goo blog サービス終了のお知らせ 

アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

ベルリンフィル東方見聞録。

2016-11-27 03:40:06 | クラシック音楽

旅人から旅人へ…
語り継がれて来た文化。

 昔、一人の旅人がアジアを訪れてその紀行を遺した。
 彼の名はマルコポーロ、その紀行が東方見聞録。
 そして、2005年十一月、世界最高峰と称されるオーケストラ、ベルリンフィルが音楽探しの旅へと飛び立った。北京、ソウル、上海、香港、台北、東京、アジアの大都市をへ巡りながら調和と理想を探し、或いは混沌と幻想から逃れる為の旅でもあった。

 ベルリンフィル2005年アジアツァーがドキュメンタリー映画として公開され、DVDで発売されています。余りにも素晴らしいので紹介したいと思います。
 この作品の日本語タイトルは、「ベルリンフィル最高のハーモニーを求めて」ですが、このハーモニーは必ずしも音楽的なハーモニーでは無く、演奏技術と心、楽団と聴衆、旅人と現地の人々と、色々な意味での調和をさしています。

 オープニングは入団テストの光景からです。
 四人の若者がテストを合格しました。ピッコロのレベルさん、パーカッションのヘーガー君、ビオラのアフカム君とネーマー君です。彼らの試用期間の最後がこのアジアツァーなのです。
 ベルリンフィルへの入団はテストも合否の結果も楽団員達で行うのが伝統となっています。少しベルリンフィルを知っている方なら、入団テストであのザビーネ・マイヤー事件を思い出すのでは? カラヤンがザビーネ・マイヤーという美人クラリネット奏者を強引に入団させようとして楽団員から猛反発をくらい、マイヤーは退団、カラヤンもベルリンフィルの終身指揮者から降りてしまいました。その直後にカラヤンは亡くなりました。なぜ反発したのか? 一説には当時は女性奏者を受け入れないのがベルリンフィルの慣習だったと言われています。今では考えられませんよね。この事件に関しては、私はカラヤンを支持し、珍しくもカラヤンの慧眼に感服しています。ザビーネ・マイヤーは退団後めきめきと評価を高め、少なくとも女性クラリネット奏者としてトップに立ちました。彼女の演奏を見たいと思う人は、アバドとルーツェルン祝祭管弦楽団のDVDを探して下さい。私の記憶ではそのすべてに参加して、素晴らしい演奏を魅せています。

 このドキュメンタリーではライブが主では有りません、むしろリハーサルと告白(インタビュー)、それぞれの都市での見聞録が主になっています。

 カメラと彼ら(ラトルと楽団員)は見詰める、雑踏と安らぎの広場を、急速な進歩に戸惑う人々を、変わらぬ伝統と文化と祈りを。そして彼らは、まるで神の御前で懺悔するかの如くに告白を続けます。
「十代の頃はただの変わり者でした」
「人前でろくに話が出来ませんでした。私を救ってくれたのがオーボエです」
「芸術家になんかとてもなれない私」
 落ちこぼれだった彼らがベルリンフィルと関わる事で英雄になったのです。
 誇りと情熱と不安と恐れが彼らを苛む。そして同行した候補生、四人の若者達は希望よりも不安を抱えながら平静を装い、無邪気に戯れる。
 クラシック音楽の世界ではいわば英雄である筈の彼らが、殆どが落ちこぼれの劣等生であった事が淡々と語られて行きます。音楽が彼らを救い、外界とのコミュニケーションを果たすのです。

 演奏曲目が印象的で何かを暗示しているようでした。
○ ベートーベン 英雄
 ナポレオンの為に作曲されたと言われていますが、英雄とはベートーベン自身かこの曲を演奏する奏者なのではないでしょうか?

○ リヒャルトシュトラウス 英雄の生涯
 交響詩の代表作。英雄とはシュトラウス自身とも言われているが、この映画の中では、フィルハーモニーの楽団員(指揮のラトル、四人の候補生も含めて)達である。

○ トーマスアデス アサイラ
 ラトルが音楽監督をしていたバーミンガム交響楽団委託により作曲された現代音楽。
 アサイラとは、隔離病棟と保護地区という二重の意味だそうです。とても美しい曲で、混沌とする現代社会から隔離された、或いは保護された安らぎを感じさせます。
 ラトルは度々取り上げており、五年もすればスタンダードになりうる曲です。
 この三曲はライブよりもリハーサルとバツクグラウンドでより多く紹介されて行きます。ラトルも楽団員も候補生も旅を続ける中で次第に高揚し、理想に近づいて行きます。
 
 カラヤン、アバド、ラトル。ここ半世紀のベルリンフィルの芸術監督である。この三人の音楽へのアプローチと演奏スタイルは随分違って見えます。
 まずカラヤン、恐らく一番著名な指揮者である。ベルリンフィルを徹底的に鍛錬して世界最高峰のオーケストラに育てた。とされるが、そうだろうか? 大戦前からフルトヴェングラーの時代まで、ベルリンフィルは既に最高峰のオーケストラでした。カラヤンの時代にベルリンフィルに何が起こったのだろうか? この時代、ベルリンフィルは最高のパフオーマンスを見せてくれましたが、けっして最高のアンサンブルを聴かせては呉れませんでした。アンサンブルという意味では、当時のベルリンフィルは世界の十指に入っていたかどうか疑わしいものです。
 カラヤンの指揮は目を瞑っていますよね、集中力を高める為だと言われています。ある指揮者が「あれは完全に暗譜していることを誇示しているだけさ」と批判していましたし、当時の三人のトップソプラノが対談で、「カラヤンは目を瞑っているうちに何処を演奏しているのか分からなくなり、ただ手をクルクル回していました」。その一人がカラヤンにその事を抗議したそうです。彼女は十年間ベルリンフィルとカラヤンからお呼びがかからなかったそうです。だいたい完全な暗譜など演奏のクォリティーにどの位影響が有るのでしょうか? 写譜をするのとは違うんですよ。カラヤンの演奏スタイルはカラヤンとオーケストラをかっこよく見せる事で、良い演奏を聴かせる事ではなく、素晴らしい演奏を聴かせて上げる事でした。その為の小賢しい小細工をしています。たとえば低弦奏者の数を増やし、ほんの少しだけ先に音を先行させていたそうです。カラヤンの演奏は重厚で分厚いんです、まあ質の良い映画音楽だと思えば良いのではないでしようか?

 カラヤン批判に思わず夢中になってしまったので、後の二人は簡単に述べます。
 アバドのアプローチは宗教的です。生への感謝と神への祈りに満ちているのです。まるで空を目指しているように感じます。ベルリンフィル時代はそれほど感じなかったのですか゛、癌を克服して再起した後のルーツェルン祝祭管弦楽団との演奏で顕著になりました。マーラーの復活と七番、モーツァルトのレクイエムを聴いて下さい。私の意見に賛成していただける方が結構いると思いますよ。さて、亡アバドとルーツェルン祝祭管弦楽団の事は改めて書きたいと思っています。
 ラトルのアプローチはアバドと比べると哲学的です、アバドは空をめざし、ラトルは無をめざして宇宙と一体とならんとしているのです。

 すこし余談になりますが、今最高のパフォーマンスを見せてくれるオーケストラはベルリンフィルとルーツェルン祝祭管弦楽団だと私は思っています。二つのオーケストラはしなやかでやさしく芳醇の香りを届けて呉れるんです。特にルーツェルン祝祭管弦楽団はピアニッシモが美しいんです。至福の音楽を届けて呉れるんです。ベルリンフィルのモーツァルトとルーツェルン祝祭管弦楽団のマーラーを是非聴いて下さい。
 それにしても、アバドを失ったルーツェルン祝祭管弦楽団はどうなってしまうのでしょう。しんぱいですよね!

 ベルリンフィルのアジアの旅は台北でクライマックスを迎えます。会場の三千人と屋外スクリーン前の三万人とベルリンフィルとが一体となった素晴らしい演奏を完成させたのです。ラトルとベルリンフィルは、この時英雄になりました。
 野外の大観衆の前に出てきたラトルとベルリンフィルは熱狂的な歓迎を受けます。まるでロックの英雄を迎えるような熱烈な歓迎です。かってクラシック音楽家がこのような歓迎を受けたことがあるでしようか?!

 無を極め、宇宙と一体となった演奏を携えて、彼らはツァーの最終都市東京を訪れました。東京のライブをご覧になれた人は幸せですね、本当に羨ましいと思います。どうか、この時の演奏をDVD化して下さい、節に節にお願いいたします。

 ピッコロのレベルは去り、パーカッションのヘーガー、ビオラのアフカムとネーマーは残り、そしてラトルとベルリンフィルはアジアを去りました。去ったレベル、残ったヘーガー、アフカム、ネーマー、四人の候補生、ラトルとベルリンフィ、旅人達(異邦人)は訪れた六都市(アジア)の文化を語り続けて呉れるに違い有りません。

 クレジットで蝶の戯れる映像が夢のように被さります。クレジットからライブに戻りましたが、一羽の蝶がひらひらと舞ながら下手から上手へと飛び去ります。
 監督のトーマス・グルベは壮子の胡蝶の夢を知っていたのでしようか?
 最後に四人の候補生、ラトルとベルリンフィル、そしてトーマス・グルベとスタッフに荘子の胡蝶の夢を贈ります。

「昔々、荘周(そうしゅう、荘子の事)は夢で胡蝶となる。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩みて志に適する与(かな)。周たるを知らざるなり。俄然として覚むれば、則遽遽然(きょきょれぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶為(た)るか、胡蝶の夢に周為るか。周と胡蝶とは、則ち必ず分有り。此れを之物化(これぶっか)と謂う」
2016年11月27日 Gorou &Sakon

 プッチーニはお好き?

2016-11-13 02:03:14 | クラシック音楽
 プッチーニはお好き?

 オペラ好きのクラシックファンだったら、きっと好きですよね。
 一番好きなのは? ラボエーム? トスカ? トゥーランドット? まあ人それぞれでかよね。でも、まさかの蝶々夫人だったりして!
 私はこの作品を好みません。
 日本に生まれ、文化を愛するものにとって、あまりにも物語が陳腐過ぎる! そう思いませんか? 音楽が補って余りあるほど美しく感動的じゃないか! とお叱りを受けそうですね。だけどオペラって、音楽だけでしょうか? 台本があって、演出とか美術とか衣装等があって初めて完成される総合芸術なんです。今まで聴いたり観たりした蝶々夫人は極めてバランスが悪いんです。殆どが悲劇を強調し過ぎて、日本文化のかけらも感じさせては呉れませんでした。
 日本のオペラ歌手のパイオニア、岡村喬夫氏が長年蝶々夫人の謎と不可思議に挑戦しておられます。改訂台本による公演にも何度か挑戦しておられますし、ドキュメンタリーも制作されていますので、機会がが有れば是非ご覧になってください。
 岡村氏の台本改訂は次のようでした。
 「猿田彦の神」を「天罰を降りよ」、蝶々さんの結婚式で芸者が祝福する「オーカミ、オーカミ」という台詞をより適切な「メデタヤ、メデタヤ」に改める等して奮闘しています。更に氏は芸者の認識について正したいと思い、九人の芸者役に日本人を選びましたが、指揮者や主催者との軋轢の末、これは適いませんでした。プッチーニの孫からも抗議されたそうです。
 一日も速く、岡村喬夫氏の意図にそった、一流の指揮者、適切なスタッフ(この作品は舞台衣装が重要)、良いオーケストラでの上演を望んでやみません。

 でも、蝶々夫人の音楽は素晴らしいので、日本語字幕なしでの演奏には結構満足していましたが、日本語字幕をは初めて見た時に余りの酷さに愕然としました。

 私が、ある程度満足して鑑賞出来た初めての公演がメトのライブビューイングでした。
 なぜ観たのか? 演出が亡映画作家アンソニー・ミンゲラ(イングリッシュ・ペイシェント、コールドマウンテンなど)だったからです。彼の奥さんが中国人のキャロリン・チョイで、振り付けとステージ・ディレクションを担当していたからです。そして衣装デザインが矢張り中国人のハン・フェンでした。
 蝶々夫人は1904年、ミラノで初演されて無残なまでに不評だったそうです。以後何度も改訂されて今の形になり、極めて人気の高いオペラ演目になったそうです。素晴らしい音楽と東洋のエキゾチシズムが受けるんでしょうね。私としては今まで素晴らしい演出と美術は無かった。と断言したい位です。音楽はそのままにして台本を大幅に改訂しない限り、蝶々夫人は真の傑作にはなり得ないのです。

 さて、メトロポリタンの蝶々夫人は2006の新演出の再演だそうです。
 前奏曲とともに舞台が空き、蝶々の化身が両手に扇子を持って舞い始めました。息をのむほどの美しい舞台と照明です。舞手が扇子を落としかけるのはライブならではの愛嬌でしょう。決して日本舞踊では有りませんが、見事なまでに、蝶々夫人の「美しい蝶は磔になる」という 潜在恐怖を描いて悲劇の予感を感じさせる見事な演出です。全体を通じて非常に美しく色彩感覚に優れた舞台でした。細かい所まで工夫がなされていましたね。例えば、舞台上空に漆黒のアクリル盤?で、舞台を仄かに移し込んでいましたし、提灯や蝶や花びらの舞う様を儚くも美しく表現していました。特に感動したのは、文楽にヒントを得た操り人形で子供を登場させた事です。人形は三幕の前奏曲で蝶々夫人の回想と意識の具現者としてピンカートンの贖罪意識で踊る舞踏家と素晴らしい舞を見せます。
 プラボーと叫びたい所ですが、この演出をしても蝶々夫人の陳腐なストーリーと稚拙な台本は救えませんでした。まずピンカートン、悪役てもなく敵役でもなく、ただのボンクラ海軍将校なんです。まあ敵役は仲人まがいの女衒が一手に引き受けていますが。ピンカートンの罪の意識と懺悔・後悔が描けなければただの大げさな悲劇にしかならないんです。第一このオペラ、日本を舞台としているのに日本人が一人も出てこないんです。武家の叔父は弁慶だし、女衒は今にもハッケヨイと声をかけそうな衣装で動き回るし、芸者はただケバケバシイ国籍不明の和服もどきの衣装で並んでいます。まあこれは合唱だから仕方がないのでしょうが。日本人の崇拝対象がイザナギとイザナミと猿田彦なのには驚きましたね、吐き気がした位です。

 また、オペラを観るなら映画館。と思っていましたが。少し考えを変えなくてはいけないようです。この所、オペラ映画『ラ・ボエーム』、メトの『ルチア』、『蝶々夫人』と、映画館で三本観ましたが、音響が酷いんです、特に酷かったのが東劇、次が新宿高島屋の上に有る変な映画館、ここはブラナーの魔笛で懲りたんですがまた観に行ってしまいました。ネトブレコとビリャゾンのラ・ボエームなんて観る機会になて無いと思い、我慢出来なかったんです。兎に角映画館のスピーカー、なんとかならないんですかね! メトもベルリンもウィーンも、違いが表現出来ないでしょう。弦のざわめきや余韻、儚くも漂う管楽器 。なんて映画館で味わうのなんて無理何でしょうか! ただ、どこの映画館で観たのか覚えていないんですが、パフュームではベルリンフィルの音がちゃんと出ていたので、無理な注文ではなさそうです。それとも、私の耳が耄碌してしまつたのかしら? こいつは一大事。映画館など行かずに自分の装置でDVDでも観ますかね。残念無念! 誰か素晴らしい蝶々夫人を創って下さい。メトのミンゲラ演出の延長線に有ると思いますよ。

 蝶々夫人は駄作か傑作か? よく分かりません。結局傑作なんでしょうね。
 それを証明する名舞台にようやく出会いました。アレーナディヴェローナ(野外劇場)での公演で、以下のキャストとスタッフです。
 蝶々さん/フィオレンツァ・チェドリンス(ソプラノ)
 スズキ/フランチェスカ・フランチ(メゾ・ソプラノ)
 ケイト・ピンカートン/ミナ・ブルム(メゾ・ソプラノ)
 ピンカートン/・マルチェロ・ジョルダーニ(テノール)
 シャープレス/フアン・ポンス(バリトン)
 ゴロー/カルロ・ボージ(テノール)
 ヤマドリ公爵/アレッサンドロ・バッティアート(バリトン)
 ボンゾ/カルロ・ストリウーリ(バス)、他
 アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団
 ダニエル・オーレン(指揮)

 演出:フランコ・ゼッフィレッリ
  衣装:ワダ・エミ

 衣装に注目して下さい。あのワダ・エミですよ!
 チェドリンスの蝶々夫人も素晴らしいです。チェドリンスは最高のヴェルディのディヴアの一人だと私は思っています。
 なによりも素晴らしかったは演出チームでした。普段は登場しない遊女達が時折現れて、まるで溝口映画のように幽玄極まりない不思議な舞見せるのです。ラストの蝶々夫人の自害でも現れ、震えるような感動を醸し出していました。
2016年11月13日   Gorou


第三のレクイエム

2016-11-10 15:53:52 | クラシック音楽
第三のレクイエム
 皆さんが好きなレクイエムは誰のですか?
 半世紀程前では、著名人が自分の葬儀で演奏してほしいレクイエムの一番がフォーレのレクイエムでした。丁度、クリュイタンス、ディーイカウ、ロス・アンヘルスの名盤が発売された直後でしたから無理有りません。どんな演奏だったのか? レクイエムの概念から外れる程の清涼感溢れる演奏で、だいたい怒りの日が入って無いんです。入っていない事でより日本人向きに感じられたのかも知れません。死者を悼む心が切々とせまってくるような鎮魂歌でした。子供だつた私にも十分悲しみ死者への哀悼が伝わって来たのをはっきりと覚えています、
 でも、私が一番好きなのはモーッアルトです。名演とされる物はたくさん有りますが、私のお勧めはアバド・ルーツェルンのライブです。アバドのは脅威の集中力でオーケストラ、合唱団、歌手たちを抑制して行きます。驚くほど清涼で美しく、優しいも哀愁を秘めた素晴らしい演奏でした。ルーツェルンは弱音の美しいオーケストラなのです。
晩年のアバドは演奏を終えると長い瞑想にはいります。この時の瞑想は一際長く、聴衆はじっとアバドの祈りを見つめ、待ち続けます。
 アバドが感謝と祈りを終えて初めて拍手と歓声がわき起こります。
 アバドルーツェルンの新しい演奏が聴けないのは残念で寂しいですね。だいたいルーツェルン祝祭管弦楽団はどうなるのでしょう?

 ヴェルディのレクイエムは、私にとっていつも三番目でした、いつもダイナミズムに欺され、もっといい演奏が有ってよい曲だと思いながら、期待を裏切られ続けました。
 でも、ようやく出会えました。
 それがムーティ友情の道プロジェクトでのライブです。今でのヴェルディ・レクイエムで最高の演奏です。

第一次世界大戦で犠牲になった約10万人の将兵の遺骨が埋葬されたレディプーリア軍事墓地からのライブで、斜面に階段状に配された空間設計と巨大な構造物が圧倒的です。、

 放送は少年と老人の祈りと第一次世界大戦のモンタージュで静かに始まります。バックに哀悼のラッパが聞こえいています。
 ラッパの余韻が消えると同時に、ムーティの指揮棒が振らされ、静かに、優しくレクイエムが始まります。これです、私が待っていたのは。

 安息を 永遠の安息をお与えください
そして、永久の光を彼らにお与えください

 演奏は戦争のモンタージュが挟まれながら進みます。抑制が利きながらも緊張に溢れた、優しい演奏が続きます。
 観客席の最前列の真ん中に、五人の老人が並んでいました。もしかしたら1914年生まれの人たちなのかもしれません。
 前列左中間と右中間に儀仗兵とみられる兵士が直立不動の姿勢を保っています。

 突然、怒りの日が始まりました。ダイナミックながら哀悼に溢れています。
 
 怒りの日 この日こそ 世界を灰に帰する日
 ダビデとシビラを証人として 
 世界を灰に帰する日 この日こそ

 それにしても、この管弦楽団いい音だしますね。合唱団も独唱陣もなかなか素晴らしいですよ。なにりも哀惜の気持ちに溢れています。

 あっという間に終曲が訪れました。

リベラメ 私を解き放ってください

スタンディングオベーションが続く中。ムーティが観客を制し、巨大なモニュメントの上で軍人が哀悼歌を吹き、放送が終わりました。
 ブラボー!! 有り難うムーティ、有り難うクラシカジャシパン。
2016年11月10日    Gorou


[演目]ジュゼッペ・ヴェルディ:レクイエム
[指揮]リッカルド・ムーティ
[演奏]ルイージ・ケルビーニ管弦楽団、ヨーロピアン・スピリット・オブ・ユース・オーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/シカゴ交響楽団/トリエステ・ヴェルディ劇場管弦楽団/サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団/フランス国立管弦楽団/王立モネ劇場管弦楽団/フィルハーモニア管弦楽団/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア合唱団、トリエステ・ヴェルディ劇場合唱団、ブダペスト・フランツ・リスト音楽院室内合唱団、リュブリャナ音楽アカデミー合唱団、ザグレブ音楽アカデミー合唱団、トリエステ“ジュゼッペ・タルティーニ”音楽院&ウディネーゼ“ヤコポ・トマディーニ”音楽院の学生たち、タチアナ・セルジャン(ソプラノ)ダニエラ・バルチェッローナ(メゾ・ソプラノ)サイミール・ピルグ(テノール)リッカルド・ザネッラート(バス)
[合唱指揮]クリスティアーノ・デロステ、パオロ・ヴェロ、ペーテル・エルデイ、マルコ・ヴァトヴェチ、ヤセンカ・オストイッチ、マウリツィオ・デル・ジュディーチェ、ドメニコ・ヴェッロ
[収録]2014年7月6日レディプーリア軍事墓地(イタリア共和国フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州レディプーリア)
[映像監督]ファブリツィオ・ジュットゥーゾ・アライーモ

アメージング アマデウス

2016-11-08 17:14:58 | クラシック音楽
 天才少年ウルフィは成長につれ、才能を加速度的に開花させてゆきました。死後もなお驚異の進化は続いています。

 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この名を知らない人も、その音楽を聴いたことの無い人もいないに違いありません。でも、不思議な事に、モーツァルトの名演奏は驚くほど少ないんです。彼の音楽は余りにも素晴らしく、計り知れないほど奥が深いからかも知れません。モーツァルトの演奏は恐ろしいまでに、弾き手の感性をさらけ出してしまいます。その為か、凡庸で平凡で退屈な演奏が大多数を占めているのが現状です。
 愚かにもその秘密の解明に挑戦?\(◎o◎)/! して見ます。
 ここでは二つの作品を例に挙げてみます。
 一つはヴァイオリンとビオラの為の協奏交響曲。私は、この曲の名演奏に出会った事が余りありません。特にライブでは皆無です。そのライブの一つが今をときめく、ティレーマンの指揮だったから驚きです。ディスカウの代役でまだ若い頃だから致し方が無いのかもしれませんが、兎に角退屈で、ひたすら眠気と戦い続けた記憶が有ります。

 私が初めてこの曲の美しさを知ったのは、グリュミオーの指揮とビオラでした。なんて優しく美しいのだろう。 忽ちモーツァルトのファンに なってしまいました。
 
後二つ名演を紹介しましょう。
 一つは、アーノンクール・ウイーンフィル・クレーメルの演奏です。アーノンクールにしては驚くほど正統的な演奏ですね。少し残念なのクレーメルのヴァイオリンに比べてややビオラが弱いことかな?
 そして、五嶋みどり・今井信子・エッシェンシバッハの演奏で、私はこれが一番だと思っています。日本人だからでは決して有りませんよ。侮るなかれ五嶋みどりと今井信子。
五嶋みどりのヴァイオリンが緊張感に溢れ、美しく感性豊かに演奏して行き、今井信子のビオラが優しく包み、エッシエンバッハ指揮の北ドイツ交響楽団がやや暗めの演奏で二人をサポートしています。涙なくしては聴けない名演奏ですよ\(◎o◎)/!
 
 もう一つが魔笛。これほど有名ながらまともな演奏の少ない曲は珍しいですね。
 歌劇場での演奏で満足出来るものは皆無です。もっとも全ての演奏を聴いている訳では有りませんが。しかし、最低でも三十くらいの演奏は聴いていますからこの情報は信頼出来ると思いますよ。
 魔笛は舞台空間の中に閉じ込めるには余りにも謎と神秘に溢れている為、オケや歌手はともかく、演出で躓いています。
 最初に感動したのは、イングマール・ベルイマンの映画でした。ベルイマンに心酔していた私は胸をときめかせて耳を研ぎ澄まし、画面を見つめていました。いよいよ序曲が始まりました。わたしはそこで初めて、こみの序曲が名曲だと言うことに気付かされました。すでにベルイマンの魔術が始まっていたのです。カメラは序曲の間中観客のアップを追い続け、たびたび可愛らしい少女の顔を映し出します。希望に胸をときめかせて目を輝かせる少女。私はその顔を死ぬまで忘れないでしょう。
 以来、私は魔笛を観ると、どうしてもベルイマンと比べてしまい、満足した事が有りません。大蛇が気に入らなかったり、魔笛に併せて縫いぐるみが踊るのが馬鹿馬鹿しくなったり、ザラストロが崇高過ぎたり、夜の女王の悲鳴に悩まされたりしました。
 そして、ケネス・ブラナーの魔笛を観てまた感動しました。不思議な事にこれも映画ですよね。この作品でもまた序曲、奇跡の和音とともに映像がフェードインし、空と雲と蝶、渡り鳥や兎、そこへ戦争の不安が忍び寄ってきます。驚いた事に、序曲の間中ワンカットの移動撮影で通してしまいました。このプロローグだけで十分です。後は観ないでもいいとさえ、その時は思いました。
 観る前、私はどうせ期待はずれだろうがとりあえず観てみようか、という軽い気持ちでしたが、本当に期待を外されてしまいました。ザラストロの慈愛に満ちた目、悲しみを秘めた夜の女王、パパパパパパパ、パ、パパパパパパ、パ、パ、とにかく楽しませてもらいました。ケネス・プラナーの演出が良かったのです。この魔笛を観て気がつきました。魔笛は演出主体で創られるべき作品だと。
 どうしてもオペラは指揮者と歌手に重点が置かれてしまうのでが、魔笛の上演を成功させるには、優秀な演出家を起用するべきですなのです。
 一つ分からないシーンが有ったたのですが、どなたか教えて居たただけませんか?
 無数の墓標を前にしてザラストロが歌います。墓標に刻まれた若者の名前が三分の一が日本人だったのです。第一次世界大戦でこんなに日本の若者が戦死した筈が有りません。もしかしたら、神風か回天なのでしょうか? 

                                  2016年11月8日 GOROU