アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

炎の男、火麻呂 能登国風土記 Ⅲ

2016-12-10 01:07:39 | 物語
 三
 憤怒の形相も凄まじく怪異なる不動明王が火炎の中で浮世を睨んでいた。
「ノウマク、サンマダー、バサラダン、ウン」
 不動明王の真言を唱え、出雲の歩き巫女、鼎が護摩壇の前で祈祷している。
「ノウマク、サンマダー、バサラダン、ウン」
 岩窟の窪みに怒りを内に秘めて鎮座する不動明王、その前に供えられた髑
髏、眼孔に人形木簡。
 護摩壇に炎が上がり、木簡の文字を浮き上がらせた、基、病に倒れた、首天
皇と藤三娘藤原夫人光明子の間に生まれた皇太子の名だ。
「ノウマク、サンマダー、バサラダン、ウン」
 一人の薄汚れた娘が洞窟の隅でうずくまっていた。娘の名も鼎、歩き巫女の
娘なのか、拾った子なのか、盗んだ子なのか、誰も知らない。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
 醜いまでの太り四肢を持った鼎が呪文を唱えながら、虚空で縦横交互に線を
描き、九字を切った。
 鼎の後ろで酒を飲みながらぼんやりと呪詛を眺めている火麻呂。
 怒りを燃え上がらせた不動明王に合掌する鼎。
「兵に臨んで闘う者は皆列をのべて前に在り」
 御神刀を抜いて立ち上がる鼎、右回りに一転しながら、
「ボロンキュウキュウ如律令」
 と唱え、
「渇!」
 とばかりに斜めに御神刀を降り下ろした。
 炎に揺らめく不動明王が歓こんでいる。
 恍惚に酔い痴れながら己に憑いた不動明王を降ろす鼎、肩で激しく息を切ら
せ、力尽きて座り込んだ。
 火麻呂から酒椀を取り上げて一気に飲み干す鼎、炉で焼かれていた鳩の丸焼
きを掴んで貪り付いた。
 這いつくばって鼎ににじり寄る娘が鳩を強請った。
 娘を突き飛ばす鼎、獣のような眼で娘を睨んだ。
 再び酒を飲み始める火麻呂、昼間見た光景に未だに心を奪われていた。
 今の火麻呂にとって皇太子の呪詛などどうでも良かった。
 貪り尽くして骨だけになった鳩を娘の前に放り投げる鼎。
 鳩の骨に飛びつく娘、懐に捩じ込んで洞窟の外に走り出た。
 入れ違いに入って来た来寝麻呂が火麻呂の向かいに腰を下ろした。
 脂でギトギトになった手で来寝麻呂の腕を掴んでしな垂れかかる鼎。
「キツネマロ、汝はいつみてもいい男じゃのう。晒し首になったら、さぞかし
京師の女供が嘆くであろうな。晒首になる前にわしと逃げぬか」
 身を捩って鼎から逃げる来寝麻呂、涼しげな顔で火麻呂に報告した。
「南火血麻呂が法会で武智麻呂の息子たちと茶番を演じ、中臣東人の屋敷に消
えました」
「藤原邸ではないのか?」
「中臣は藤原の一族です」
「何を企んでいるのか?」
「茶番の演者に雇われただけでしょう。鬼等は早く始末するか、般若党から追
い払った方が良いかと」
 詰まらなさそうに酒を飲み始める鼎。
「俺の命を狙っているのは分かっているが、まだ利用価値が有る。ところで、
あの宝刀が売れたぞ、道君という越前若狭の長者が買ってくれた。その金で宇
佐の鍛冶師に汝が発案してくれた武具を注文して来た」
「本当に道中を襲うつもりなのですか?」
「いっその事能登国衙を襲撃してやろうと思っている」
「誰もついて行きませんよ」
「なに、欲で釣れば良い、今のうちに能登正倉には財宝が山のように唸ってい
ると、吹き込んでおけ」
 火麻呂は本気で能登の襲撃を考えていた。資金が武具の注文で枯渇してしま
った為、皇太子呪詛の依頼主、橘唐からせしめるか、いっその事、橘の総師葛
城王に再び交渉するか、どちらかに一つだ。
「鼎、皇太子の命は後どのくらいだ」
「十日も持つまい」
 基皇太子が死んでくれれば商売繁盛、資金はなんとかなる。

 二十日程前の八月中旬、火麻呂は般若四天王を従えて葛城王に褒美を強請り
に行った。
 けたたましい羽音と鳴き声を上げた鳥たちが叢から大空に飛翔し、ザザザザ
ーッ! ドドドド―ッとばかりに数匹の大猪が草原に雪崩れ込んできた。
 続いて狩衣の葛城王が暗越街道から草原へと踊り込み、獲物を追った。
 葛城王の左右を人が並んで走っていた。左側を跳ねるようにして走っている
のは来寝麻呂、右側を走っているのは青鬼が如き南火血麻呂だった。二人は馬
に遅れることなく余裕を持って併走しているのだ。
 葛城王は馬の背に一鞭二鞭といれて速力を上げた。が、二人は平然と走り続
けている。
 手綱を離して弓に矢を番える葛城王。
 一の矢が南火血麻呂に、二の矢が来寝麻呂を襲った。
 虚しく叢に消える二つの矢。
 更に弓を引き絞る葛城王。
 その行く手に赤鬼蛇火裟麻呂と黒鬼鎚麻呂が立ち塞がった。
 二人の巨漢に怯えた馬が大きく嘶き、竦んで立止まった。
 落馬を免れた葛城王が声高に叫んだ。
「無礼者! 葛城王と知っての狼藉であるか!」
 四人の曲者を見廻す葛城王。
「鬼より怖い般若党参上!」と、背後から大声が聞こえてきた。
 葛城王が声の主を振り返ると、般若党の首領、火麻呂が立っていた。
「鬼と蔑まされる我等とて約定は違わぬ。・・・ようやく七日前から呪詛を初
めたので知らせに参った」
「呪詛? 誰を呪うというのじゃ?」
「それは王ご自身が知っておる筈」
「なに!?」
 火麻呂をじっと見詰める葛城王。暫くしてようやく火麻呂との密約を思い出
した。それとて戯れに交わした戯言に過ぎなかった。
「般若四天王は地獄耳じゃ!」
 南火血麻呂の真っ赤な口が叫んだ。
「この世の事で我等が知らぬ事等何も無い!」
 憤怒の形相で蛇火裟麻呂が吠えた。ドスンドスンと鎚麻呂が四股を踏み、そ
の度に地が震えた。
 来寝麻呂だけが涼しげに葛城王を見詰めている。
「呪詛の霊験は灼である。一人が倒れ、一人が生まれた」
 声高に言葉を投げつける火麻呂。
 葛城王の顔に微かに影が走った。思い当たる節があったのだ。
 恐しや般若党。葛城王の背筋に悪寒が走った。滅ぼさねばならぬとも思っ
た。
 数日前に藤原夫人の子基皇太子が病に倒れ、まるで命を入れ替えるかの如く
に橘夫人が皇子を生んだのだ。この二つの出来事は高位の皇族以外誰も知らぬ
秘密であった。
「王が望めば、我等が一人を呪い殺す。・・・残った一人を王が操れば目出度
し」
「ほざくな下郎。・・・考えても見よ、皇太子の生母は我が妹である。なぜ死
を望まねばならぬ」
 父親こそ皇族美怒王、そして藤原不比等と違っていたが葛城王と光明子の母
は県犬飼橘美千代である。
「基は天皇家の皇太子に有らず、藤原氏の皇太子である。この期を失えば藤原
氏を倒す事等夢のまた夢」
 葛城王は藤原夫人光明子の兄ではあるが、同時に橘夫人広刀自の生んだ皇子
・安積親王は紛れも無く橘氏としての同族であった。
「しょうし! 下司の勘ぐりである」
 毅然と般若党を見廻した後、葛城王は火麻呂の足元に腰の太刀を投げた。
「売れば小さな郷ぐらいは買えるであろう。般若の輩ども、目障りである、消
えよ、この平城から立ち去るのじゃ」
 馬をゆっくりと歩ませる葛城王は火麻呂の傍らで馬の歩みを止めた。
「良いか火麻呂。般若とは鬼の事に非ず、智慧である、慈悲である。あくまで
鬼と言い張るならば必ず成敗してくれん」
 そう言い終わると、葛城王は馬の腹を蹴って早駆けた。
 葛城王が残した金銀と宝玉が散りばめられた螺鈿鞘の太刀を鬼の三兄弟が争
うようにして確かめている。
 目を丸くして蛇火裟麻呂が火麻呂に言った。
「こ、これを売れば、郷どころか、ワシ等皆、一生公卿のように暮らせるぞ」
 火麻呂は蛇火裟麻呂から太刀を取り上げてすらりと抜いた。
 恨めしげに火麻呂を睨む蛇火裟麻呂。
 太刀を夕陽に翳す火麻呂、
「オーッ!」と叫び、満面に笑みを浮かべて辺りを睥睨した。
 苦虫を噛み潰したような顔で火麻呂を睨んでいる鬼の三兄弟が額を寄せ合っ
てひそひそと言葉を交わしている。
「兄じゃ、あの太刀も独り占めする気じゃ」
「いまに思い知らせてくれるぞ」
「シーツ」 と、更に声をひそめる南火血麻呂。
「キツネが聞き耳をたてておる」
 憎々しげに来寝麻呂を睨む蛇火裟麻呂。
「奴も道連れじゃ」
 鬼のひそひそ話しが聞こえているのかどうか、来寝麻呂の顔が暗く雲って行
く。

 器の酒を一気に飲み干した来寝麻呂がスッと立ち上がった、頬がほんのりと
赤くなっている。
「なんだ、もう行くのか?」
「用事が有りますので」
「恋をしているそうじゃな、来寝麻呂」
 銅鏡に映る己の醜い顔を覗き込みながら鼎が言った。
 鼎を無視して洞窟を出て行く来寝麻呂。
 香を炊く鼎。
 大きな盥を持って入ってくる娘、鼎の横に置いた後、隅にうずくまった。
 化粧を始める鼎。
「雌狐と乳繰り合っているとの噂じゃ、女狐の腹から生まれた来寝麻呂が雌狐
と戯れているとか、洒落にならぬのう」
 暗闇でギラギラと輝く二つの眼、真っ赤な口をあけ、声を立てずに娘が喜ん
でいる。
 酒を飲む火麻呂の脳裏に雅の姿が蘇った。
 葛麻呂の子を抱きしめ、頬刷りする雅。
 芳しき雅の香りが漂ってきた。
 憎悪に燃える火麻呂、おのれ葛麻呂、地獄に送ってくれる。
 水に浸した布で赤ら顔を拭く鼎、匂うが如き白き肌が現れた。
 どす黒い口を拭うと、艶めかしき深紅の唇が現れた。
 褐色に薄汚れた髪に櫛を入れれば、濡れるが如き黒髪が風に揺れた。
 歓喜に悶えて転げまわる娘。
 立ち上がる鼎の肩から上衣が滑り落ち、麗しくも艶めかしき柔肌が煌めいて
いた。
「火麻呂」
 ゆっくりと声の方を見る火麻呂、我が眼を疑った。
「みやび!」
 そこには狂おしいまでに愛しい雅が佇んでいたのだ。
 胡坐をかいて見上げる火麻呂の腰に跨る雅、妖しく微笑みながら火麻呂の口
を啜った。
    平成28年12月10日(土)   Gorou


 


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