朝7時に起床する事からL.Aでの毎日は始まる。ジンコと共にみんなの分の朝食を拵え(多分この時期の経験によって僕の料理欲が高まったのだと思う)その後、テリーはプールで肺活量を養うトレーニング。キヨミは寝巻きのまま朝からギター抱えて運指のトレーニング、僕は再びカズさんとロケハン。・・・ボスはTVで大リーグ観戦。のどかな午前中を過ごし午後からスタジオ入り。深夜までセッション。真夜中アパートメントに帰り、それからキヨミと僕は酒盛り。歩いてすぐの所に深夜まで営業している寿司屋があった。そこのおかみさんがいかにも在米二世的な美人で、キヨミと僕はとてもやさしくしてもらった。今なら殆ど食べないが、初めてカリフォルニアロールなるものを食べた時には正直美味さに感動してしまった。そんな平穏でルーティンな日々がしばらく続いた。
レコーディングの第一段階が終了した隙間のある日、ボスに命じられた。
「ケンジ、『パツキン』の『パイオツ』ドッカーンとした女買ってこい」
当時のサンセットストリートは日が沈むころ、ハリウッドドライブと交差するあたりの両側200メートル程にずらっずらっとコールガールが並ぶのだ。これ以上ないほどタイトなワンピースミニに身体を押し込んだ「黒白抹茶小豆コーヒー柚子桜」のプレイボーイから抜け出たようなグラビア娘がわんさか。今は規制で禁止になり久しいが、当時のハリウッドではひとつの観光名所みたいなもので、それはそれは壮観だった。よくキヨミとボスと三人でゆっくりと車を走らせながら品定めしたものだ。
「ボス、本気です?」
「あたりまえだよ、早くしろ」
その日テリーとジンコはサウンドエンジニアのレナードの家のパーティに招かれ、おそらく深更まで帰ってこないだろう。確かに今日この日しか楽しみはないな。
「ボス、後で好みで文句言わないでくださいよね」
そう言いつつキヨミとハリウッドに繰り出した。時間も早くお茶挽いてるアメリカン娘達がしきりに色目を仕掛けてくる。しかし、まだまだ円安の日本、東洋人相手にしてくれるコールガールなんかいやしない。しかもショート(一時間)で200ドル・・・当時の日本円では48000円!チップを入れると一人頭55000円。三人で・・・おいおい165000円也だ。そんなお金持ってないし。ボスに言い訳したいが当然携帯電話なんてない。確認も出来ずすごすごと帰ってきた。しかしボスは既に臨戦態勢だったらしく、手ぶらで帰ってきた僕らにめちゃくちゃ当たりだしたのだ。ただしギターのキヨミはアーティストなので例外。僕だけプールに投げ込まれ、 なんと、L.Aに来てすぐに買い求めたモノホンの拳銃「ワルサーPPK」で乱射し始めたのだよ。・・・まあもちろん当たらないようにだけど、単なるおふざけなんだろうけどね。そうは言ってもびびりまくったわ。
アパートメントの2階にはユダヤ系の女の子、ロンダが暮らしていた。やせ形で顔が小さく、瞳の色は薄い茶色で、鼻筋が奇麗で唇は薄かった。バストの形も素敵だった。しかし彼女は生まれつき足が悪く、車椅子に乗って生活していた。エレベーターに乗るときなど、我々紳士な日本男児はなにくれとなく親切に接したものだ。彼女は毎日プールサイドにやってきては足を使わずに水泳をしていた。障害者の水泳大会にもたくさん出場し優勝したこともあると言っていた。だから上半身の筋肉は素晴らしかった。やがて我々は彼女と親しくなり、レコーディングがない日や早く終わった日はしょっちゅう夕食を共にした。そして僕は彼女に惚れた。プールサイドで慣れない英語を操ってはたくさん会話を交した。部屋にも遊びに行った。彼女は当時カリフォルニア州や支援団体からの障害者に対する補助金で生活していた。しかし、それだけでは最低の生活しかできないので、副業として「マリファナ」「コカイン」の売人をしていた。部屋の半分に栽培用のプランターがあり、1.5メートル近くに育った大麻が生い茂っていた。当然これは犯罪である。が、しかし今もだが、カリフォルニア州は大麻の個人栽培には寛容で、外で売買でもしないかぎり捕まることはないらしい。これは今では更に緩くシスコでは不眠症の患者や鬱病の患者には医者が処方する事が最近許可されている。まあ、大統領が就寝前に吸引している国だからね。ただし、コカインは御法度だ。勿論所持しているだけで即逮捕。結局はコロムビアやブラジルなどにドルが流出することが許せないのだろう。だから誰にでも栽培できちゃうような大麻にはめくじら立てていないのだろう。
さて、25年も昔の、それも外国の話だから書いちゃうけれども、ロンダが扱うマリファナはおそらくとても上質なものだった。彼女の家にいると頻繁に顧客がやってきた。殆どがアパートメントの住人達だ。若い女の子も男の子もいれば初老の夫婦も買い求めにくる。まるで、田舎から送られてきた無農薬野菜を個人販売しているがごとくに。
当然、僕も何度もロンダの御相伴にあずかった。しかも毎回御馳走してくれた。特に食事の前は必ず何服か回し飲みする。すると、舌の味覚がとても鋭敏になって、何を食べても素晴らしく美味しいのだ。ロンダはユダヤ系ではあるがユダヤ教徒ではないらしく、禁忌の食物は無いらしい。牛でも豚でも料理してくれた。特にシーフードが得意で巨大なロブスターや、エビ、イカ、ムール貝、ハマグリなどをたっぷりと買い込んでくる。味付けは簡単で、オリーブオイルにニンニクで全部何もかも白ワインで蒸すだけ。食べる前にしこたまライムを絞るのだ。しかし、これが馬鹿にウマイ。マリファナのせいもあるのだろうが、物も言わずに食べ続け、残った汁まで啜ったものだ。
ロンダはキスがとても上手だった。キスだけで・・・ちゃうくらいに。
僕はてっきりロンダと付き合っていたつもりだったのが、それは子供の勘違いというものだった。
ある晩、全員が寝静まった頃、そっとベッドルームから脱けだす影一つ。ボスだ。部屋着から外出用に着替え、帽子も被り、そっと玄関の扉を開け外に出ていった。こんな時間に一体ボスはどこに行くのだろうか・・・気になり、静かに玄関を少しだけ開き、外を窺ってみた。すると、エレベーターホールにボスが佇んでいた。そして、昇りの箱に消えた。ここは1階だ。アパートの外に出るのにエレベーターは必要ない。地下にはコインランドリーがあるだけだ。エレベーターの回数表示の灯を見つめていると二階に止まった。間違いなくロンダの部屋に行ったのだ。確かに僕は彼女とキスは交した。が、それ以上の行為には進む事が出来ずにいた。下半身が動かなくても行為は出来るのだろうか、それは相手に対して失礼な事ではないのだろうかと。そう思っていた、と言いたいところだが、若干20歳、そんな細やかな心遣いなどあるわけもない。拒絶され、ロンダとの幸せな時間が失われる事が恐かったのだ。寝られない僕は窓の外が明るくなるまで何度も寝返りをうちながらボスのベッドを見つめていた。そして、朝方出ていった時と同様にそっとボスは帰ってきて、寝床にくるまった。僕はその時嫉妬の嵐だった。ボスのベッドのサイドボードの引き出しの中には「ワルサーPPK」が入っている。ボスが寝静まったのを窺い、僕はそっとベッドから抜け出し、サイドテーブルの抽き出しを開けた。そこにはシルバーに光る拳銃が。そっと取りだしグリップを握りしめる。第二次世界大戦当時、ドイツのゲシュタポが使用していた名銃だ。弾倉には7発の弾が込められているはずだ。僕は安全装置を外し、静かにスライドし初弾をチェンバーに送り込む。そしてボスの頭に向けて「ドンッ!」
そんな夢を見ていたらキヨミに起こされた。いやはや寝取られた、っつーかボスにはどうしたってかなわん。その後もロンダとはうまくやっていたが、二度とキスはしなかった。ウブだったのだ。今なら考えられんな。
キヨミもやたらともてていた。プールサイドで寝ていると、超美形スタイル抜群がにじり寄ってくる。そしてキヨミの胸を触りながら懇願するように言うのだ「キヨーミ、あなたの乳首にこのピアスを刺させて欲しいのよ」しかし、キヨミにとって残念だったのは相手がゲイだった事だ。最初は判らなかったがプールサイドに
男性二人でやってくる光景を見る事が多かった。このウエストサイドはゲイがやたらと多い地区だったのだ。手を繋ぎながら歩く男性カップルがやたらと眼についた。しかしそういう連中に限ってメチャクチャ美形なのだ。この頃、まだエイズは発見されていない。西海岸はゲイのパラダイスだった。
レコーディングの第一段階が終了した隙間のある日、ボスに命じられた。
「ケンジ、『パツキン』の『パイオツ』ドッカーンとした女買ってこい」
当時のサンセットストリートは日が沈むころ、ハリウッドドライブと交差するあたりの両側200メートル程にずらっずらっとコールガールが並ぶのだ。これ以上ないほどタイトなワンピースミニに身体を押し込んだ「黒白抹茶小豆コーヒー柚子桜」のプレイボーイから抜け出たようなグラビア娘がわんさか。今は規制で禁止になり久しいが、当時のハリウッドではひとつの観光名所みたいなもので、それはそれは壮観だった。よくキヨミとボスと三人でゆっくりと車を走らせながら品定めしたものだ。
「ボス、本気です?」
「あたりまえだよ、早くしろ」
その日テリーとジンコはサウンドエンジニアのレナードの家のパーティに招かれ、おそらく深更まで帰ってこないだろう。確かに今日この日しか楽しみはないな。
「ボス、後で好みで文句言わないでくださいよね」
そう言いつつキヨミとハリウッドに繰り出した。時間も早くお茶挽いてるアメリカン娘達がしきりに色目を仕掛けてくる。しかし、まだまだ円安の日本、東洋人相手にしてくれるコールガールなんかいやしない。しかもショート(一時間)で200ドル・・・当時の日本円では48000円!チップを入れると一人頭55000円。三人で・・・おいおい165000円也だ。そんなお金持ってないし。ボスに言い訳したいが当然携帯電話なんてない。確認も出来ずすごすごと帰ってきた。しかしボスは既に臨戦態勢だったらしく、手ぶらで帰ってきた僕らにめちゃくちゃ当たりだしたのだ。ただしギターのキヨミはアーティストなので例外。僕だけプールに投げ込まれ、 なんと、L.Aに来てすぐに買い求めたモノホンの拳銃「ワルサーPPK」で乱射し始めたのだよ。・・・まあもちろん当たらないようにだけど、単なるおふざけなんだろうけどね。そうは言ってもびびりまくったわ。
アパートメントの2階にはユダヤ系の女の子、ロンダが暮らしていた。やせ形で顔が小さく、瞳の色は薄い茶色で、鼻筋が奇麗で唇は薄かった。バストの形も素敵だった。しかし彼女は生まれつき足が悪く、車椅子に乗って生活していた。エレベーターに乗るときなど、我々紳士な日本男児はなにくれとなく親切に接したものだ。彼女は毎日プールサイドにやってきては足を使わずに水泳をしていた。障害者の水泳大会にもたくさん出場し優勝したこともあると言っていた。だから上半身の筋肉は素晴らしかった。やがて我々は彼女と親しくなり、レコーディングがない日や早く終わった日はしょっちゅう夕食を共にした。そして僕は彼女に惚れた。プールサイドで慣れない英語を操ってはたくさん会話を交した。部屋にも遊びに行った。彼女は当時カリフォルニア州や支援団体からの障害者に対する補助金で生活していた。しかし、それだけでは最低の生活しかできないので、副業として「マリファナ」「コカイン」の売人をしていた。部屋の半分に栽培用のプランターがあり、1.5メートル近くに育った大麻が生い茂っていた。当然これは犯罪である。が、しかし今もだが、カリフォルニア州は大麻の個人栽培には寛容で、外で売買でもしないかぎり捕まることはないらしい。これは今では更に緩くシスコでは不眠症の患者や鬱病の患者には医者が処方する事が最近許可されている。まあ、大統領が就寝前に吸引している国だからね。ただし、コカインは御法度だ。勿論所持しているだけで即逮捕。結局はコロムビアやブラジルなどにドルが流出することが許せないのだろう。だから誰にでも栽培できちゃうような大麻にはめくじら立てていないのだろう。
さて、25年も昔の、それも外国の話だから書いちゃうけれども、ロンダが扱うマリファナはおそらくとても上質なものだった。彼女の家にいると頻繁に顧客がやってきた。殆どがアパートメントの住人達だ。若い女の子も男の子もいれば初老の夫婦も買い求めにくる。まるで、田舎から送られてきた無農薬野菜を個人販売しているがごとくに。
当然、僕も何度もロンダの御相伴にあずかった。しかも毎回御馳走してくれた。特に食事の前は必ず何服か回し飲みする。すると、舌の味覚がとても鋭敏になって、何を食べても素晴らしく美味しいのだ。ロンダはユダヤ系ではあるがユダヤ教徒ではないらしく、禁忌の食物は無いらしい。牛でも豚でも料理してくれた。特にシーフードが得意で巨大なロブスターや、エビ、イカ、ムール貝、ハマグリなどをたっぷりと買い込んでくる。味付けは簡単で、オリーブオイルにニンニクで全部何もかも白ワインで蒸すだけ。食べる前にしこたまライムを絞るのだ。しかし、これが馬鹿にウマイ。マリファナのせいもあるのだろうが、物も言わずに食べ続け、残った汁まで啜ったものだ。
ロンダはキスがとても上手だった。キスだけで・・・ちゃうくらいに。
僕はてっきりロンダと付き合っていたつもりだったのが、それは子供の勘違いというものだった。
ある晩、全員が寝静まった頃、そっとベッドルームから脱けだす影一つ。ボスだ。部屋着から外出用に着替え、帽子も被り、そっと玄関の扉を開け外に出ていった。こんな時間に一体ボスはどこに行くのだろうか・・・気になり、静かに玄関を少しだけ開き、外を窺ってみた。すると、エレベーターホールにボスが佇んでいた。そして、昇りの箱に消えた。ここは1階だ。アパートの外に出るのにエレベーターは必要ない。地下にはコインランドリーがあるだけだ。エレベーターの回数表示の灯を見つめていると二階に止まった。間違いなくロンダの部屋に行ったのだ。確かに僕は彼女とキスは交した。が、それ以上の行為には進む事が出来ずにいた。下半身が動かなくても行為は出来るのだろうか、それは相手に対して失礼な事ではないのだろうかと。そう思っていた、と言いたいところだが、若干20歳、そんな細やかな心遣いなどあるわけもない。拒絶され、ロンダとの幸せな時間が失われる事が恐かったのだ。寝られない僕は窓の外が明るくなるまで何度も寝返りをうちながらボスのベッドを見つめていた。そして、朝方出ていった時と同様にそっとボスは帰ってきて、寝床にくるまった。僕はその時嫉妬の嵐だった。ボスのベッドのサイドボードの引き出しの中には「ワルサーPPK」が入っている。ボスが寝静まったのを窺い、僕はそっとベッドから抜け出し、サイドテーブルの抽き出しを開けた。そこにはシルバーに光る拳銃が。そっと取りだしグリップを握りしめる。第二次世界大戦当時、ドイツのゲシュタポが使用していた名銃だ。弾倉には7発の弾が込められているはずだ。僕は安全装置を外し、静かにスライドし初弾をチェンバーに送り込む。そしてボスの頭に向けて「ドンッ!」
そんな夢を見ていたらキヨミに起こされた。いやはや寝取られた、っつーかボスにはどうしたってかなわん。その後もロンダとはうまくやっていたが、二度とキスはしなかった。ウブだったのだ。今なら考えられんな。
キヨミもやたらともてていた。プールサイドで寝ていると、超美形スタイル抜群がにじり寄ってくる。そしてキヨミの胸を触りながら懇願するように言うのだ「キヨーミ、あなたの乳首にこのピアスを刺させて欲しいのよ」しかし、キヨミにとって残念だったのは相手がゲイだった事だ。最初は判らなかったがプールサイドに
男性二人でやってくる光景を見る事が多かった。このウエストサイドはゲイがやたらと多い地区だったのだ。手を繋ぎながら歩く男性カップルがやたらと眼についた。しかしそういう連中に限ってメチャクチャ美形なのだ。この頃、まだエイズは発見されていない。西海岸はゲイのパラダイスだった。