アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

 プッチーニはお好き?

2016-11-13 02:03:14 | クラシック音楽
 プッチーニはお好き?

 オペラ好きのクラシックファンだったら、きっと好きですよね。
 一番好きなのは? ラボエーム? トスカ? トゥーランドット? まあ人それぞれでかよね。でも、まさかの蝶々夫人だったりして!
 私はこの作品を好みません。
 日本に生まれ、文化を愛するものにとって、あまりにも物語が陳腐過ぎる! そう思いませんか? 音楽が補って余りあるほど美しく感動的じゃないか! とお叱りを受けそうですね。だけどオペラって、音楽だけでしょうか? 台本があって、演出とか美術とか衣装等があって初めて完成される総合芸術なんです。今まで聴いたり観たりした蝶々夫人は極めてバランスが悪いんです。殆どが悲劇を強調し過ぎて、日本文化のかけらも感じさせては呉れませんでした。
 日本のオペラ歌手のパイオニア、岡村喬夫氏が長年蝶々夫人の謎と不可思議に挑戦しておられます。改訂台本による公演にも何度か挑戦しておられますし、ドキュメンタリーも制作されていますので、機会がが有れば是非ご覧になってください。
 岡村氏の台本改訂は次のようでした。
 「猿田彦の神」を「天罰を降りよ」、蝶々さんの結婚式で芸者が祝福する「オーカミ、オーカミ」という台詞をより適切な「メデタヤ、メデタヤ」に改める等して奮闘しています。更に氏は芸者の認識について正したいと思い、九人の芸者役に日本人を選びましたが、指揮者や主催者との軋轢の末、これは適いませんでした。プッチーニの孫からも抗議されたそうです。
 一日も速く、岡村喬夫氏の意図にそった、一流の指揮者、適切なスタッフ(この作品は舞台衣装が重要)、良いオーケストラでの上演を望んでやみません。

 でも、蝶々夫人の音楽は素晴らしいので、日本語字幕なしでの演奏には結構満足していましたが、日本語字幕をは初めて見た時に余りの酷さに愕然としました。

 私が、ある程度満足して鑑賞出来た初めての公演がメトのライブビューイングでした。
 なぜ観たのか? 演出が亡映画作家アンソニー・ミンゲラ(イングリッシュ・ペイシェント、コールドマウンテンなど)だったからです。彼の奥さんが中国人のキャロリン・チョイで、振り付けとステージ・ディレクションを担当していたからです。そして衣装デザインが矢張り中国人のハン・フェンでした。
 蝶々夫人は1904年、ミラノで初演されて無残なまでに不評だったそうです。以後何度も改訂されて今の形になり、極めて人気の高いオペラ演目になったそうです。素晴らしい音楽と東洋のエキゾチシズムが受けるんでしょうね。私としては今まで素晴らしい演出と美術は無かった。と断言したい位です。音楽はそのままにして台本を大幅に改訂しない限り、蝶々夫人は真の傑作にはなり得ないのです。

 さて、メトロポリタンの蝶々夫人は2006の新演出の再演だそうです。
 前奏曲とともに舞台が空き、蝶々の化身が両手に扇子を持って舞い始めました。息をのむほどの美しい舞台と照明です。舞手が扇子を落としかけるのはライブならではの愛嬌でしょう。決して日本舞踊では有りませんが、見事なまでに、蝶々夫人の「美しい蝶は磔になる」という 潜在恐怖を描いて悲劇の予感を感じさせる見事な演出です。全体を通じて非常に美しく色彩感覚に優れた舞台でした。細かい所まで工夫がなされていましたね。例えば、舞台上空に漆黒のアクリル盤?で、舞台を仄かに移し込んでいましたし、提灯や蝶や花びらの舞う様を儚くも美しく表現していました。特に感動したのは、文楽にヒントを得た操り人形で子供を登場させた事です。人形は三幕の前奏曲で蝶々夫人の回想と意識の具現者としてピンカートンの贖罪意識で踊る舞踏家と素晴らしい舞を見せます。
 プラボーと叫びたい所ですが、この演出をしても蝶々夫人の陳腐なストーリーと稚拙な台本は救えませんでした。まずピンカートン、悪役てもなく敵役でもなく、ただのボンクラ海軍将校なんです。まあ敵役は仲人まがいの女衒が一手に引き受けていますが。ピンカートンの罪の意識と懺悔・後悔が描けなければただの大げさな悲劇にしかならないんです。第一このオペラ、日本を舞台としているのに日本人が一人も出てこないんです。武家の叔父は弁慶だし、女衒は今にもハッケヨイと声をかけそうな衣装で動き回るし、芸者はただケバケバシイ国籍不明の和服もどきの衣装で並んでいます。まあこれは合唱だから仕方がないのでしょうが。日本人の崇拝対象がイザナギとイザナミと猿田彦なのには驚きましたね、吐き気がした位です。

 また、オペラを観るなら映画館。と思っていましたが。少し考えを変えなくてはいけないようです。この所、オペラ映画『ラ・ボエーム』、メトの『ルチア』、『蝶々夫人』と、映画館で三本観ましたが、音響が酷いんです、特に酷かったのが東劇、次が新宿高島屋の上に有る変な映画館、ここはブラナーの魔笛で懲りたんですがまた観に行ってしまいました。ネトブレコとビリャゾンのラ・ボエームなんて観る機会になて無いと思い、我慢出来なかったんです。兎に角映画館のスピーカー、なんとかならないんですかね! メトもベルリンもウィーンも、違いが表現出来ないでしょう。弦のざわめきや余韻、儚くも漂う管楽器 。なんて映画館で味わうのなんて無理何でしょうか! ただ、どこの映画館で観たのか覚えていないんですが、パフュームではベルリンフィルの音がちゃんと出ていたので、無理な注文ではなさそうです。それとも、私の耳が耄碌してしまつたのかしら? こいつは一大事。映画館など行かずに自分の装置でDVDでも観ますかね。残念無念! 誰か素晴らしい蝶々夫人を創って下さい。メトのミンゲラ演出の延長線に有ると思いますよ。

 蝶々夫人は駄作か傑作か? よく分かりません。結局傑作なんでしょうね。
 それを証明する名舞台にようやく出会いました。アレーナディヴェローナ(野外劇場)での公演で、以下のキャストとスタッフです。
 蝶々さん/フィオレンツァ・チェドリンス(ソプラノ)
 スズキ/フランチェスカ・フランチ(メゾ・ソプラノ)
 ケイト・ピンカートン/ミナ・ブルム(メゾ・ソプラノ)
 ピンカートン/・マルチェロ・ジョルダーニ(テノール)
 シャープレス/フアン・ポンス(バリトン)
 ゴロー/カルロ・ボージ(テノール)
 ヤマドリ公爵/アレッサンドロ・バッティアート(バリトン)
 ボンゾ/カルロ・ストリウーリ(バス)、他
 アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団
 ダニエル・オーレン(指揮)

 演出:フランコ・ゼッフィレッリ
  衣装:ワダ・エミ

 衣装に注目して下さい。あのワダ・エミですよ!
 チェドリンスの蝶々夫人も素晴らしいです。チェドリンスは最高のヴェルディのディヴアの一人だと私は思っています。
 なによりも素晴らしかったは演出チームでした。普段は登場しない遊女達が時折現れて、まるで溝口映画のように幽玄極まりない不思議な舞見せるのです。ラストの蝶々夫人の自害でも現れ、震えるような感動を醸し出していました。
2016年11月13日   Gorou



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