ジーケン・オイラー 日々是プロデュース日記

音楽・CM業界に携わり20数年。現在、音楽以外にも多数日々プロデュース中。

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お盆まっただ中

2007-08-14 16:39:31 | Weblog
暑い。八月に入ってからずっと30度越えの真夏日だ。このクソ暑い、しかもお盆の真っ最中に仕事をしなければならないのは、CM音楽屋の宿命みたいなものだ。クライアント様達や代理店様達はこの盆時期例外なくバカンス。毎年休み前に制作チームは問答無用で召集されられる。そして新商品や新企画のオリエンテーションが行なわれるのだ。制作物、企画物の提出は大体お盆明け。毎年恒例の行事。
映像プロダクションと音楽プロダクションにお盆という習慣ははないのだね。だから我々は先祖に祟られその生涯は短命と決まっている。
しかし、ミュージシャン達までもがこの時期、優雅にバカンスを取るのは納得いかんね。しかも連絡が容易に取れない海外に逃げる。ウイーンだとかオーストリアだとか。特にクラシック系のヤツらに多い。けっチキショー、何がバカンスだ。何がヨーロッパだ。自分達をセレブだとでも勘違いしてんじゃねーのか?しょせん弾いてなんぼの日雇い労働者だろうが。俺だってなあガキの時分にゃ、バイオリンのお稽古してたんだぞ。構えるくらいなら今でも出来るぜ。ってまったくもって自慢にもならなけりゃ役にも立ちゃしない。そんなわけでレコーディングするにもこの時期はミュージシャンが激減するのだ。で、そういう時に限って編成のでかいオーケストラものを要求されたりするのだ。
その年の夏も例年のようにお盆のど真ん中にレコーディングをする羽目になった。
とりあえず片っ端からインぺグ(ミュージシャン手配業者)に電話して、説得してもらい、ギャラ上乗せして、ギリギリなんとか頭数だけは揃えた。スタジオはVictor青山の401stだ。SMAPと遭遇する確率の高いスタジオである。都内では近頃オーケストラをレコーディング出来るスタジオが減っちまった。このVictor401stか、早稲田のアバコスタジオくらいなものだ。
急遽田舎から帰省してくれたり、他の仕事のスケジュールとの時間調整で、全てのミュージシャンが揃ったのは夜の八時だった。6×4×2×2×1という中編成。つまりファーストバイオリン6人セカンドバイオリン4人ビオラ2人チェロ2人コントラバス1人という構成である。この時間から開始したのではどう頑張ってもトラックダウン終了は12時を過ぎるだろう。しかもこの日のオーケストラは頭数揃える為に大学卒業したてのネェちゃんやニィちゃんがかなり混じっている急ごしらえの玉石混交オケだ。いやはや気が重い。クライアントは某家電メーカー。無論誰も立ち会わず。映像組は現在この時間ポスプロで編集の真っ最中。こちらの完成時間に合わせて最終チェックに監督が来る予定。
さて、全員のチューニングが終わり、何度か練習しテイクを重ねた。案の定ファーストバイオリンとセカンドバイオリンのアンサンブルが悪い。なかなか合わない音にバイオリントップのリーダーの口調もしらず厳しくなってきた。今日のリーダーは篠崎正嗣さん、通称マサさん。篠崎バイオリンの御曹子だ。
コントロールルームでアレンジャーの博也さんとじりじりしながらスタジオの中を窺っていた。そして、トークバックを通してマサさんに言った。
「とりあえず一度録音してみましょう」
一瞬の静寂の後、あらかじめテープに録音されたクリック音が流れ出す。八つのカウントの後、ファーストバイオリンから始まり、セカンドバイオリンが対メロで絡む。チェロとビオラはピチカート、その後バイオリンの掛け上がりと共にフォルテッシモで全体がテーマを弾く・・・筈だったのだがまるで砂の城が崩れていくように演奏はなし崩しに止まってしまった。下を向いてスコアを眼で追っていた僕は、やれやれとばかりにガラス越しのスタジオの中に視線を動かした。その一瞬後、正面のモニタースピーカーから女性の悲鳴が飛び込んで来た。スタジオの中を見ると、セカンドバイオリンの女性奏者数名とビオラ奏者がパニック状態になっていた。ファーストの連中やチェロやコンバスの連中は何が起きたのか判らず呆然としていた。僕にも何が起きたのか全く判らない。すると、スタジオアシスタントがトークバックを押し、云った。
「出ましたかー」やけにのんびりした声だ。リーダーのマサさんは悲鳴を上げた女性達の視線を追い、右斜め上空を見ながら応えた。
「ああ、なるほどね、また出たんだ。でも今はいないよ」
「・・・・??????んっ?なに?」
再びアシスタントが尋ねた。
「子供でしたか?」
セカンドの若い女性奏者が無言で頷く。この辺りでようやく僕にも理解出来た。僕はトークバックを押しながら言った。
「えーと、10分休憩します」
スタジオ内に入り、セカンドバイオリンとビオラ奏者に「その時」の状況を尋ねた。
弦楽のオーケストラは、向かって左から右にファーストバイオリン、セカンドバイオリン、ビオラ、チェロ、その後ろにコントラバスといった形で配置される。ステージとは違い真横に並ぶのではなく、スタジオのセンターを中心に扇形に並ぶのだ。センターにはクレーンのように長いアームスタンドが放射状に広がり、演奏者達の1メートル上空にマイクがセッティングされる。
どうやらファーストバイオリンの後方上空、セカンドバイオリンとビオラからは正面に位置する場所に「それ」は出現した模様だ。リーダーのマサさんは何度もこのスタジオを利用しているのでこの現象は初めてでは無いのか、至極冷静に対処していた。もっともマサさんはいつも冷静で物腰も上品な人ではあった。スタジオアシスタントは何度も目撃しているからごくごく当たり前の出来事として黙々と作業を続けていた。
実はビクター青山スタジオの隣には千駄ヶ谷トンネルが走っている。そして、トンネルの上は墓地である。東京オリンピックの急ピッチな造成工事の時にこの墓地を移動させず、その下にトンネルを掘ってしまった事が原因なのか、ここは都内でも有名な幽霊スポットとして知られていた。401スタジオの位置はこの墓地と同じ高さに隣接していた。
そして、この401スタジオには寂しがりやの霊が夜な夜な集まってくるらしく、目撃者は多い。ミュージシャンの間では有名な話だった。子供であったり男の子と女の子が手を繋いでいたりとか、モンペを穿いた老婆であったり、東京大空襲で亡くなった女性だとか、目撃情報は様々である。まあとにかく出るのだ。しかも時期はまさにお盆。
今日の聴衆はどうやら子供、2才か3才くらいのおかっぱ頭のちいさな女の子だったとビオラ奏者は言う。スタジオの上部には学校の体育館でよく見られるキャットウオークの様な狭い通路があり手すりが付いている。どうやら女の子はしゃがんだ格好でその手すりの隙間からスタジオを見下ろしていたようだ。同じ向きでもチェロやコントラバスは演奏中視線は下向きになるから気付かなかったようだが、セカンドバイオリン、ビオラは否が応にも視線に入ってしまったのだろう。その場所を見上げてみたが今は何もいない。
このスタジオはビクターの学芸部が使用する事もある。だから少年少女合唱団も出入りする。しかし既に9時過ぎだ。保護者も無しに幼児が一人でいるわけがない。
やはり「出た」のだろう。
休憩の最中、僕はトイレに行った。小便用の便器に向かい視線を上げた。開いた窓の向こうには墓地が広がっていた。視線の先、ススキの向こうに何本もの卒塔婆が見える。
・・・こんなに近けりゃそりゃ出るよな・・・
ズボンのチャックをあげながら頭の中にふとメロディが流れた。誰もが知っている童謡だ。なぜいきなりこのメロディが浮かんだのか不思議だった。手を洗いそのメロディを口ずさみながらスタジオに戻った。アシスタントがスタジオの四隅に四角い紙を置き、その上に塩を盛っていた。「出た」時のしきたり、というかミュージシャンに対する気休めだろう。徐々に平穏を取り戻したスタジオ内は各々のパートが練習を再開していた。その間を縫うように歩き、若手奏者に何度もフレーズの練習をさせているリーダーのマサさんに話し掛けた。単なる思い付きにしか過ぎないのだが、なんとなく釈然としない僕はとりあえずその思いつきを投げかけてみた。
「多分それなら簡単に出来ると思うけど・・・」リーダーは腕時計を見た。ミュージシャンの拘束単位は2時間が1セットだ。10時を過ぎると2セットになってしまう。お互いにそれは避けたい。この人数だと軽く30万近い金額がオーバー料金になってしまう。
「アンサンブル無しで全員ユニゾンでいいですよ、コンバスはいらないし」僕は言った。こんな事にこだわっている余裕はないのだが、何故かそれをやらなければ今宵のセッションが終わらない気がしたのだ。
「わかりました。録音はしないですよね?」
「ええ、録音しても使い道ないし、まあ、お祓いだと思ってください」
「五分だけ時間をください」
マサさんはそう言うと鞄から五線紙を取り出し、書き込み始めた。それを次々にセカンドバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスに渡した。即興でアレンジを施してくれたらしい。
それを見届け僕はコントロールルームに戻った。チーフエンジニアとアレンジャーに、これから行なう事を伝えた。アレンジャーの博也さんは自分の書いた作品がスムーズに進まない事で少々ナーバスになっていた。しかも彼はガチガチの無神論者だった。
「くだらないけど、ケンジがやりたいんだったらやれば。俺は外で寝てるわ」
呆れながらコントロールルームから出て行った。
「ふむ、確かにくだらないな。なんでやらなきゃいかんのか俺にもわからん」
独りごちつつ、ディレクターチェアに座った。
スタジオではリーダーがメンバーに説明していた。若い女性奏者達は本番の仕事よりも神妙な面持ちでしきりに頷いていた。
「えっと、鈴木さん、じゃちょっとやってみます。テンポはこのくらいでいいかな」
そう言うとマサさんは弓の先で譜面台をこつこつと叩いた。
「はい、いいです。そんな感じで。じゃ、お願いします。こちらはインプットだけで録音はしませんので」と返した。
そして、マサさんが口でカウントを取り、静かにメロディが流れ始めた。
・・・しゃぼん玉 とんだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた・・・
童謡「しゃぼん玉」のメロディである。1コーラスで終わるかと思ったらその後マサさんのソロが始まった。そして、2コーラス目に入りセカンドバイオリンが対メロを奏で、ビオラが追い掛け、チェロが下の方で裏メロを奏でる。先ほどまでとは違い見事なアンサンブルだ。心に沁みる演奏に僕はしばし感動に浸っていた。こんなに綺麗なメロディだったのだと再認識した。
・・・しゃぼん玉 きえた とばずに消えた うまれてすぐに こわれて消えた・・・風 風 吹くな しゃぼん玉 とばそ・・・・
最後のメロディを一小節伸ばし静かに静かに演奏は終わった。しばらく誰も身動きしない。コントロールルームもしーんと静まり返っていた。
その直後である。何人もの演奏者達、特に女性奏者達が泣き始めたのだ。弓を構えたまま嗚咽をもらす。そして感極まった一人が構えていたバイオリンを胸に抱きしめながら泣き崩れた。
「そちらでも聴こえましたか?」
マサさんがコントロールルームに向かって言った。
「ええ、もちろん、録音はしませんでしたが、インプットにしていたので・・・」
「いえ、そうじゃなく、演奏が終わった後の・・・その・・・声なんですけど」
・・・声?
「あの、泣き声ですか?」
僕は問い直した。マサさんはオーケストラのメンバー達に向かって尋ねた。
「えーと、録音してないからイヤホンしてなかった人もいたと思うんだけれど、イヤホンしていた人達、聴こえた?」
泣いていた若い女性バイオリン奏者がしゃくり上げながら答えた。
「きこえました・・・女の子が・・・ありがとう・・・って」

今ならば録音ボタンを押さずともハードディスクに記録は残るのだが、この時代はまだテープに録音されていた。Recボタンを押さない限り録音はされない。目の前のモニタースピーカーからは演奏と奏者達の啜り泣く声以外はなにも聴こえなかった。

しゃぼん玉という曲は中山晋平作曲、野口雨情作詩による作品だ。この作品にはあるエピソードが隠されている。雨情の演奏旅行中に愛娘が疫痢の為亡くなった。雨情の悲しい親心がこの作品には込められているという。わずか二歳でこの世を去った野口雨情の娘。

千駄ヶ谷墓地には「野口」という名前の古い墓が一つだけある。
小さなお地蔵さまがその横に寄り添うように置かれている。

今から10年以上も昔の或る夏の夜の出来事。








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1 コメント

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Unknown (うつり)
2007-08-15 22:51:41
めっちゃ泣けました。

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