Takの秘密の木

誰にもいえない気持ちは、誰もしらない秘密の木の洞に、こっそり語って蓋をするんだって。@2046

イヴ・サンローランとジャージー・ボーイズ

2014-10-01 | ドラマ・映画・舞台の感想
両作品とも実在の人物(達)を描いた伝記物、ということで、相照らし合わせていろいろ思うところがありました。片やファッション、片や音楽業界ですが。
ネタバレ・・・になるのかな?以下を読む場合はご留意願います。



それが現実だから当然なんですが、この手の業界は特に、"才能の有無"はどうしても無視できない要素となる。
どうも日本では、悪しき平等主義が蔓延り過ぎたせいでそれを認めるのが難しい人、もしくは玉石見分けるのが下手な人が多いように感じるし、またアメリカでは、夢に向かって努力すればどうにかなる的な論調で誤魔化したがる傾向があるようにも思える。
ヨーロッパはそれがあまりない。個人的な趣味嗜好がどうの、なんて各論にもならず、才能の有無は大手を振って語られるべき基準とされているような印象がある。
かく言う私も、そこを最も重要視するタイプで、以前人から「才能至上主義者」だなんて言われたこともあったりします。
努力を否定するわけではないし、努力で一流にまで登りつめている人もたくさんいるのもまた事実。
だけど、超一流にはなれないよな・・・と常々思う。多くの人々を熱狂させたり、金字塔になったり、後世にまで名を残すことを成し遂げられるのは、やっぱり天才だけ。

そして天才の周囲にいる人々、というのを見るのはとてもおもしろいし、不快でもある。
天才だって一人ですべてやれるわけじゃないし、誰の引立てもなく上がってこれるわけじゃない。必ず多くの人々との出会いや繋がりがある。
人間だから、寄生虫のクズもいれば、パトロンで見返りを求めない育ての親もいる、映画のサリエリみたいに"自分こそが一番の天才の理解者だ"と思う人もいれば、ライバルとなる人もいる。
「ジャージー・ボーイズ」のトミーは典型的な寄生虫のクズ。おまけに頭も悪いから本当に始末が悪くて、傍目に見てもイライラさせられる(苦笑)。
でも、こういうタイプって居るんだよなー・・・と。人を利用して金儲けすることだけに目ざとくて、頭が悪いくせに(というか頭が悪いからこそか?)異様に支配欲が強くて、口から出まかせの場渡り的発言で煙に巻いて、本質は怠惰で自分は何もしようとしない。
でも、コネや社交が物を言う業界でもあるから、例えバカで無能で怠惰でも、積極性さえあれば切り拓かれる局面があるのも事実。
しかしそういうタイプって、結局は、本人が望むほどは周りは重用してくれないんだよね・・・。またそういう人程身の程知らずだから、自分が重視されないことに腹を立て、終いには寄生してる宿主を逆恨みし始めて、状況をどんどん悪化させる。
よくある話です。
なぜよくある話なのかといえば、それが現実だから。
そういう意味でとても興味深くてておもしろかったです。俳優さんの演技も含め、リアルさがひしひしと伝わって来て。

一方で、「イヴ・サンローラン」のピエール・ベルジェ。
彼とトミーの違いは、ピエールはとても頭がよかったこと。そして身の程を知っていたこと。動きも軽快で献身的。
でもピエールも支配欲はあるんですよ。その辺りの描き方がすごく面白かった。
「ジャージー・ボーイズ」のフランキーは、情(絆?)のためにトミーを切り捨てられずに苦しんで、自らトミーのしょうもない罪業まで被り清算したけど、イヴは、ピエールが寄生虫ではないことを知っている。
イヴとピエールはむしろ相利共生の関係にある。・・・というか、ピエールが自覚的にそうあろうとしているんですよね。・・・
例えば、イヴの取り巻きを管理しようとするのは、ドラッグや病気といったロクでもないものからイヴを切り離したいという心理と、支配して独占したい心理の両方がある。
イヴ本人に恨まれてでも、イヴのためになることをしようとする気持ちと、イヴに憎まれることで、彼の中心に居座ろうとする気持ちと。
イヴのミューズを寝取るくだりが特に興味深かった。
同性愛者のイヴが結婚したいと思う女性、彼の創作のミューズでもあり、良き友人でもあるヴィクトワール。
ピエールは、もちろんイヴに対する愛憎あってのことだけど、ヴィクトワール個人にも魅かれていないこともないんだと思うんですよ。彼女を相手にデキてしまったことは、ピエール自身驚きでもあったかも知れない。(笑)
彼女がイヴのミューズであることの理由を、ピエールはどこかでわかっていたのか、それともわかってイヴとそれを共有したかったのか、それともただイヴを痛めつけたかったのか・・・そのすべてかも知れないし。
人間って、平気で相反する感情を内包できるし、年月や色々な要素からその配分は刻々と変化するもの。その複雑さや妙味を受け止める文化がフランスにはあるのかも。

天才の傍にいる人間は一歩間違えばすぐに寄生虫になる。
そうはならないという美意識と矜持がピエールにはあって、一方でトミーは、自分は寄生虫の天才だと思ってむしろ自信満々だったんじゃないかな?(苦笑)

作品全体としては・・・「イヴ・サンローラン」はなるべく事実に基づくように造られた正統派の伝記物で、「ジャージー・ボーイズ」はミュージカル作品として既存のものを映画化した形。
前者は、劇中に出てくる衣装は本物(実際にサンローランが作ったもの)で、ロケ地もたぶん本当に現場を使って再現してる。当時のファッション界の描き方(サロンやランウェイの様子)も考証通りでしょう。
後者は、ところどころ舞台っぽい表現もあって、イーストウッド作品にしては軽いトーン。ラストシーンは「スラムドッグ・ミリオネア」かと思いましたよ(笑)。あのクリストファー・ウォーケンは必見ですね。楽曲はもちろん最高なので、オールディーズが好きな人には堪らない。(厳正にはオールディーズの括りには入らないのかも知れないけど、私的にはオールディーズ認識です)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。