RE;BIRTH~リバース

なぜリバースなんですかねw

「ドイツ帝国の誕生」(アントン・フォン・ウェルナー)について

2013-08-31 21:57:19 | 普仏戦争




Die Proklamierung des deutschen Kaiserreiches(1877・Anton von Werner
( Wikimedia Commons〝Die Kaiserproklamation 1871, Gemalde von 1877〟より引用 )


 
Die Proklamierung des deutschen Kaiserreiches(1882・Anton von Werner
( Wikimedia Commons〝Anton_von_Werner-Kaiserproklamation,_zweite_Fassung_1882-1〟より引用 )




Die Proklamierung des deutschen Kaiserreiches(1883・Anton von Werner
( Wikimedia Commons〝Wernerprokla〟より引用 )


「ドイツ帝国の誕生(Die Proklamierung des deutschen Kaiserreiches) 」
第3(フリードリヒスルー)ヴァージョンについて

  左側、壇上中央の白い頬髭がプロイセン国王でドイツ皇帝ヴィルヘルム1世。その右で右手を挙げているのは皇帝の長女ルイーゼ妃の夫バーデン大公フリードリヒ1世。
 皇帝の左側剣を床に突くのがドイツ帝国フリードリヒ皇太子。ほか壇上一番左端、顔だけ見える髭の男性がアドルフ・フリードリヒ (父の代わりに出席したメクレンブルク=シュトレーリッツ大公国皇太子)。その前、白い軍服姿がエルンスト2世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)。その右隣白い髭黒い軍服姿がエルンスト1世(ザクセン=アルテンブルク公)。続いて右に順番にゲオルク・ヴィクトル(ヴァルデック侯)、ハインリッヒ14世(弟系ロイス候)、フリードリヒ皇太子の右後ろがカール1世(ヴュルテンブルク国王)。その右がアドルフ1世ゲオルク (シャウムブルク=リッペ侯)。

 壇の下、中央白い軍服が宰相ビスマルク。その向って右で横向き参謀を示す赤いライン入りズボンの人物が参謀総長モルトケ大将。ビスマルクの向って左が第3軍参謀長レオンハート・フォン・ブルーメンタール中将、その左で将軍を見ているのがバイエルン王国第2軍団司令・男爵ヤコブ・フォン・ハルトマン歩兵大将。そしてその左が「いるはずのない」プロシア陸軍大臣のローン。

 この「ドイツ帝国の誕生(Die Proklamierung des deutschen Kaiserreiches) 」にはこのように3つのヴァージョンがあります。
 最初は1877年に完成、3月22日、皇帝ヴィルヘルム1世の80歳の誕生日を記念してベルリン宮殿に飾られました。これは現存する第3ヴァージョンと大きく違い、皇帝の立つ壇上を斜め左からやや俯瞰する形に描かれています。皇帝が壇上に呼び上げた帝国の構成国主たちがはっきりと描かれており、壇の下の臣下、軍人たちを後ろから見る形となり、ビスマルクやモルトケも目立ちません。また、ビスマルクは史実通り青い軍服姿で描かれています。この絵は1945年の第2次大戦末期に爆撃により焼失してしまいました。

 2番目のヴァージョンは1882年、下院の壁画として描かれました。このヴァージョンから視点が左真横から見る形となり、ビスマルクが史実と違う白い軍服となります。また、1884年に授与されたプール・ル・メリット大十字章を付けています。この絵も1944年、爆撃により失われています。

 3番目、最後のヴァージョンは1885年3月1日、ビスマルク70歳の誕生日に贈られました。これは現在、ハンブルク東郊のフリードリヒスルーにあるビスマルク博物館に収められています。
 この絵では、2番目のヴァージョンに比べ、壇上の諸候たちが更に少なく描かれ、壇の下、ビスマルクの向かって左側で握手していたブルーメンタール、ハルトマン両将軍も握手をしていません。そして一番違うのはこの式典時(1871年1月18日)にはベルリンで留守番をしていた陸相のローンが描かれていることでした。

 これらの絵は全てプロパガンダに絡んだ史実とは違う修正が施されており、また、贈られた人物や場所に相応しい配慮が加えられたと言えそうです。あのナポレオンの戴冠式を描いたダヴィッドも出席していない人物を描く(ナポレオンの母レティツィアなど)など、20世紀に入り写真が発達するまで、絵画は政治と切り離せないものがありました。




「ヴィルヘルム1世のベッド」  Sterbebett Kaiser Willhelms Ⅰ.1888
(1898・Anton von Werner )
( Wikimedia Commons〝WilhelmITotenbett〟より引用 )

「ヴィルヘルム一世の崩御」を描いたアントン・フォン・ウェルナーの絵画です。

「 ウェルナーという画家はいわゆる宮廷御用画家で、十九世紀後半、プロシアの歴史上に残る場面を切り取る形で王族や軍人を描いています。現在、プロシアの歴史的事件を調べると、必ずと言って良いほど「ドイツ帝国の成立」や「ヴェルサイユでの司令部」などを彼の写実的絵画で生き生きと見る事が出来ます。

 中でも私はドイツ帝国初代皇帝ヴィルヘルム一世の臨終を描いたこの絵画が好きです。
 画面右のベッドの上に半身を起しうつ向く皇帝。その横から皇帝の顔を覗き込む孫(後の第三代ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世)。反対側には医師がいて懐中時計を見ている。「ご臨終です」と言っているのでしょう。
 ベッドの足元にうなだれて立つのは皇帝の孫娘ヴィクトリア(スウェーデン王妃)とその父バーデン大公のフリードリヒ公。このフリードリヒ公の肩に顔を伏せている黒服の女性が見えますが顔は分かりませんけれど間違いなくバーデン大公妃で皇帝ヴィルヘルム一世の長女ルイーゼ妃でしょう。
 そしてその後ろ、やや離れて二人の人物が立っています。
 一人はビスマルク。厳めしい顔もどこか悲しげです。そしてそのビスマルクに肩を抱かれてうなだれる端正な顔立ちの軍人。目を閉じて、神に皇帝の心安らかなることを祈っている様に見える彼が時の参謀総長、大モルトケです。  」 (拙作・プロシア参謀本部~モルトケの功罪より)

※掲載の画像は全てパブリックドメイン状態の画像を使用しています。



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