ジーケン・オイラー 日々是プロデュース日記

音楽・CM業界に携わり20数年。現在、音楽以外にも多数日々プロデュース中。

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渡米レコーディング編

2006-05-19 20:14:05 | Weblog
 翌日目覚めると紛れもなくここはL.Aだった。昨夜の記憶が曖昧だ。おそらく朝方みんなと一緒にここに帰ってきたのだろう。住居はホテルではなくアパートメントだった。滞在三ヶ月だからね。ボスとテリーと、渡米前にバンドに引っ張り込んだ高校時代の同級生だったギタリストの本田清巳、それからテリーの付き人として入ったジンコ(本名忘れたが、この娘はテリーの熱烈なファンだったのを釣り上げた)以上五人の共同生活。アパートメントは2ベッドルーム2バスルームと20畳近いリビングにキッチン。建物の1階に位置し(アメリカでは1階は安い。セキュリティが不安だからだろう)リビングの窓を開けると、目の前はプール。そのままどぷーんと飛び込めるようなシチュエーション。アパートメントの場所はビバリーヒルズの近くでウエストハリウッドのラ・ブレアアベニュー沿いというまあ中級の上の街。サンセットストリートから1ブロック北に上がった所でサンセットストリートの角にはタワーレコードがありラ・ブレアアベニュー挟んで反対側に「Whisky a go!go!」があった。L.Aで当時一番大きなライブハウス「ROXY」もサンセットストリートを五分ほど歩いた所にある。とにかく音楽生活従事者には最高の環境だった。プールサイドにはブーゲンビリアが咲き乱れ、初めて見るハチドリが羽ばたきながらハイビスカスの花弁に口吻を差し込む。・・・嗚呼まさにここはウエストコースト・・・らららー。頭の中では「カリフォルニアの青い空」が大パワープッシュ状態。何もかもが輝いて見えた。巨大スーパーマーケットに行くと生鮮売り場には巨大なステーキ肉や丸ごとのターキーや豚の塊肉、サーモンの輪切り、ナマズのような魚、山に積まれたオレンジ、葡萄、スイカにメロンにトマト・・・それとピザやラザニアなどの冷凍食品の数々。ウエルチの巨大ボトルに数種類のジンジャーエール。初めて味わう濃縮果汁還元ではない100パーセントオレンジジュースのフレッシュさ。今じゃカルフールだの紀伊国屋だのコストコだのがあるからこの国でも普通の情景だけれども、その当時の日本の寄り合いスーパーマーケットとは大違いだった(個人的にはその頃の昔の日本の商店街が好きだけれども)
 街中を走っているのは、ついさっき爆撃でも受けたようなボロボロのアメ車(フロントガラスがないだとか、助手席側の扉が無いのは当たり前)ストリートの両側に聳えるFM局やタバコの巨大ビルボード、どこを向いてもアメリカ人(今思えばメキシコ人もたくさん居たはず)そして暑いのにさらさら乾燥している風。何と言ってもイーグルス「ホテルカリフォルニア」のジャケットに使われた「ピンク・パレス」を見たときは「おーい、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ他、みんな元気かー、風邪ひいてねーかー」友達でもないし、会った事もないし、身体気遣われても知らないふりされるだけなのに、なんかこの同じ時間に同じ空気を吸っているんじゃないか、と想像するだけで興奮してしまったものよ。
 いやはや、この頃が一番楽しかったね。その後にまたもやとんでもなく翻弄されちゃうドラマが待ち受けていることも知らずにただただ僕ははしゃぎまくっていた。つかの間の娯楽だ。まっそれはおいおい書き連ねるとして。
 すぐに親しくなったのは現地在住のカメラマンのカズさん。「デビッド・リンドレイ」の「Win This Record」のジャケを撮影した人。「デビッド・リンドレイ」は知る人ぞ知る。知らない興味ない関係ないうざいきもい人には全く縁のないアーティスト。なにせ日本ではこのアルバムタイトル「化け物」だったし。当時のカズさんはまだ20代後半。テリーのジャケ写もこの人が担当する事になっていたので、ロケハンと称して色々な所に連れて行ってもらった。L.Aからベガス方面に北上すると一面砂漠地帯。フリーウエイを2時間も突っ走ると乾燥したジョシュアトゥリーが鞠(まり)状になって風に転がる荒涼とした大地。地平線が見えるこんな場所で日没に車を止めて枯れ草集めて燃やし、沸かしたコーヒーにバーボン入れて飲んだりしちゃったら、んもう気分はもはやカウボーイ、訳して「牛少年」・・・なんじゃそりゃ。そんなこんなも初めてのアメリカだった。いずれ慣れると味気なくなるんだけどね。

 到着して数日後にレコーディングが開始した。スタジオシティ・・・ユニバーサルスタジオがある辺りの「スタジオ・ダンブリン」アイリッシュ系のエンジニアがオーナーのスタジオだった。・・・しかしよく覚えているものだ。多分これ書く前は25年間封印していたくらいに懐かしい名前。自分で自分の書く言葉に酔ってしまうよ。
 レコーディング初日。リズム録りの為に続々とミュージシャン達が集まってくる。
「おおおおおおお、き、清巳!!ル、ル、ルカサーだよ、ポ、ポーカロだよ!!!あいつら本物か?」みたいな驚嘆の中、彼らは黙々とセッティング。ドラムの音はセッション開始3時間前にドラムスのトレーナーが楽器を運びセッティングし、基本的なサウンド作りだけで2時間近く掛けていた。この時の音作りの光景は今でも僕の中に活きている。専門的な話になるが、日本のエンジニアの殆どが25年前から今に至るまでサウンド作りの多くをハードやソフトのプラグインに頼っている。イコライジングもアンビエントもだ。(反論は聞かねえ。そうでないとしてもおまいらの殆どは海外に通用しない所詮まがい物だよ)しかし、アメリカでもイギリスでも基本のサウンドはスタジオや板の反響を考慮し、マイクの角度、距離をもとに作り上げていく。この両者の態度は今でも変わらない。だから日本の音はどうしたって薄っぺらい。アメリカのサウンドはどうしようもなくパワフルだ。電圧の加減だとか、コンプの使い方だとか揚げ句は空気の乾燥だのしまいには食い物の違いだのと抜かす馬鹿エンジニアが日本にはまだまだ沢山いるっつーかほぼ全員。太平洋挟んで対岸から馬鹿にする材料探す前に、現地のレコーディングを一度で良いから経験出来る環境を、スタジオはエンジニア志望の人達に提供して欲しい。1曲のトラックダウンに7時間さえも愚か、10時間も掛けるのは単なる制作費の無駄遣い、愚の骨頂だ。伎倆があればな1曲2時間で仕上がるんだよ。
 ついつい興奮してしまった。・・・。しかし、アメリカのスタジオではたまにコカインのやり過ぎでプレイ中に壊れたミュージシャンが暴れだす事もあるようで、エンジニアが座る卓前の下の引き出しにはなにげに拳銃が置かれているし、スタジオとコントロールルームを仕切るガラスは防弾仕様だ。こんな事は学ばなくてもよろしい。その辺については欧米のミュージシャンは確実に相変わらずいまだに牛並に馬鹿だと思う。いやはや。
 しかし、今回はカタカナが多い。読みにくいね。すまん。
 そして、渡米編はもすこし続く。本日はこれまで。酔ったわい。
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2 コメント

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話には聞いとったが。 (SAYAKA)
2006-05-19 21:30:04
話には聞いていたけど、具体的に文字で見ると”ふーん、そうだったんだ~”とはしょられて話された言葉を補っていて、映画を観た後に読む本みたい。

しかし、一昨年だったか、明日香と一緒に行ったロスでは、ただただ爆睡でしたな。車からも降りないでやんの。はぁぁぁ・・・。月日は経って新鮮な気持ちもなくなるもんね。アタシャ~やっぱり、依然としてホテルカリフォルニアのジャケット写真そのまんまのホテル見た時にゃ思わず拝んだけどね。
海外レコーディング (TOMO)
2006-05-20 16:36:15
わざわざ海外でレコーディングする意味がほんの少し解りました。



>酔ったわい。・・・orz

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