ニコラウス・カール・フォン・プロイセン大将


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プロイセン軍の軍団長
(上段左から右へ・以下下に向かって)

1・第1軍団長
エドウィン・カール・ロチュス・フライヘーア(男爵)
・フォン・マントイフェル大将
2・第2軍団長
エデュアルド・フリードリヒ・カール・フォン・フランセキー大将
3・第3軍団長
レイマー・コンスタンチン・フォン・アルヴェンスレーヴェン中将
4・第4軍団長
ギュスタフ・フォン・アルヴェンスレーヴェン大将
5・第5軍団長
ヒューゴ・エヴァルト・フォン・キルヒバッツ中将
6・第6軍団長
ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・カール・クルト
・フリードリヒ・フォン・ツンプリング大将
7・第7軍団長
ハインリッヒ・アドルフ・フォン・ツァストロウ大将
8・第8軍団長
アウグスト・カール・フリードリヒ・クリスチャン
・フォン・ゲッペン大将
9・第9軍団長
アルベルト・エーレンライク・グスタフ
・フォン・マンシュタイン大将
10・第10軍団長
コンスタンチン・ベルンハルト・フォン
・フォイツ=レッツ大将
11・第11軍団長
フリードリヒ・ジュリアス・ヴィルヘルム
・グラーフ・フォン・ボーズ中将
12・第12軍団長
ザクセン王太子 フリードリヒ・アウグスツ
・アルベルト・フォン・ザクセン大将


プロシア近衛軍団長
大公親王 フリードリヒ・アウグスト・エベルハルト
・フォン・ヴュルテンベルク大将

バイエルン第1軍団長
ルートヴィヒ・ザムゾン・ハインリヒ・アルトゥール
・フォン・ウント・デア・タン=ラートザムハウゼ
ン大将

バイエルン第2軍団長
ヤーコブ・フォン・ハルトマン大将

第三軍参謀長
カール・コンスタンチン・アルブレヒト・レオンハルト
・グラーフ・フォン・ブルーメンタール中将

参謀本部次長
テオフィル・ユージン・アントン・フォン
・ポドビールスキー中将


☆ドゥエー将軍の死

 フランス『ライン軍』第1軍団、マクマオン将軍麾下の第2師団長、シャルル・アベル・ドゥエー少将は
1870年8月4日、普仏戦争最初の本格的戦闘「ヴァイセンブルクの戦い」の最中、自軍砲兵のミトラ
イユーズ砲の砲弾が自爆したことにより戦死しました。
 この戦いから20年後、「アベル・ドゥエーの死は言われている様なものではない」との出所不明の話が
ドイツから飛び出します。
 ドイツの「目撃者」の申し立てによると、フランス軍の退却を命じた将軍は、一人のドイツ側狙撃兵
によって撃たれ死んだ、とのことでした。
 この物語は、恐らくプロイセン皇太子フリードリヒ親王の報告に由来するものです。プロシア第三軍
司令官の皇太子は戦場を進む途中でドゥエー将軍の遺体に出会い、そこは最前線でドイツ側が使用
するドライゼ銃の射程内でした。皇太子は将軍が最前線で指揮中に撃たれたとの印象を持っていました。

 このシーンは後(1888年)にプロイセンの歴史画家アントン・フォン・ウェルナーによって
厳粛な一幅の絵として残されました。



「アベル・ドゥエー将軍の遺体を前に黙祷する皇太子」
アントン・フォン・ウェルナー(1888)

↓小説はこちらから


※これらの画像は全てパブリックドメインの状態にあります。

出典
ナポレオン3世
Wikimedia Commons『Napoleon III. of France』より引用
ル・ブーフ
Wikimedia Commons『Edmond Leboeuf』より引用
バゼーヌ
Wikimedia Commons『BAZAIN~1』より引用
マクマオン
Wikimedia Commons『Macmahon』より引用
フロッサール
Wikimedia Commons『General_Frossard』より引用
ラドミロー
Wikimedia Commons『General_Ladmirault』より引用
ファイー
Wikimedia Commons『General_de_Failly』より引用
カンロベル
Wikimedia Commons『Marschall Canrobert』より引用
フェリクス・ドゥエー
Wikimedia Commons『FELIX_~1』より引用
ブルバキ
Wikimedia Commons『Portrait_Bourbaki』より引用
デュクロ
Wikimedia Commons『Auguste-Alexandre Ducrot』より引用
アベル・ドゥエー
Wikimedia Commons『General_Abel_Douay』より引用
モルトケ
Wikimedia Commons『Moltke-small』より引用
シュタインメッツ
Wikimedia Commons『Karl Friedrich von Steinmetz』より引用
カール・フォン・プロイセン
Wikimedia Commons『Prinz Friedrich Karl von Preusen』より引用
フリードリヒ皇太子
Wikimedia Commons『Friedrich III, Deutscher Kaiser』より引用
プロシア軍団長の将軍たち
Wikimedia Commons『Die_Gartenlaube_(1870)_b_573』より引用
フォン ・ ヴュルテンベルク
Wikimedia Commons『August of Wurttemberg』より引用
フォン・デア・タン
Wikimedia Commons『Die_Gartenlaube_(1870)_b_789』より引用
フォン・ハルトマン
Wikimedia Commons『Die_Gartenlaube_(1871)_b_029』より引用
ブルーメンタール
Wikimedia Commons『Die Gartenlaube (1870) b 607』より引用
ポドビールスキー
Wikimedia Commons『Podbielski, Theophil von』より引用
アベル・ドゥエー将軍の遺体を前に黙祷する皇太子
Wikimedia Commons『German_crown_Prince_Friedrich_Wilhelm_contemplating
_the_corpse_of_
French_general_Abel_Douay,_Franco-Prussian_War,_1870』
より引用




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