旅人から旅人へ…
語り継がれて来た文化。
昔、一人の旅人がアジアを訪れてその紀行を遺した。
彼の名はマルコポーロ、その紀行が東方見聞録。
そして、2005年十一月、世界最高峰と称されるオーケストラ、ベルリンフィルが音楽探しの旅へと飛び立った。北京、ソウル、上海、香港、台北、東京、アジアの大都市をへ巡りながら調和と理想を探し、或いは混沌と幻想から逃れる為の旅でもあった。
ベルリンフィル2005年アジアツァーがドキュメンタリー映画として公開され、DVDで発売されています。余りにも素晴らしいので紹介したいと思います。
この作品の日本語タイトルは、「ベルリンフィル最高のハーモニーを求めて」ですが、このハーモニーは必ずしも音楽的なハーモニーでは無く、演奏技術と心、楽団と聴衆、旅人と現地の人々と、色々な意味での調和をさしています。
オープニングは入団テストの光景からです。
四人の若者がテストを合格しました。ピッコロのレベルさん、パーカッションのヘーガー君、ビオラのアフカム君とネーマー君です。彼らの試用期間の最後がこのアジアツァーなのです。
ベルリンフィルへの入団はテストも合否の結果も楽団員達で行うのが伝統となっています。少しベルリンフィルを知っている方なら、入団テストであのザビーネ・マイヤー事件を思い出すのでは? カラヤンがザビーネ・マイヤーという美人クラリネット奏者を強引に入団させようとして楽団員から猛反発をくらい、マイヤーは退団、カラヤンもベルリンフィルの終身指揮者から降りてしまいました。その直後にカラヤンは亡くなりました。なぜ反発したのか? 一説には当時は女性奏者を受け入れないのがベルリンフィルの慣習だったと言われています。今では考えられませんよね。この事件に関しては、私はカラヤンを支持し、珍しくもカラヤンの慧眼に感服しています。ザビーネ・マイヤーは退団後めきめきと評価を高め、少なくとも女性クラリネット奏者としてトップに立ちました。彼女の演奏を見たいと思う人は、アバドとルーツェルン祝祭管弦楽団のDVDを探して下さい。私の記憶ではそのすべてに参加して、素晴らしい演奏を魅せています。
このドキュメンタリーではライブが主では有りません、むしろリハーサルと告白(インタビュー)、それぞれの都市での見聞録が主になっています。
カメラと彼ら(ラトルと楽団員)は見詰める、雑踏と安らぎの広場を、急速な進歩に戸惑う人々を、変わらぬ伝統と文化と祈りを。そして彼らは、まるで神の御前で懺悔するかの如くに告白を続けます。
「十代の頃はただの変わり者でした」
「人前でろくに話が出来ませんでした。私を救ってくれたのがオーボエです」
「芸術家になんかとてもなれない私」
落ちこぼれだった彼らがベルリンフィルと関わる事で英雄になったのです。
誇りと情熱と不安と恐れが彼らを苛む。そして同行した候補生、四人の若者達は希望よりも不安を抱えながら平静を装い、無邪気に戯れる。
クラシック音楽の世界ではいわば英雄である筈の彼らが、殆どが落ちこぼれの劣等生であった事が淡々と語られて行きます。音楽が彼らを救い、外界とのコミュニケーションを果たすのです。
演奏曲目が印象的で何かを暗示しているようでした。
○ ベートーベン 英雄
ナポレオンの為に作曲されたと言われていますが、英雄とはベートーベン自身かこの曲を演奏する奏者なのではないでしょうか?
○ リヒャルトシュトラウス 英雄の生涯
交響詩の代表作。英雄とはシュトラウス自身とも言われているが、この映画の中では、フィルハーモニーの楽団員(指揮のラトル、四人の候補生も含めて)達である。
○ トーマスアデス アサイラ
ラトルが音楽監督をしていたバーミンガム交響楽団委託により作曲された現代音楽。
アサイラとは、隔離病棟と保護地区という二重の意味だそうです。とても美しい曲で、混沌とする現代社会から隔離された、或いは保護された安らぎを感じさせます。
ラトルは度々取り上げており、五年もすればスタンダードになりうる曲です。
この三曲はライブよりもリハーサルとバツクグラウンドでより多く紹介されて行きます。ラトルも楽団員も候補生も旅を続ける中で次第に高揚し、理想に近づいて行きます。
カラヤン、アバド、ラトル。ここ半世紀のベルリンフィルの芸術監督である。この三人の音楽へのアプローチと演奏スタイルは随分違って見えます。
まずカラヤン、恐らく一番著名な指揮者である。ベルリンフィルを徹底的に鍛錬して世界最高峰のオーケストラに育てた。とされるが、そうだろうか? 大戦前からフルトヴェングラーの時代まで、ベルリンフィルは既に最高峰のオーケストラでした。カラヤンの時代にベルリンフィルに何が起こったのだろうか? この時代、ベルリンフィルは最高のパフオーマンスを見せてくれましたが、けっして最高のアンサンブルを聴かせては呉れませんでした。アンサンブルという意味では、当時のベルリンフィルは世界の十指に入っていたかどうか疑わしいものです。
カラヤンの指揮は目を瞑っていますよね、集中力を高める為だと言われています。ある指揮者が「あれは完全に暗譜していることを誇示しているだけさ」と批判していましたし、当時の三人のトップソプラノが対談で、「カラヤンは目を瞑っているうちに何処を演奏しているのか分からなくなり、ただ手をクルクル回していました」。その一人がカラヤンにその事を抗議したそうです。彼女は十年間ベルリンフィルとカラヤンからお呼びがかからなかったそうです。だいたい完全な暗譜など演奏のクォリティーにどの位影響が有るのでしょうか? 写譜をするのとは違うんですよ。カラヤンの演奏スタイルはカラヤンとオーケストラをかっこよく見せる事で、良い演奏を聴かせる事ではなく、素晴らしい演奏を聴かせて上げる事でした。その為の小賢しい小細工をしています。たとえば低弦奏者の数を増やし、ほんの少しだけ先に音を先行させていたそうです。カラヤンの演奏は重厚で分厚いんです、まあ質の良い映画音楽だと思えば良いのではないでしようか?
カラヤン批判に思わず夢中になってしまったので、後の二人は簡単に述べます。
アバドのアプローチは宗教的です。生への感謝と神への祈りに満ちているのです。まるで空を目指しているように感じます。ベルリンフィル時代はそれほど感じなかったのですか゛、癌を克服して再起した後のルーツェルン祝祭管弦楽団との演奏で顕著になりました。マーラーの復活と七番、モーツァルトのレクイエムを聴いて下さい。私の意見に賛成していただける方が結構いると思いますよ。さて、亡アバドとルーツェルン祝祭管弦楽団の事は改めて書きたいと思っています。
ラトルのアプローチはアバドと比べると哲学的です、アバドは空をめざし、ラトルは無をめざして宇宙と一体とならんとしているのです。
すこし余談になりますが、今最高のパフォーマンスを見せてくれるオーケストラはベルリンフィルとルーツェルン祝祭管弦楽団だと私は思っています。二つのオーケストラはしなやかでやさしく芳醇の香りを届けて呉れるんです。特にルーツェルン祝祭管弦楽団はピアニッシモが美しいんです。至福の音楽を届けて呉れるんです。ベルリンフィルのモーツァルトとルーツェルン祝祭管弦楽団のマーラーを是非聴いて下さい。
それにしても、アバドを失ったルーツェルン祝祭管弦楽団はどうなってしまうのでしょう。しんぱいですよね!
ベルリンフィルのアジアの旅は台北でクライマックスを迎えます。会場の三千人と屋外スクリーン前の三万人とベルリンフィルとが一体となった素晴らしい演奏を完成させたのです。ラトルとベルリンフィルは、この時英雄になりました。
野外の大観衆の前に出てきたラトルとベルリンフィルは熱狂的な歓迎を受けます。まるでロックの英雄を迎えるような熱烈な歓迎です。かってクラシック音楽家がこのような歓迎を受けたことがあるでしようか?!
無を極め、宇宙と一体となった演奏を携えて、彼らはツァーの最終都市東京を訪れました。東京のライブをご覧になれた人は幸せですね、本当に羨ましいと思います。どうか、この時の演奏をDVD化して下さい、節に節にお願いいたします。
ピッコロのレベルは去り、パーカッションのヘーガー、ビオラのアフカムとネーマーは残り、そしてラトルとベルリンフィルはアジアを去りました。去ったレベル、残ったヘーガー、アフカム、ネーマー、四人の候補生、ラトルとベルリンフィ、旅人達(異邦人)は訪れた六都市(アジア)の文化を語り続けて呉れるに違い有りません。
クレジットで蝶の戯れる映像が夢のように被さります。クレジットからライブに戻りましたが、一羽の蝶がひらひらと舞ながら下手から上手へと飛び去ります。
監督のトーマス・グルベは壮子の胡蝶の夢を知っていたのでしようか?
最後に四人の候補生、ラトルとベルリンフィル、そしてトーマス・グルベとスタッフに荘子の胡蝶の夢を贈ります。
「昔々、荘周(そうしゅう、荘子の事)は夢で胡蝶となる。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩みて志に適する与(かな)。周たるを知らざるなり。俄然として覚むれば、則遽遽然(きょきょれぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶為(た)るか、胡蝶の夢に周為るか。周と胡蝶とは、則ち必ず分有り。此れを之物化(これぶっか)と謂う」
2016年11月27日 Gorou &Sakon